古刹をゆく

2008/02/01

中山道中膝栗毛@日本橋~神田明神

080126hitono_iinari まずは、旅の道案内とした書籍のご紹介。

『誰でも歩ける中山道六十九次 上巻(日本橋~和田宿編)』:日殿言成・著(文芸社・刊)

人工透析患者として闘病の日々を送りながら、一日一歩の思いで歩き書き綴った旅日記。著者の日殿言成(ひとの・いいなり)氏は、残念ながら平成17年に他界されましたが、氏の「生きた証」として著者の実姉の方が編纂された本です。旅日記と銘打ちながらも、多くの文献を参考に現地情報と照合した平易なガイドブック&ロードマップとして活用できています。ただし、B5版280頁と、ポケットに入れるにはやや難がありますが(笑)

あとは、以前テレ玉で放送されていた、『中山道 風の旅』を脳内再生しながら気分を盛り上げて・・・
 #お、現在再放送中!

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では。はじめます。

中山道の出発点は、なんといっても「ここから」。

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【0:日本橋(にほんばし) 東京都中央区 2008年1月26日 AM10:00】
■天気(東京):曇りのち晴れ 最高気温:8.2℃ 平均風速:4.2m/s 

080126nihonbashi1 ♪お江戸 日本橋 10時発ち~

 ・・・・・・あれ?(大汗;

橋の彼方は東海道、此方は中山道。面白いのは、ここでは正反対の方角でも、終点は同じ京の都は三条大橋というところ(滋賀県草津~三条大橋は東海道との共用区間ということで、日本橋080126nihonbashi4~草津間を中山道と呼ぶ場合もありますが)。ここから三条大橋まで、 たった41㎞の違い(中山道が長い)。山の中を分け入って行くイメージが先行してか、あるいは六十九次という宿駅数からか、もっと長いような印象が中山道にはあります。

まずは初回・試運転ということで、付近にお住まい・お勤めの方向けに、昼休みあるいは帰り道のお散歩ナビ程度に、沿線のご紹介をさせていただきます。

080126nihonbashi6最初に、日本橋が架かる日本橋川のご紹介。上空には、ご存じ首都高が。この景観破壊の代表例は、現在さまざまな改善案が検討されています。その抜本的改善策例として引き合いに出されるのが、韓国・清渓川の河川整備。韓国より複雑化した高速道路整備網と地下空間利用がなされている東京のど真ん中で、同様の事業が展開できるかどうか・・・今後の検討に期待いたしましょう。

【AM10:07 日本橋 発】

080126nihonbashi5 さあ、これから北に向かって、『中山道』を意気揚々と歩みます。
このあたりは日本橋室町。銀座~神田~秋葉原をつなぐ“日本の顔”と言える『中央通り』です。実は3年ほど前まで、ダンナと私が勤める会社の本社が隣の日本橋本町にあったので(現在は移転)、この界隈は馴染み深いとともに実に愛着があります。
左手には三越日本橋本店と新館、右手には山本海苔店、刃物の木屋、その筋奥には鰹節のにんべん、「カステラ1番 電話は2番」の文明堂などなど老舗の有名どころがずらり。近年、三井タワーが新たな室町の顔として加わり、江戸~平成の時代が同居する、絶妙な街並みが形成されています。

080126nihonbashi7 その三井タワーの斜向かい、ちょっと神田寄りに進んだところにある、この怪しさ満点の建物。昔から店の看板があるのかないのか店名は不明ですが、、、その正体は、“インドカリー屋”。メニューはインドカリー1品のみ。席に黙って座るだけでカレーが出て来ます。数年前行ったのが最後だったのですが、その時で一皿1200円だった記憶が。材料の味が融合することなく、個々に主張しながらも『カレー』として成立している珍しい味(笑)。味もワイルドなら、具もゴロリとして一口では食べきれない野性味あふれるサイズなのが特徴。正直、味の評価は、食べた方の判断にお任せしいたします(^^;。しばらく訪ねていませんが、まだ営業しているのでしょうか・・・。

【AM10:20ごろ 神田駅通過】

080126nihonbashi8今川橋交差点を過ぎ、神田駅ガード下通過。このあたりを歩くと、いつも志賀直哉の『小僧の神様』を思い出します。誰かが寿司を奢ってくれそうな・・・。庶民的な“リーマンの楽園”として新橋駅と共に親しまれています。ここで何度酔いつぶれたことか(爆)。このごろは、だいぶ小洒落た飲み屋も増えてきたようです。

080126nihonbashi9 神田駅から数分歩くと、『須田町』交差点でY字に道が分かれます。ここで右手・国道17号(中央通り)沿いに万世橋を渡ると、秋葉原電気街へと向かいますが、中山道はこの写真左手方向に、道なりに進みます。昌平橋を渡るまでの少しの区間だけ、国道17号から離れます。

※須田町交差点~神田郵便局交差点付近。マウススクロールで拡大縮小します。

 

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大宮の鉄道博物館の前身・旧交通博物館脇を通り、JR中央線沿いに進みます。有名な煉瓦貼りの高架壁が、東京の鉄道の歴史を偲ばせてくれます。『神田郵便局』交差点まで進み、右折。ガードをくぐり昌平橋を渡ります。

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写真左:昌平橋
写真中:橋の上でダンナが指さした先を見たら、、、お茶の水分水路の下流端口が。
     以前仕事で関わったことがあったので、少々萌えました(笑)
写真右:昌平橋から聖橋を臨む。下の鉄橋は丸ノ内線(たぶん)。

080126shoheibashi2 秋葉原寄りの昌平橋周辺は、かつて神田旅籠町と呼ばれてていたとのこと。中山道と日光御成街道の街道筋という立地から、江戸初期には多くの旅籠が軒を連ね賑わっていたとか。しかし、かの『八百屋お七の大火』により焼失したため、その後替地・代地を与えられるなどして旅籠は減少。幕末の嘉永の頃には旅籠は1軒のみとなりましたが、そのかわり米・塩・酒などを扱う問屋が増え、商人街へと変貌し、現在に至っています。

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歩きながら気付いたのですが、東京都内の中山道にはこのような解説板や道案内が多く整備されています(残念ながら、埼玉は少ないです)。こういうものを通じて、自治体や地域住民の歴史への造詣の深さや地域愛がよく伝わってきます。

昌平橋を渡ると、万世橋から曲がってきた国道17号に合流。100mほど進んで『神田明神下』交差点を左折。

 

080126yushima0はい、まだ「こんだけ~?」(大汗;

ちょっとキョロキョロしすぎなので、先を急ぎます。

と・・・

坂道の行く手に、湯島聖堂の白い練壁が見えてきました。
中央線、聖橋、湯島聖堂、、、とくればこの唄ですが、先を急ぎます(笑) 
080126yusahimaseido 湯島聖堂と言えば、時代劇でもよく登場する江戸の学問所として名高い昌平坂学問所(昌平黌)があった場所。諸国の英才たちが集う当時の最高学府でした。ここで学問を修めた若者たちは、帰国後は、それぞれ国元の発展に尽くしたことでしょう。
などと、江戸の頃に思いを馳せながら、坂道の右手に目を遣ると・・・神田明神が。
おっと!これは、ご挨拶していかねば(笑)

【AM10:45ごろ 神田明神 訪】

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神田明神は、言わずと知れた江戸の総鎮守。隔年で行われる『神田祭』は、山王祭、深川八幡祭と並んで江戸三大祭のひとつに数えられる、江戸っ子の代名詞的祭りとしてあまりにも有名。また天神祭、祇園祭と並び日本三大祭にも称されています。
かたや神田明神は、平将門の霊が祀られていること、江戸城の鬼門除けとされていることは意外と知られていません。江戸幕府以前に大手町の将門塚(首塚)周辺にあった神社を、徳川家康が江戸城拡張に伴い、表鬼門に当たるこの地に社殿のみ遷座させたそうなのですが、首塚はそのまま大手町に。家康を持ってしても動かせなかった将門塚の話は・・・ここでは遠慮させていただきます。
なお、神田明神と言えば『銭形平次』『半七捕物帖』と思い浮かんだ読者の方は、立派な“華麗”です(笑)。

080126kanda_myojin4 境内には、大きな“茅の輪”ありました。正面から左に入り、いわゆる「8の字(=∞)」に左右3周くぐりながら願い事をかけました。

 「家内安全 夫婦円満 ACL2連覇 Jリーグ優勝 天皇杯優勝 ナビ杯優勝・・・」

相当ゆっくり回らねば、「カミカミ」で全部唱えられませんでしたが何か?(爆)

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随分と陽に焼けた畳とお獅子様(笑)
おみくじを運んでくださるとのことで、大枚200円を投入。お約束の舞のあと、お座敷に開いた穴(これがちょっと情けない穴の開き方で・・・)に、おみくじ投入。引いたみくじの内容は、ダンナと全く同じ文面(´∀`)。ありがたく揃って『大吉』でしたので、それ以上のツッコミは、こちとら江戸っ子ではないのですが野暮と言うことで(笑)。
また、平将門と言えば勝負事の神様。『勝守』も買い求めました。

080126kanda_myojin5境内を出て、短い参道を歩いていると、
「神田と言えば、“揚げまんじゅう”じゃ!」
と、のたまうダンナに連れられて入った、揚げまんじゅうの店『神田揚げ・巴屋』。道中の腹の足しにと、『こしあん』と『いもあん』を購入。各105円也と安価。
ところで、「まんじゅうこわい」な甘いもの嫌いのワタシ ((((;゚Д゚)))
結局、道中で食べる機会を得られず、帰宅後にダンナに勧められて恐る恐る口に入れてみたところ、、、

 「う ま か 。」

ワタシがそう思うくらいですので、お近くにお立ち寄りの方は、ぜひ。

あ・・・・・・・・・・・。

いつまで遊んでいるのでしょう、もう11時ジャマイカ!!!ヽ(`Д´)ノウワァァァァァァン

時計を見て慌てて中山道に戻った二人は、再び北上を続けます。

(次回、『神田明神~板橋宿』編につづく)

■中山道:日本橋~神田明神ルートのおさらい
(再生ボタンを押すと、ルートを辿ります。短っ!)

