聞いただけで、口ずさんだだけで、頬に涙伝う唄-------。
私には、あります。
大正三年 第七高等学校第十四回記念祭歌 『北辰斜めに』
このタイトルを見ただけで「寮歌」とおわかりになる読者の方は、『中年バンザイ!』クラス以上です(笑)
私にとっては母校の唄。自分の青春の代名詞として、人生最愛の唄のひとつです。もし、この世と別れる刹那に何か唄える時間が残されていたとしたら、『We are Diamonds』か、この唄を口ずさむことでしょう。
実は最近、この唄の歌詞をタイトルにした映画が公開されました。
『北辰斜めにさすところ』(監督:神山征二郎、主演:三國連太郎)
これは絶対に観に行かねばならぬと公開中の劇場を探し、最終日寸前だった先週、わざわざ横浜のこちらの映画館まで出向いて見てきました。
#だいたい、公開に気付いたのが最終日3日前という遅さ・・・でも間に合ってヨカッタ(^^;
原作は、室積光の『記念試合』(小学館)。舞台は戦前の旧制高校。第五高等学校(現・熊本大学)と第七高等学校(現・鹿児島大学)の野球対抗試合での因縁対決をベースに、当時の選手、七高の寮生はじめ周囲の人々が、戦争によって引き裂かれた青春時代を回顧しながら、「因縁の対抗戦」を現役大学生に託して再現する、というところが大筋のストーリーですが、作品のテーマは「教育」「青春」「自由」「志」「人間形成」「情熱」「戦争」「平和」などの多岐にわたるキーワードで表されるかと思います。
映画が映画ですので、劇場の観客を見渡すと、、、小さな劇場に20~30人ほど来場していましが、なんと私が一番若輩者(笑)。いずれも白髪交じりの、あるいは杖を携えた「人生の先輩」ばかりで、私ひとりで平均年齢を20歳くらい引き下げているくらい(大げさ)の観客層でした。
自身も戦地に赴き、命からがら引き揚げた経験を持つ三國連太郎さんが語る戦争は、演技という表現が軽々しく思えるほど、迫真そのもの。また主人公(三國)の七高時代の寮の先輩役を