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2008/01/05

与野七福神に学ぶ2008年

前回のエントリにも書きましたが、わが家では毎年、元日には天皇杯の決勝に参戦し、2日は氷川神社、3日は与野七福神に初詣に行くのが恒例となっております。
例年のように、2日は氷川様詣でに行って参りました。
そして3日は、恒例の『与野七福神』巡りをいたしました。
与野に住んでいるならば、一度は巡ってみたい、正月の風物詩・・・意外に遠来からの参拝客も多く、毎年三が日は、旧鎌倉往還(現在の本町通り)を行き交う人々が後を絶ちません。

毎年のことなので、当然毎年のとおりに参拝をしたのですが、今年はちょっと気付かされたことがありましたので、その数点について簡単にご紹介させていただきたいと思います。
なお、与野七福神の概説については、こちらをご参照くださればと思います。

ちなみに、今回も「釣られて」います。投資額はお賽銭程度ですが(笑)

■“実”を取る

与野では、『七福神パレード』が毎年1月3日に敢行されます。七福神の役をそれぞれ市民から募って仮装行列してもらう、というものです。企画自体はありふれたものかも知れませんが、今年、その神様たちにあるお寺で遭遇したところ、、、

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マイクロバスをチャーター (゜Д゜)
“パレード”のはずなんですが・・・

080103sitifukujin2まぁ、細かいことは置いといて(笑)、神様たちは整然と並んで初詣をなさっておりました。
「ここまでどうやって到ったか?」ということより「ここで何を成したのか?」ということが肝心、、、枝葉末節より成果を見ましょう、ということでしょうか。

■大願成就

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与野公園のご近所にお住まいの方はすでにご存じかも知れませんが、弁天池のほとりに、このような石碑が建っていました。
文字をよく見ると、

『富士登山五十八度』

と揮毫されています。
遠くから撮影したのでよく見えなかったのですが、右脇に「寛政・・・安政・・・」とあり、左脇に「大願成就 澤田屋・・・」と記されていました。察するに、この元号年間に生きていたかあるいはその期間に富士登山をしたか不明ですが、いずれにせよ、江戸後期、澤田屋さんという方が58回の富士登山を成し遂げた、ということのようです。
「千里の道も一歩から」、すなわち「世界の舞台もJリーグから」の教えのような石碑です。
(時間がある時にでも、この石碑の由来は調べて、後日補足いたします) 

■雄弁なる賽銭箱

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ちなみに、ここはお寺です(笑)。
七福神は、神社仏閣それぞれにいらっしゃいますので、お参りしている人からすれば、参拝方法が「ごちゃまぜ」になってしまうのも人情でしょう。
しかし、それでも決まりは決まり、、、「ルールはちゃんと守りましょう」ということで。

■目の覚めるひとこと

某寺院の山門脇にありました。

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なんとも含蓄のある、ありがたいお言葉なのでしょう。

合掌。

ひょっとして、ここの住職様はレッズサポ???

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2007/10/12

【AWAY紀行】まほろばを訪ねて(3)東大寺二月堂編

真夏の紀行文を、こんな秋まで引っぱってしまいました(詫;

かなり間が空いてしまいましたが、

 「大和は国のまほろば」

平城の都・奈良のトボトボ歩き紀行の第3話です。
 #(1)三条通~興福寺編はこちら、(2)東大寺大仏殿編はこちらをどうぞ。

【 2007年8月16日 11:50ごろ 大鐘(鐘楼)付近】

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前回の“東大寺大仏殿編”につづき、今回は、東大寺境内の東方、若草山麓を訪ねます。手向山八幡宮の参道鳥居の手前から左手の坂道を登ります。

 

 

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石段の向こうに鐘楼が見えてきました。鐘楼周辺の広場は、大仏殿の人混みと対照的に驚くほど静寂。このような静謐をかような場所にこそ求めたいものです。しばし静けさに心を委ねたのち、近くの茶店で中食。きつねうどんを注文。観光地の中心地ゆえ少々高価でしたが、期待どおりの素朴な味で満足。
茶店を出て、さらに炎天下の緩い石段を登っていきます。 

【 同日 12:20ごろ 上院(若草山麓)

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石段を登ると、空間が開けました。石段正面から最初に見えてきたのが法華堂(三月堂)、奥に二月堂、写真右にフレームアウトしていますが、三昧堂(四月堂)があります。

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左写真が法華堂(三月堂)、右写真が三昧堂(四月堂)。
このあたりは東大寺の起源とされる金鐘寺があった場所とされています。金鐘寺には、8世紀半ばに羂索(けんじゃく)堂、千手堂が存在したことを示す記録があり、このうち羂索堂が現在の法華堂を指すと見られています。
法華堂(本尊は不空羂索観音)は、毎年陰暦三月に法華会が行われることから、三月堂とも呼ばれています。天平仏の宝庫として知られ、743年までには完成していたと思われています。参道から向かって左(北)側の仏像が安置されている棟が天平時代の建築で、右(南)側の礼堂部分は鎌倉時代の1199年頃に老朽化のため再建したものとのこと。
三昧堂(本尊は千手観音像)は、毎年陰暦四月に法華三昧が行われることから、四月堂とも呼ばれています。木材部分には朱塗りが施されています。撮影時に、何ぞ願い事でもあったのか、ちょうど鹿がお参りに来ておりました。
時間がいよいよ迫ってきたので、さっと見回して二月堂へと向かいます。

【 同日 12:30ごろ 二月堂】

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070816nigatudo4陰暦二月に“お水取り”で有名な『修二会(しゅにえ)』が行われることから、二月堂と呼ばれています。中世までの戦火からは辛うじて免れてきたものの、江戸時代(1667年)の“お水取り”の最中に失火してしまい、現存するのはその2年後に再建されたものだそうです。
一般に二月堂の修二会は“お水取り”“お松明”が代名詞となっていますが、他の修二会との区別のために『東大寺修二会』(Wikipedia)と称されることもあります(他に薬師寺修二会[花会式]、新薬師寺修二会[おたいまつ]、法隆寺修二会、長谷寺修二会[だだおし]などあり)。

東大寺の『修二会』の法要は、正しくは『十一面悔過(じゅういちめんけか)』と呼ばれるそうです。本尊は大観音(おおがんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、何人も見ることを許されない絶対秘仏とのこと。「天下泰平」「五穀豊穣」「万民快楽(ばんみんけらく)」などを願い、天下万民になり代わり懺悔(さんげ)の行を勤めるものです。前行(2月20日~28日)、本行(3月1日~14日)をあわせてほぼ1ヶ月、準備期間を加えれば3ヶ月にも及ぶ大きな法要となります(参考:東大寺HP
大仏殿では国家権力や国体維持などの独特の政治色を感じさせるものがありましたが、ここはやはり華厳宗の大本山らしい国家安寧を願う宗教色と、国家守護の寺・東大寺を感じさせてくれます。

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春寒の弥生三月花まだき
君の肩にはらり 良弁椿
ここは東大寺 足早にゆく人垣の
誰となく独白く南無観世音 折から名残り雪

二月堂と聞いて、またも思い起こされるのは、うぃあーソングライター・さだまさし大先生の名曲『修二会』。まさにここ二月堂と修二会をモチーフに男女の愛の脆さと儚(はかな)さを描いた、『まほろば』と双璧の作品です。
真夏で甚だ季節外れなのですが(笑)、この唄の世界に思いを馳せながら、静寂に佇む二月堂を訪ねることに。

070816nigatudo7君の手は既に 凍り尽くして居り
その心 ゆらり 他所にあり
もはや二月堂 天も焦げよと松明の
炎見上げつつ何故君は泣く
雪のように火の粉が降る

走る 火影 揺れる君の横顔
燃える 燃える 燃える おたいまつ燃える

070816nigatudo8 二月堂の修二会の象徴的な行である“お松明”。長さ8m、重さ80kgもの燃えさかる松明をこの舞台で振り回す勇壮な光景は、多くの日本人に知られています。本行の期間中は連日行われていますが、特に3月12日は最多の松明が使用されることと一般参詣者への香水授与(お水取り)が行われるため、大変な混雑となる様子が毎年報道されているのはご存じのとおり。752年から一度も中断されることなく連綿と続けられ、今年(2007年)が1256回目の法要となりました。
その松明を振り回す舞台からの眺望。天平の奈良へと思いが飛んでいきそうな眺めです。

070816nigatudo6過去帳に 青衣の女人の名を聴けば
僕の背に 君の香りゆらめく
ここは女人結界 君は格子の外に居り
息を殺して聴く南無観世音
こもりの僧の沓の音

ふり向けば 既に君の姿はなく
胸を打つ痛み 五体投
もはやお水取 やがて始まる達陀の
水よ清めよ 火よ焼き払えよ この罪この業(カルマ)

走る 火影 揺れる あふれる涙
燃える 燃える 燃える 松明 燃える

歌詞の中にある、ずっと以前から気になっていた“青衣(しょうえ)の女人”。
このたびの紀行文を書くに当たって、初めてこの謎を知ることに。

修二会の行法のなかで“大導師作法”というものがあり、≪神名帳奉読≫と≪過去帳奉読≫が行われます。

初夜に行われる≪神名帳奉読≫では、日本全国60余州に鎮坐する490ケ所の明神と14000余ケ所の神々の名が書かれている神名帳を読誦し、「修二会の行法を照覧あれ」と神々を呼び寄せお願いをします。
3月5日・12日に行われる≪過去帳奉読≫では、
聖武天皇からの歴代天皇、東大寺縁者、戦禍・天災に斃れた万国民の霊、現職の総理大臣以下の閣僚、最高裁の長官などの名を読み上げ、その働きが天下太平、万民豊楽をもたらすよう祈願します。
この日本最長の過去帳に連ねられた名のうち、鎌倉時代の源頼朝から18番目に当たるのが“青衣の女人”。元来無かった存在なのですが、鎌倉時代に集慶という僧が過去帳を読み上げていたところ、青い衣を着た女の幽霊が現れ、「何故我が名を読み落としたるとや」と恨めしげに言ったので、女の着衣の色からとっさに「青衣女人(しょうえのにょにん)」と読み上げたところ、微笑みながら満足げに消えていった・・・というちょっと怪談めいた話ですが、実際、東大寺の過去帳に記載されています。現在でも“青衣の女人”を読み上げる時は、声を潜めるのが慣習となっているそうです。

この話をはじめ修二会に関して、様々なサイトにも掲載されていましたが、下記サイトに詳しくありますので、参考にしていただくとわかりやすいかと思います。

 ・東大阪河内ライオンズクラブHP
 ・『奈良観光』HP:東大寺二月堂修二会(その1)
 ・     〃   :        〃       (その2)
   ※(その2)に過去帳(「青衣女人」の記載あり)の画像があります。

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二月堂回廊の脇に、御茶所があり、いわゆる「セルフ形式」でお茶が振る舞われています。冷たいお茶には麦茶もあり、酷暑の真昼に何ともありがたい限り。水が旨いためでしょう、甘露美味。しかしここは“行”を重んずる場所、使った茶碗は自分で洗って仕舞う作法となっています。こんな行儀作法は昔では当たり前のことでした・・・忘れかけている心を思い出させていただきました。

070816nigatudo10 快く冷たい麦茶を頂戴して一服ののち、階段を下り、二月堂をあとに。時間はもうすぐ13時になろうとしていました。13時半までにはJR奈良駅に戻らなければならなかったのと、あまりの暑さ(熊谷で観測史上最高気温が記録された、あの暑い日)のため、ダンナがだいぶ溶けてしまって(笑)動けなくなったので、奈良国立博物館(今回スルー)前からタクシーを拾い、急ぎ奈良駅へ。
駅付近で土産を買おうと期待していたのですが、なんと構内に土産店が無い!!!
駅前にあった奈良漬の店で、かろうじて瓜漬けを土産として購入(後日談:もちろん漬物も美味でしたが、残りの酒粕で鶏肉や牛肉を漬けてみたら2度も3度も美味!ぜひお試しあれ)。

【同日 奈良線 みやこ路快速 13:39発】

070816jrnara2 時間となり、京都行きの列車に乗車。
コンビニで仕入れた冷凍ボトルと冷房の効いた車内で息を吹き返す、炎天下徒歩夫婦。(@▽@;)
わずか3時間の奈良滞在で、時間の限り歩きましたが、時空を超えてさまざまな思いを巡らせることのできた、充実の旅となりました。
1300年の歴史が息づく街・・・わずかな時間でも日本仏教の黎明に触れることのできた驚きと喜びで、少し心豊かになれたような、そんな真夏の古都巡りでした。

(おわり)

070816kfc_2おまけ:
奈良駅すぐ近くのKFCをタクシーで通りかかった時の1ショット。

おっちゃんも、暑かったんやねぇ。。。(^ー^;

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2007/09/12

【AWAY紀行】まほろばを訪ねて(2)東大寺大仏殿編

ちょっと間が空きましたが、

 「大和は国のまほろば」

平城の都・奈良のトボトボ歩き紀行の第2話です。

前回の“興福寺編”につづき、今回は、この国の歴史を語るうえで欠かすことのできない、『東大寺』を駆け足で訪ねる旅です。
「東大寺なら修学旅行で行ったことあるよ」と申される方が多かろうかと思いますが、私が通っていた高校には修学旅行というものが無かったので(昔、不祥事があったらしい)、この歳で、このたびが初めての東大寺参詣となりました。

(前回のお話は、こちら

070816toudaiji1 飛火野の入口を左折し、真っ直ぐに北上すること数分、門前の仲見世に辿り着きます。その視線の先には、東大寺南大門が。
すると。
奈良公園名物の“鹿”の存在が、私たちを苦しめはじめました。
わが庭とばかりに悠々と歩く鹿を「見るだけ」でしたら別に問題はないのですが、いわゆる「フンの臭い」が、たぎった空気と混じり合って、猛烈に襲いかかってきたのです。写真でお伝えできないのは、皆さまにとっての幸い(笑)・・・真夏の真昼の奈良公園には、そんな思いがけない試練が待っていたのでした(^^;
フンの臭いを払いのけるように、先へと進みます。(@◇@;)ゼーゼー

【 2007年8月16日 11:20ごろ 東大寺南大門】

070816toudaiji2当然のことながら、『古都奈良の文化財』として、興福寺などと共に世界遺産に登録されています。東大寺は、聖武天皇の発願により創建さた金鐘山寺(きんしょうせんじ)を起源としています(728年)。『国分寺・国分尼寺建立の詔』(741年)の翌年に金鐘山寺は大和国国分寺となり、その後『盧舎那大仏造顕の詔』(743年)を発令し、当時の都・紫香楽宮~難波宮から再遷都した聖武天皇は、この地で本格的な大仏造立を開始(747年)しました。その頃から、総国分寺“東大寺”の名が使われるようにな070816toudaiji3ったそうです。開山は華厳宗の良弁(ろうべん)僧正。 日本史の教科書には必ず載っている、現代では到底成し得ない壮大な国家プロジェクトの舞台となったことで知られている、あまりにも有名な寺院です。
詳細については、私がどうこう説明するより、下記サイトをご参照くださればと思います。
 ・東大寺HP
 ・東大寺(Wikipedia)

070816nandaimon 東大寺南大門。
創建当時のものは災害損失し、現存する門は鎌倉時代(1199年)に復興されたもの。中国・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様(だいぶつよう、天竺様・てんじくよう、ともいう)を採用した建築として著名な建造物です。長年の風雪に耐え、かなりの傷み具合でしたが、かえって悠久の時の長さ、歴史の重みを語りかけられる思いがしました。『大華厳寺』の銘板が掲げられています。

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南大門と言えば、金剛力士像。世界最大の木造彫像として国宝指定されています。
人間というものは、“本物”を目の当たりにすると、頭の中が空っぽになってしまうのでしょうか・・・気が付いたら、口をポカンと開けて圧倒されて突っ立っている自分がそこにいました。
鎌倉時代の高名な仏師である、運慶、快慶、定覚、湛慶(運慶の子)が制作に当たりましたが、平成の解体修理の際、像内に納められていた文書から、彼らが小仏師多数を率いてわずか70日程度で造立したものであることが裏付けられ、運慶が制作の総指揮にあたったものと考えられているそうです(以上、Wikipedia等を参考にしましたが、この話は以前TVで見た記憶があります)。
なお、右に吽形、左に阿形を配していますが、これは一般的な安置方法とは逆なのだそうです。
檜の寄木造り、高さ約840cm(左写真の下に写っている人物と比べればわかりやすいです)、重さ約6tの巨像・・・800年以上も前の技術の高さと確かさ、圧巻です。

【 2007年8月16日 11:30ごろ 東大寺金堂(大仏殿)】

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070816daibutuden5 私も、割といろいろな寺社巡りをしているほうですが、見た瞬間、あまりの迫力に呆然と脱力してしまいました。広大なる敷地に堂々とそびえる“天平の甍”。 
何と言いますか・・・宗教的な迫力と言うよりは、千年以上も昔の国家権力の強大さをまざまざと感じさせられました。政教一致の国家プロジェクトとして、前述の『国分寺・国分尼寺建立の詔』(741年)と『盧舎那大仏造顕の詔』(743年)を発令し、あまたの国費と人材が投入された大仏殿の姿は、当時頻発した社070816daibutuden2会不安を払うための国家安寧と国体維持の象徴として、現代にもその威厳を放っているように見えました。しかし大仏造立後の国政は、聖武天皇の願いとはかけ離れて財政逼迫し、民衆は疲弊してしまうという現実に見舞われてしまいます。。。

東大寺盧舎那仏・・・いわゆる『奈良の大仏さま』は、大仏殿と共に2度の戦火にあっており、それに加えて補修も多く行われていることから、台座、腹、指の一部などごく一部に当時の原型を留めているそうです。江戸時代に再建された大仏さまと大仏殿が現存のもので、大仏殿は創建当時の3分の2程度に縮小復元されたということですから、創建当時の規模に思いを馳せれば、いかに国家の命運をかけた壮大な国家事業であったかが伺えます。

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余計なこととは思いつつ(笑)、大仏さまの後ろ姿をおさめさせていただきました。
随分と「絶壁」です、って罰当たりが・・・金色の光背(後光)に補強材が施されていました。

 

070816daibutuden4

大仏殿の四方には、四天王立像が配されていたそうなのですが、広目天像、多聞天像については、頭部だけが残されていました。
拝観したときが真っ昼間だったので面と向かって拝めましたが、真夜中にお会いするのは・・・ちと勘弁して欲しいものです(汗;

 

070816omamori

大仏殿にて、お守りを購入。
左はヘマタイト製念珠。磁気入り(笑)。虎目石も配されています。ヘマタイトは「勇気と自信、闘いの守り石」と覚えがあったので、即購入(“磁気入り”も動機ですが)。
右は“勝守”。条件反射的に手が出たのですが、赤い袋が無かったのが至極残念!(笑)。
購入後、このお守りで3連勝しましたが(以下省略)。

ゆっくりと足を止めて拝観したいところではありましたが、時間は容赦なく過ぎていきます。

名残惜しくも早々に切り上げ、『修二会』で知られる二月堂へと歩を進めます。

(つづく)

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2007/09/06

【AWAY紀行】まほろばを訪ねて(1)三条通~興福寺編

万博でのガンバ戦の翌日。
070816jrtennouji 観測史上国内最高気温の記録が出たこの日、朝っぱらから炎天下を取り憑かれたようにトボトボ歩く脳天気夫婦は、関西でも大活躍 (゚∀゚)凸ファンキー!
例によって、ガイドブック無し、でも全国時刻表あり(笑)、行き当たりばったり思いつきの旅のはじまりはじまり。
盂蘭盆恒例『五山の送り火』で鬼混みが予想される京都を避け、まずは新大阪から天王寺へと移動し、天王寺からJR関西本線に乗車。電車に乗ったはいいけれど、
「どこ行く?」 
電車の行き先から、法隆寺に行こうか、平城宮跡に行こうか・・・などと乗車中は問答しきり、結局降りたところは、、、

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  終点。

【2007年8月16日 JR奈良駅 10:22着】

かえって悩みもなくなり楽になったところで(笑)、観光案内所で情報収集。
交通事情的に最繁忙期のこの時期、帰りの新幹線の予約を変更するわけにはいかないので、せめて発駅を新大阪→京都に変えてみたものの、それでも奈良滞在可能時間は、

3時間程度。

「3時間で歩いて行けるところ」と制限すれば、おのずと行き先も決まりました。
三条通から興福寺~春日大社参道~東大寺を訪れることに。

 大和(倭)は国のまほろば
   たたなづく青垣 山隠(やまごも)れる大和(倭)し  美(うる)わし

倭建命(日本武尊:やまとたけるのみこと)が、東国遠征からの帰途、伊勢国・能褒野(のぼの)の地で、故郷の大和の国を偲んで詠んだとされるこの歌(『古事記』に収録)。
 #当時の皇居は纒向日代宮(まきむくのひしろのみや:桜井市あたり)に存在していたと推察されていますが、総じて「大和国」を歌ったものと捉えられているようです
間もなく遷都1300年を迎えるこの国の“まほろば”、大和平城の都・奈良のごくごく一部を、しかし代表的な場所を、短時間で歩き訪ねてみました。
たった3時間のぶらり旅ですが、今回は“興福寺編”“東大寺大仏殿編”“二月堂編”の豪華3本立て???(話を引っぱってるだけじゃ/笑)にてお送りいたします。

【同日 三条通】

070816nara3joh1 駅を背に、左斜め方向から入り、真っ直ぐに伸びる道が三条通。炎天下に歩く人もまばら。歩く人も日陰に吸い寄るように歩いています。
いわゆる昔ながらの『○○通り』の風情を演出しているようにも見えますが、駅が近いので繁華街の色彩が濃いのはやむなしというところ。こちらも勝手な先行イメージがあったので、通りの名称表示もなく中途半端な雰囲気に「ここが三条通?」と迷いました。できれば、通りの入口にでも道案内の看板が欲しいところ。

070816nara3joh2 途中、上記“先行イメージ”に近い、古い店構えも見られましたが、近鉄奈良駅付近となると、古風な商家のそばにパチンコ屋があるといった状況に。確かに生活圏エリアにおける景観規制は現実的に難しいものがあることは、私も仕事で経験したことがあるので承知しているつもりですが、しかしこの道は奈良公園までの“玄関口”となる観光ルート。(建物の高さ規制はあるように見受けられましたが)京都と比べると、景観条例の規制と住民意識レベルのほどはどうなのでしょう・・・と、観光客の視線で思った次第です(^^;。

070816narapark1 三条通をまっすぐ歩くこと20分程度、右手に猿沢池が見えてきたところが奈良公園の入口。
左手の坂のすぐ脇に興福寺の境内があります。
 ※クリックで拡大します

 

【同日 11時ごろ 興福寺】

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興福寺は、藤原鎌足の病平癒を願った夫人(鏡大王)が、山背(山城)国に建立した『山階寺』が起源とされています(669年)。その後、壬申の乱(672年)を経て都が飛鳥(藤原京)に再遷都の折、山階寺も移建され、その地名から『厩坂寺』と改名。そして平城遷都(710年)の際、鎌足の子息・藤原不比等により移建され、現在の『興福寺』となったそうです。この経緯からわかるように、元来藤原氏の個人的な氏寺なのですが、この後は国家による造営が進められたそうです。
詳しくは、興福寺HPならびにWikipedia(『興福寺』の項)をご参照ください。

写真は、興福寺五重塔。天気が良すぎたのと、被写体が大きすぎて近景が難しく、安物デジカメのレンズとホワイトバランス機能ではうまく写せませんでした。肝心のカメラマンの腕は、「オート任せ」ですので突っ込み厳禁ヨロシクです(笑)

070816koufukuji3 平成22年(2010年)の創建1300年記念に向け、現在興福寺では中金堂院や伽藍を中心とした興福寺境内の再建整備を進めており、そのための発掘調査が行われています。
壮大な再建計画のゴールは、よくよく考えてみると近い将来なので、再び訪れる時の楽しみができました。
 ※クリックで拡大します

境内には、奈良公園お約束の“鹿”。
 ※お断り:ここの“鹿”には罪はござい070816koufukuji2ません(^^;

 ♪奈良の春日野 青芝に
   腰を下ろせば 鹿の・・・

やめておきましょう(笑)。
『オレたちひょうきん族』世代・・・
 #吉永小百合さん、ゴメンナサイ m(_ _)m

確かに、ここの鹿には罪はないのですが、この鹿の存在が、この日の気候と相まって、のちのち重くのしかかってきます(そのお話は、次回にでも)。

070816koufukuji4 もっとゆっくり参詣したかったのですが、3時間の持ち時間のうち、すでに1時間近くを費やしてしまったため、先を急ぐことに。興福寺の代名詞とも言える阿修羅像拝観はあきらめました。ここで拝んで済ませました、どうぞお許しを・・・次回は必ずお目もじを

興福寺境内を出て、もと来た道に戻り、春日大社参道へと歩を進めます。

070816narapark2一ノ鳥居をくぐると、荘重な雰囲気の参道がまっすぐに伸びています。

 ♪春日山から飛火野辺り
  ゆらゆらと影ばかり 泥(なず)む夕暮れ
  馬酔木(あせび)の森の 馬酔木(まよいぎ)に
  たずねたずねた 帰り道

うぃあーソングライター”さだまさし大先生の名曲『まほろば』の、歌詞で表現されている道を逆方向に、すなわち春日山方面に近づいて歩いています。
時間が許しても許さなくても、この先にある飛火野から馬酔木の森に歩を進めたかったのが本音でしたが・・・飛火野の入口を断腸の思いで左折して、東大寺方面に泣く泣く向かったのでした (つ;д`) エーン・・・

070816narapark3と、その前に、、、(飛火野入口の)表参道の手前にあった古い洋館に目を惹かれました。美しい外観のこの建物は、『旧奈良県物産陳列所』として明治35年(1902年)に建設されたとのこと。案内板の看板のとおり、洋風の建物に瓦葺きの屋根、玄関前には唐破風の車寄せ屋根が施されています。名勝・奈良公園の景観に配慮し、平等院鳳凰堂をモチーフに設計されたそうです。現在、奈良国立博物館附属の『仏教美術資料研究センター』として活用されていますが、国の重要文化財にも指定されています。
激動する文明の変化の中にあっても従前の環境に配慮した明治人の気品を、現代人は見習わなくてはならない、、、その好例と言えそうです。

ちょっと気を惹かれて立ち止まっていると、時間はどんどん過ぎていきます。
飛火野沿いの道を北上し、東大寺南大門方面に、急ぎ歩を進めます。

(次回へつづく)

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2007/08/08

【小さな旅】上信電鉄の旅(前編)

休日は、例によって夫婦そろって朝から放浪(笑)。
特に今の時期は、家にいると暑いので・・・(@▽@;)/~

070804takasaki 最近ゼイタクになったのか、列車にグリーン車が連結されていると、ついつい乗ってしまいます。少しでも旅情が盛り上がるという意味では良いのですが、休日は料金割高なので、手近で済ませるという節約精神からは逸脱してしまいます(とほほ)。
大宮から高崎まで『快速アーバン』で一時間半余り。一旦JR改札を出て上信電鉄ホームへと向かいます。

【2007年8月4日 上信電鉄高崎駅 10:31発 下仁田行き】

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070804johshin2上信電鉄は、いわゆる“ラッピング電車”の見本市のような路線。個性的な地元企業の広告だけでなく、さすが上州コンニャクどころ、『マンナンライフの蒟蒻畑』電車も元気に鉄路を走っています。

とりあえず、目に付いた行き先ボタンを適当に押して切符を買い(上州富岡行き) 、乗車。コトコト列車に揺られること1時間・・・。
ちなみに、この上信電鉄で1時間も乗車すると、終点に到着します(笑)。

【同日 上信電鉄下仁田駅 11:31着】

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着いたところは、終点・下仁田。
ネギとコンニャクで全国にその名を轟かせる、一大生産地であります。
上左写真によれば、「人情の街」でもあるようです。

070804shimonita2 突然、駅線路内を見渡していたダンナが、ワクテカな表情で私を呼びつけます。
“鉄”の皆さまには有名な、通称『上州のシーラカンス』と呼ばれる「デキ型」電気機関車です。大正後期にドイツから購入された、日本最古の電気機関車で、松本零士氏のイラスト画が上信電鉄『デキを愛する会』のHP表紙を飾っています。
ワタシら夫婦の行動につられて追ってきた“鉄人さん”たちも、写真をバシャバシャ撮られておりました。。。

せっかくなので、小一時間ほど駅周辺を散策することに。

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で。
驚きました。
『中央通り』と看板の掛かった駅近の商店街を歩いていると、一気にタイムスリップした感覚に陥りました。上右写真の、どう見ても一般家屋に見えない建物を観察してみたところ、玄関のガラスに『撞球場(どうきゅうじょう=ビリヤード場)』の文字。昔からの社交場だったようですが、現在利用されているかどうかは不明。
また、昼時にも関わらずまだ暖簾を出していない飲食店多し。通りには人影もなし。日頃観光客など来ないのでしょうか、客を呼び込む雰囲気もなく、やる気の無さそうな店構えで、ほぼ地元ユースの商店街といった印象を受けました。逆にそういう「素の雰囲気」を味わえたほうが、その地域の生活の様子がうかがえて楽しいものです。

070804shimonita5 食事をしようと思い、注文が早く出て来そうな店が良いとの判断で、やる気のありそうな(笑)駅前の洋食屋へ。
駅前の飲食店と言えば、先日大井川鐵道の千頭駅で苦い思いをしたことが記憶に新しいため一瞬躊躇しましたが・・・この店では杞憂でした。注文はサッと出てくるうえに、出来合いのモノではなく、しっかり手をかけて調理されているのが舌の上でも感じられました。私が注文したパスタも麺の茹で方が都会のレストラン並みに上手く、ダンナが注文した豚の生姜焼き定食も良質の材料を使用していて、デザートの『神津牧場ソフトクリーム』も上品な味でした。
単品でオーダーした『さしみこんにゃく』は、文句なく本場の味でした。
駅前の定食屋、侮るなかれ・・・時間が無くゆっくり出来なかったのが残念でした。

急いで昼食を済ませ、目の前の駅改札を速攻で通り抜け、高崎行きの列車に飛び乗りました。

【同日 上信電鉄下仁田駅 12:30発 → 上州一ノ宮駅 12:47着】

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070804ichinomiya2ダンナが「ここで降りるぞ」とのたまったため、下車。
(゜∀゜;)
是非行きたいところがある、とのリクエストに応えることに。
ちなみに、右写真は駅から目的地までの間で見かけた、やたら視線を惹いた店。
看板の信憑性の議論は割愛することにして(笑)、、、宝くじファンの方、いかがでしょう?

これもまた、街歩きの楽しみというものです。 

【同日 13:00すぎ頃 貫前神社(ぬきさきじんじゃ)】 

ダンナのリクエスト先は、ここ。
群馬県を中心とした関東一円と新潟・福島に広く分布する赤城神社よりも格上の“上野国一ノ宮/国幣中社”であることと(ちなみに赤城神社は上野国二宮/旧郷社・旧県社)、境内の構造が珍しいので見てみたいとの希望を叶えてさしあげることに。

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 ①写真左:正面の参道。まずは石段を登って総門へ。
 ②写真中:参道石段上の総門。ここをくぐると・・・
 ③写真右:なんと下り階段!下ったところに社殿があります。

一般的な参道~社殿の道のりは、平坦地か「登り」構造になっています。「下り」なら宮崎の鵜戸神宮などがありますが、当社は一旦登りきった直後に下るという珍しい構えとなっていました。私も初めての経験でした。070804nukisaki2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

070804nukisaki3 貫前神社は、6世紀ごろの創建と伝えられています。
現在の社殿は、徳川三代将軍家光の頃に造営され、明治の頃には旧国宝指定を受けていたようですが、第2次大戦後は重要文化財に格下げになっています(詳細は不明)。

近代では、富岡製糸場で働く工女たちが、糸取り上達祈願に参詣していたそうです。
境内は、永い歴史が積み重ねられた風格ある佇まいで、070804nukisaki4御神域としての静謐さと重厚さに満ちておりました。

思いがけなくありがたいものに出会え、心の栄養を補給できました。
元気が出たところで、国道254号を一路、徒歩にて富岡製糸場へと向かいます。

(つづく)

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2007/02/21

【小さな旅】高麗の里

ちょっと遅くなりましたが、オフ企画「関東甲信越小さな旅」第1弾です(^^;

立春とは思えぬ寒風吹きすさぶこの日でしたが、天気は申し分なし。家にいては勿体ないと昼前から外出。
「どこか行くぞ!」
のダンナの号令のみでとりあえず駅に行き(^^;、最初にやって来た電車に乗り込みました。埼京線下り線。方面は川越方面に決まったものの、降車場所は未定(笑)。
当てもなく、走る電車に身を任せて川越で降り、さらに乗り継ぎ、降りたところは・・・
ここ↓

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南古谷あたりで、ダンナは密かに意を決した模様(゜▽゜)。
乗り継ぎが良ければ、なんと与野本町駅から50分程度で、奥武蔵の自然豊かな丘陵地帯に行けるのですから、埼玉は首都圏の偉大な“地方”です。

“高麗”の文字には、私も親しみがあります。故郷の鹿児島の中心市街地には『高麗町』の名の地域があります。鹿児島のほうはそのまま「こうらい」と読みますが、埼玉のこの地は「こま」と読みます。読みは違えど、その名の由来は、朝鮮半島の高句麗から渡来した先人との縁(ゆかり)を意味することは、想像に難くありません。ただ、その渡来した時代と事情は、彼の地と此の地では異なります。それについて書き出すと収拾がつかなくなりますので、「違うようだ」ということだけご認識いただければ幸甚です。

070204yakitori_1まずは、駅前のスーパー駐車場にあったこちらで「腹ごしらえ」。
“東松山名物”の看板に誘われました(笑)。
やはりみそだれは外せない、ということで、味の比較も兼ねて、モモ串(みそだれ)とやきとん(塩)を1本ずつ購入。鶏インフルで騒がれ大変な業界事情かと思いますが、私はカイワレやカキ騒動の時同様、「騒動の時期こそ安全で食べどき!」という志向ですので、全然抵抗ありません。おいしゅうございました。

070204koma2_1歩を進めていくと、このあたりは、狭山丘陵ということもあり、地場産業の茶畑を多く見かけます。この風景も鹿児島と似通っており、妙に親近感がわきます。
ほぼ地元ィロード的な道を歩きながら、目的地(になったところ)に到着。

 

【高麗神社(こまじんじゃ) 埼玉県日高市:JR高麗川駅より徒歩15分】 2007年2月4日 訪 

070204koma34_1 

 

 

 

 

境内でまず目を引くのは、“天下大将軍”“地下女将軍”の像(写真左)。このようなものは初めて見ました。将軍標(しょうぐんひょう:チャンスン)というもので、朝鮮半島古来の“魔除け”で、村の入口に建てる風習があるとのこと。

祀られているのは、高麗王若光です。
高句麗が668年に唐と新羅によって滅ぼされ、その難を逃れて多くの高句麗の人々が渡来しました。関東周辺各地分散していた高麗人を集め、716年に武蔵国内に“高麗郡”を新設。その際首長に任命されたのが若光。かの『日本書紀』において、666年高句麗から派遣された使節の中に「二位玄武若光」の名があったことから、“玄武若光”と“(高麗王)若光”は同一人物とされています。高麗王若光は、奥武蔵野の開拓に尽力し(巾着田は有名)、故国の土を再び踏むことなくこの地で没しました。郡民は、その遺徳をしのび高麗明神として祀りました。以来1200年余、高麗王若光の直系子孫が宮司を務めています。大変由緒のある神社です。(高麗神社の由縁や歴史について、詳しくはこちら。)

また、高麗神社は「出世明神070204koma6 」としても大変有名な社です。
ざっと私が見ただけでも、参道内にあった奉納札には、政界、財界、法曹界、芸能人、アナウンサーなど著名人が列記されていました。当然、前埼玉県知事の名もありました(^^;
私が何気に撮ったアングルにも、現在TVで大活躍するあの人の名が・・・。
今年はじめての、さいたま市外の神社仏閣への参詣となった高麗神社。さまざまな思いを念入りに『願掛け』させていただきました。

070204ume 身を切る寒風でありながら、日だまりには梅の花。
春の足音を感じさせてくれます。

次に、高麗神社の隣にある、高麗王若光の菩提寺・聖天院に足をのばしてみました。

 

【聖天院(しょうてんいん) 埼玉県日高市:高麗神社となり】 同日 訪 

070204syotenin1 天平の頃の751年創建という、こちらも大変由緒のある寺院です。当初から600年間は法相宗の道場だったものを、14世紀の半ばに真言宗に改宗し現在に至っています。 
境内は有料なのですが、折角ですので参詣することに。
山門まで、階段を登ります。

070204syotenin3

無人の山門には、可愛らしい半鐘が。「拝観の方へ この鐘を打って下さい」の案内が、長閑なこの地域の風情そのまま。
試しに鐘を鳴らしてみると・・・
軽く叩いたつもりが、
「くわあぁぁぁぁぁ~ん」(゜▽゜;)
予想を遙かに超える大音響!
寺の方(女性)がすっ飛んで来られました(笑)。

入山して本堂に参詣。ふと、園内の奥まったところが視界に入り、気を引かれて行ってみたところ・・・意外な光景が(※クリックで拡大します)。

070204syotenin68

 

 

 

異国の風景が、目に飛び込んでみました。
ここは、先の大戦の不幸な歴史の中で亡くなられた、朝鮮半島出身の無縁者の霊を慰めるために、在日朝鮮人の篤志家たちにより建立された墓園だそうです。供養塔の下には納骨堂、その他園内には祖国の偉人を顕彰した石像群、ソウル・パゴタ公園内の八角亭を縮小建築したという色鮮やかな建物がありました。
ここは『在日白衣民族の聖地』とされています(『白衣民族』について、詳しくはこちら)。かの若光王が風水学により、当地が日本国土の中心地で、「最高の地」として定めたそうです。その考えに基づきこの地を開墾し、巾着田をはじめ武蔵野一帯に稲作を普及したのでした。
狭山地域が、今もなお豊饒の地であることからも、先人たちの先見の明に敬服するばかりです。

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墓園をあとに、聖天院本堂に戻り、ふと前庭を見遣ると1本の桜の幼木が(写真左)。
立て札を見ると「三春滝桜」とありました。不思議に思い、帰り際にさきほどすっ飛んできた女性(^^;に話を伺ったところ、最近の改修時の大工さんが福島出身の方で、苗木を持ってこられたとのこと。山門の外にも数本植樹されていました。
070204syotenin5下山し、若光王の霊廟(写真右)に一礼。前述の14世紀の改宗により、ここに移設されたようです。
ダンナと話して気付いたのですが、寒風厳しい日和ながら、境内を含めこの場は穏やかで無風でした。風水で選ばれた地であることと何か関係があるのでしょうか。陽射しを浴びて、ロウバイがほのかな香りを漂わせて咲いていました。

070204road デジカメで撮った、駅前のデフォルメ市内地図だけを頼りに(無計画性が露呈)、巾着田に行ってみることにしました。距離感も方向性もあったものではありません(笑)。数度道を迷いながら小一時間ほど歩きました。一部、日高市のハイキングコースに指定されている道(奥武蔵自然遊歩道、ふるさと歩道)で、そのうえ丘陵地帯のため、足腰に適度に難儀な道でした(泣;  


【巾着田(きんちゃくだ) 埼玉県日高市:西武池袋線高麗駅より徒歩10分】 同日 訪 
 

070204kintyakuda1

巾着田到着。 _| ̄|○ ハアハア...
蛇行する高麗川の河道線形(巾着型)を巧みに利用して、川の水をせき止めることで、田に引水する技法によりこの地を開墾。
やはり先人の知恵は偉大です。残念なことに、現在はほとんどが休耕田とか。時代の流れには逆らえません。

 

070204kintyakuda2秋の埼玉県最大の観光地、巾着田・曼珠沙華(彼岸花)の群生地。秋のシーズンには、毎日のようにラジオでこの一帯の渋滞情報が流れます(^^;
現在は、当然のことながら冬枯れた風景が展開していますが、そろそろ春の菜の花&桜の共演が楽しみな時期が到来します。もうすぐ多くの人々がこの地を訪れることでしょう。

070204koma8 陽も傾き、寒さも身に滲みてきました。
西武線・高麗駅。ここでも『将軍標』が出迎えてくれていました。
途中、多くのハイカーさんたちに出会いました。おそらく日和田山ハイクを楽しんで来られたのでしょう。そのまま同じ電車に乗車し、共に家路に向かったのでした。

初めて訪ねた土地でしたが、鄙びた中にも歴史と気品のある、そんな高麗の里でした。
万葉の頃の埼玉の歴史の一端にふれることができ、思わぬ得をした気分の小さな旅となりました。

 

おまけ:
070204higasihannou 八高線を利用しようと東飯能駅で一旦下車。時間が余ったので、西口の地図を見て、東口の『丸広百貨店』に行ってみたのですが・・・
その『丸広』、看板がはがされて、「ない!」 ((((;゜Д゜)))
調べたところ(Wikipediaで検索ヒット)、昨年4月に閉店したそうで。。。わずか6年間の営業だったとは。立派な巨大商業ビルが廃墟と化して、なんとも淋しい限りでした (つ;д`)

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2006/11/17

信州の旅(4)「牛に引かれて・・・」

牛に引かれて・・・

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「善 光 寺 ま い り。」

【2006年11月3日(金) 13:34 長野駅着】061103zenkoji1

「牛に轢かれて 病院送り」ではありませぬ(笑)。
ということで、やってきました長野市内。
冒頭の「牛に引かれて・・・」と同じくらい言われている「一生に一度は善光寺まいり」を敢行。『北向観音』だけでは片参りですから、ね。大願成就のためには、百里の道も一歩から、、、で、約2㎞の参道を歩いて行きます。

061103nagano 粛々と参道を歩いていたら、「あれ?」と右手に見たことがある光景が。
長野オリンピックの表彰式会場だった、『セントラルスクウェア』です。
現在駐車場利用されている模様。そのせいか、壁などが仮設物に見えてしまったため、少々廃墟チックで淋しい感じがしました。もう少しメモリアル施設として考えて演出したほうが良さそうです。

061103zenkoji2 【同日 14時ごろ 善光寺門前】

参詣の前に、遅い昼食を摂ることに。
ここの近くに人気のそば屋があったのですが、なかなか行列がはけないのであきらめて、すぐ近くの『弥生座』という“せいろ蒸し”屋に入りました。

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しかしここでも“そば”への執念を見せた“そば星人”v(゜▽゜)v。まずは『そば味噌うす焼き』(写真中央)をオーダー。要するに「味噌やねぎを包んだそばクレープ」です。我が家でもたまにそばクレープは作りますが、やはり本場のものは美味ですね。
メインの食事ですが、私は信州牛の『門前せいろ蒸し』(写真右)ダンナは『地鳥せいろ』をオーダー。たっぷりの野菜と肉(は少し?)をキリッと味のポン酢につけて食します。茶碗蒸しにも味付けに細やかさがあり、全体的に品の良い食事として仕上がっていました。思いがけなく美味しいお店に巡り会えました。またも旅の偶然で楽しめました。

061103zenkoji3 【同日 15時前 善光寺】

祝日と七五三の季節が重なってしまったからでしょうか、門前の店は多くの参詣客で大にぎわいでした。
このあたりには宿坊も多くあり、玄関先には今宵の宿泊客への「歓迎」も文字が数多く踊っていました。

061103zenkoji 善光寺は、宗派にこだわらないお寺として有名です。
昔から全国各地、多くの人々の信仰を集めています。
それを端的に表していたのが、この奉納者札(クリックで拡大)。地元企業の北野建設や銀行の寄付額が・・・スゴイ。
 
#トヨタはもうちょっと寄付してもいいんじゃない?・・・

 

061103zenkoji5_1本堂。
堂々とした、威厳と風格のある佇まいに、言葉もございません。m(_ _)m
感嘆の溜め息をしながら、しばし見上げておりました。
しかし、、、ここでも、こんなものがあったとは(笑)。
おっと、ネタを探している場合でありません。
早速レッズ優勝を祈願に。。。

参拝を終え、境内をぶらぶら。
061103zenkoji6 善光寺の善光寺たる“図”が目に飛び込んで来ました。
全国の“善光寺同盟”と言いましょうか、「全国善光寺会会員分布図」なるものが(゜∀゜)。お寺も神社もへったくれ(“へったくれ”はないか(^^;)もありません、志を同じくする全国の宗教が会派を形成しています。政治の世界の超党派議員連盟も足元には及びません。
ここに、日本人の宗教観が凝縮されている、と大いに感じ入りました。
神様も仏様もありがたいもの、ありがたいものは何でも尊び敬いましょう。畏敬の念や謙虚さを忘れなければ、傲慢な心を持つ必要はありませんね。
あらためて、合掌。061103usi1

さらにぶらぶら散策していると。。。ん!?
足下の歩道についていた、水の“しみ”に何気なく目を落としたところ・・・
 (つд⊂) ゴシゴシ
  (;゜Д゜) ハッ!

 「 う し 」

って読めるぞぉ (゜∀゜)061103usi2

その視線の先には・・・「うし」が(笑)
森永乳業が寄贈した、『乳牛親子像』だそうで。
「善子さん」と「光子さん」の母娘のようです。

牛に引かれて 善光寺・・・

だんだんと陽が傾いてきました。帰る時間が近づいてきたようです。

【同日 16:30ごろ JR長野駅】

駅に着いたときには、夜の帳が降りてきておりました。061103naganoeki
上田観光~別所温泉~そば祭り~善光寺、と、1泊2日の旅行にしては、充分楽しめました。今回は特に「思いつきの旅」だったのが逆に良かったのか、サプライズにも多く出会えたのかも知れません。

長野は、他にも見所がたくさんある、魅力ある県です。
「またいづれかの地へ旅したいな」と、帰り道ながらすでに次なる旅へと思いを寄せてしまいました。

061103yawataya 最後に。
おみやげは、『善光寺まいりの手形』と称される、これ(→)で。
“大辛”よりも辛い“BIRD EYE”という激辛を、このたび初めて入手(みやげ屋には置いてないようです。『八幡屋磯五郎本店』で購入)。まだ封を切っていませんが、どんな辛さなのだろうと毎日ワクワクしています。
この封を切ったとき、今回の旅のゴールを迎えるのでしょう。

<了>

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2006/11/16

信州の旅(3)別所温泉

上田市内で北国街道と真田太平記館を楽しんだあとは、上田駅から「信州の鎌倉」と呼ばれる別所温泉へと向かいました。

【2006年11月2日(木) 13:30ごろ 上田電鉄 上田駅】

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“鉄”の皆様、お待たせしました(笑)。
別所温泉に行くには、これ。上田電鉄・別所線を利用します。昨年、上田交通から鉄道部門を分社化したのが『上田電鉄』。始発の上田駅は、JR上田駅ターミナルと直結、改札前には、かの“峠の釜めし”で有名な『おぎのや』のうどん・そば売店がありました。061102poster
まだまだ存続の危機にさらされている別所線ですが、今日も元気にお客さんを乗せて走ります。13:49発の電車に乗り、別所温泉に向かいます。
出発の前に・・・駅のホームで、このようなポスターを見かけました。
『そば祭り』と銘打たれたこのポスターを読むと、別所温泉で 翌日(11/3)の11時半から、新そばの無料振る舞いのイベントがあるとか。
早速事前情報として、脳内にインプット。
連れの『そば星人』さんは、超能力で知ってしまったかも知れませんが(笑)。

【同日 14:16分 上田電鉄 別所温泉駅 着】

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30分程度で別所温泉駅に到着、お手軽です(^^)。 061102ueden3
駅舎はなんともレトロな風情、改札の女性駅員さんも袴姿で出迎えてくれます。
駅には、以前この路線で活躍した『丸窓電車』の展示もありました。
“鉄”のお客様、こんな写真でよろしければ、どうぞご自由にお持ち帰りくださって結構です(笑)

 

【同日 15時ごろ 別所温泉界隈】061102asiyu

ぶらぶらと温泉街を散策。するとありました、『足湯ななくり』。“ななくり”とは近くにある『七苦離(ななくり)地蔵尊』に由来。「七つの苦しみから離れる」意は名前そのまま。早速足を浸けました。5分ほど入浴していたしたが、、、ちとぬるい(^^;

足を拭って近くの『北向観音』へ。「善光寺だけでは片参り」と言061102kitamukaiわれ、南向きの善光寺と対を成す『北向観音』として古より信仰を集めています。当然『レッズ優勝』祈願をしました。
ということは?・・・「翌日の予定が決まってしまった」ということですが、何か?(笑)。
また境内には、小説『愛染かつら』で有名な桂の木もあります。ちなみに、作者川口松太郎は北向観音の信者だったそうです。 

061102insen観音堂の参道にあった飲泉場。別所温泉はおおむね単純硫黄泉で、飲泉としても利用されています。観音堂の手水(ちょうず。手を清め洗いする水)も 温泉だったのには驚かされました。これはちょっと珍しいでした。

 

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参道からぶらぶらと谷あいを歩き安楽寺へ。ここには国宝の八角三重塔があります。国内で現存する木造八角塔として唯一のもので、鎌倉時代末期に建立された禅宗様の建築物です。訪れた時間帯の日光の具合があいにくで、良い写真が撮れませんでした、残念。そのかわり境内の紅葉は美しく撮影できました。

【同日 16時ごろ 宿到着】

061102hotel今回の宿は『別所観光ホテル』。北向観音そばの高台にありました。
別所温泉周辺は“松茸”の産地ということを知り、実は「この秋の味覚を逃してなるものか!」との壮大なる野望を持って乗り込んできた、というのが本音だったのでしたヽ(`へ´)ノ。
宿泊プランの『松茸料理コース』を堪能させていただきました。この貧乏人夫婦にとって3年ぶりとなる松茸料理・・・宿代は、リフレッシュ休暇の奨励金が支給されたダンナ持ち(万歳!)。おごちそうさまでした。。。
会社にダンナに感謝 m(_ _)m

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【2006年11月3日(金) 9:30ごろ 石湯】

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宿の温泉には、朝風呂も含め3回入って堪能いたしました。別所温泉は「美人の湯」と言われており、心地よいお肌スベスベ感があります。
2時間前に入浴したのに、宿を出て早速外の温泉に(笑)。
別所温泉には多くの外湯・公衆浴場があり、ここ『石湯』も有名な外湯。真田幸村がよく立ち寄った温泉として『真田太平記』に描かれています。玄関の石碑は、池波正太郎の揮毫。入湯料150円也、激安!
たまたま無人だったので撮影できました。内観はご覧のとおり(女湯)。

【同日 10:30ごろ 常楽寺】

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前日拝観した安楽寺のすぐ近くにあるのですが、明るいうちに訪れたいと翌朝に出直して来ました。ここ常楽寺は、『北向観音』の本坊にあたります。荘重なる茅葺き屋根と質実な建築様式は、鎌倉仏教の影響が表れています。また境内には、国内に2基しかない石造多宝塔(国重要文化財)もあります。
さすが別所温泉は“信州の鎌倉”と言われるだけあり、鄙びたなかにも重厚な歴史の佇まいを残す、落ち着いた大人の温泉地といったところです。
やはりウチら二人は所詮田舎者、こういう田舎らしいところにすんなり馴染めます。

【同日 11時ごろ そば祭り会場】

はいはい、来ました来ました(笑)。
この祭りは、『上田電鉄』と『しなの鉄道』の共同企画で開催(上田市、小諸市、上田観光コンベンション協会ほか協賛)。正式には「信州信濃の蕎麦街道そば祭り」といい、今年が第2回目。今回はこの日が初日(~11/26まで)ということもあり、好天に恵まれ客足も順調な様子。静かな温泉街がにわかに活気づいていました。樽酒の振る舞いや、農産物の直販など、到来客にとってはお得感のあるイベントにウハウハ(笑)。
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われらの目的は、もちろん“そば”v(゜▽゜)v。先着300名の無料振る舞いそば試食の権利を見事ゲットし(笑)、長蛇の列へ参入。
さて、お目当ての“そば”ですが・・・製作側が需要に追いつかず、迅速に大勢の客をさばくために“ざる”で出したり“ぶっかけ”で出したりと、その場の作業効率優先(要は、手元にある器に合わせて)で作ります。なので、客に選択の余地無し、、、タダなので文句は言えましぇん(爆)。私らには“ぶっかけ”がまわってきました。
肝心のお味ですが、打ちたて感たっぷり、ゆで加減もほどよく、新そばの香りほんのり鼻から息吐いて・・・大変美味しゅうございました m(_ _)m

【同日 11時ごろ しなの鉄道 上田駅】

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新そばで締めくくった別所温泉をあとに、別所線にて上田へ。
上田駅の改札を出た向かい側すぐ前に、『しなの鉄道』の改札があります。
『しなの鉄道』と聞くと、ここの前社長は現在SR(埼玉高速鉄道)の社長サンであり、時々美園駅でもお見かけします。そのためか、『しなの鉄道』にはどこか親近感があります。
12:53発の電車にて、一路、長野に向かいます。

 ♪赤い 電車~ 赤い 電車~ 
  前の部分だけ~(笑)

(つづく。次回は「牛に引かれて・・・」です)

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2006/10/05

【AWAY紀行】京都東山散策(3)琵琶湖疎水~南禅寺~八坂祇園

知恩院から三条通に出て、地下鉄東西線の蹴上駅方向へ。
近くにある『琵琶湖疎水』を訪ね、南禅寺で昼食を取り八坂神社へ寄ったあと、祇園を散策の終点とします。

【2006年10月1日(日) 11時すぎ 琵琶湖疎水】061001sosui1

蹴上駅の上に『蹴上浄水場』があります。その水源は琵琶湖の水です。
駅の向かいのレンガ造りの隧道を抜け、右手の坂道を上ると、小さな公園があります。そこは『琵琶湖疎水』の史跡公園です。
『琵琶湖疎水』・・・明治維新後の京都の産業・経済の近代化に多大なる貢献を果たした導水事業です。東京遷都により衰退の061001sosui3危機にあった京都の街を振興させるべく、琵琶湖から引いた水を利用して、日本初の急速ろ過方式浄水場や水力発電所を建設し、飲料水と電力を供給しました。電力はまた、日本初の路面電車を京の街に走らせ、西陣織などの伝統産業を機械化し近代産業へ結びつけました(以下、詳しくはここをご参照ください。また、右案内板写真をクリックすると拡大します)。

061001sosui2 この琵琶湖疎水開通の偉業を成し遂げたのが、当時、大学卒業したばかりの若干23歳の土木技術者・田辺朔朗です。経済的・物理的・技術的な幾多の困難を、「100年先の未来を見据えて」耐え抜きました。その功績は、現在もなお京都の街の生活基盤を支えています。
何故ここに来たかったかと言うと、私は大学で土木工学を専攻し、今でも夫婦ともども関連の仕事に就いているからです。そういうことから、近代土木技術の先駆者である彼の功績を訪ねたいという気持ちは自然と湧いてくるものです。ここ琵琶湖疎水事業と木曽三川宝暦治水事業は、私が今の仕事を選んだ原点です。
十数年ぶりにここを訪れましたが、依然と変わらず人影はまばらです。この街の名勝古刹と比べれば目的がないと訪れる機会がない場所ですが、京都の近代史を知る穴場と言えば穴場です(^^)。
061001inkline 以下、簡単にご案内。
疎水は運河としても機能していました。舟運のため、水位差のある当地での舟移動のための傾斜鉄道“インクライン(。写真左)”と舟の運搬用台車(写真右)です。

061001keage 発電用の水管。
この下に水力発電所(蹴上発電所)があり、関西電力が管轄しています。

先人の遺業に思いを馳せながら、史跡公園を後にして、南禅寺へと向かいます。

【同日 11時半ごろ 臨済宗大本山南禅寺】

061001nanzenji1 雨足が強くなってきましたが、まずはお参りに・・・
ここの山門(三門)は日本三大門ということで、知恩院に同じく誠に見事で壮観な三門です。石川五右衛門の「絶景かな(゜∀゜)」でも有名です。
多くの人が、雨宿りで軒を借りていました。

 
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山門から法堂に向かう参道。
紅葉の時期は、とても画になりそうです。
良い時間になってきたので、お参りを済ませてお昼を。。。

 

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さあ、新撰組に打ち勝った『湯豆腐』の時間です(笑)。
三門すぐ脇にあった『南禅寺御茶所』にて、いざ実食!

 ※詳細は、別エントリにて紹介いたします

あ、、、味ですか?
もちろん「美味しゅうございました」(゜▽゜)

湯豆腐を食べたあと、再び南禅寺境内へ。061001sosui6
もうひとつ行くところがありました。それは琵琶湖疎水の水路橋が境内を通過しているところです。レンガ造りの美しいこの水道橋は『水路閣』と呼ばれています。
「何故南禅寺の境内に(疎水を)通したのか?」という疑問について以前仕事で調べたのですが、「(線形が短いなど)工事上都合が良かったから」という単純な理由だったようで、さらに水路のデザインも特別配慮していなかったようです。「当時は景観な061001sosui7どという考えが無く・・・」という内容のことを 田辺本人が語った記録がありました。“きよぶた”同様、昔の技術はスタンダードに丁寧さと美しさを兼ね備えています。まさに『用・強・美』。古来の風情に近代建造物が絶妙にマッチした奇跡的な佇まいと言えるでしょう。
(写真上は水路閣、写真下は水路閣上部の水路の様子)

午後になり、帰りの新幹線の時間も近づいて来ました。
少し道を急ぎます。

【同日 14時ごろ 八坂神社】

061001yasaka1ここは祇園の守り神として信仰を集めてきたところです。夏の『祇園祭』はあまりにも有名な行事です。
到着した時には、多くの参拝客で賑わっていました。
境内入ってすぐ左の『絵馬舎』という建物の壁に、ひときわ目立つ絵馬が掛けられていました。
読むと「坂田藤十郎襲名披露記念 平成十七年十一月吉日 中村鴈治郎」061001yasaka2
とありました。ああ、そう言えば昨年でしたっけ・・・。
芸人の信仰も厚いことから、他に藤山直美さんの奉納提灯なども境内にありました。

話は戻りますが・・・この神社の前に新撰組は集結し、ここから祇園と木屋町に隊を2手に分けて長州の過激派探索に向かったそうです。いわゆる“池田屋騒動”の出発点となった場所でもありました(木屋町隊が池田屋で発見しました)。

【同日 14時半ごろ 祇園界隈】

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四条通の人混みがひどかったので、ちょっと脇道にそれてみたら、偶然『花見小路』に入ってしまいました。この小路入口の角に有名な『一力(いちりき)亭』があったのは、あとになって知りました(笑)

かつて、大石内蔵助が世間の目を眩ますために茶屋遊びをした、そして近藤勇も西郷隆盛も大久保利通も訪れた、その茶屋のある界隈です。

「歴史は 夜 つくられる」

どうやら散策の最後は、やはり「維新」で締めとなりました。

ぶらぶらとしていたら、もう京都駅に行かねばならない時間になりました。
『南座』脇の京阪四条駅から地下鉄に乗り七条で下車、そこから歩いて駅へと向かいました。

千年の歴史と文化に裏打ちされた、自信に満ちた「格」のある街・京都。
同時に、今でもさまざまな宗教宗派がひとつの街に集積するさまは、現代日本の中で、いや世界の中でも際立つ個性を持った街として、魅力を放ち続けています。

雨に降られて残念な散策でしたが、しっとりとした京の街も悪くないものです。
あとひと月もすれば紅葉に染まり、恐ろしいほどの美しさに包まれた街と化すのでしょう。
紅葉には少し早い今回の旅でしたが、そのかわり、
“ういあー”さんたちが京の街を真っ赤に染めぬいた
そんな10月初旬の旅でした(笑)

わー、歩いた、歩いた、ちかれたびー _| ̄|○ ハアハア・・・

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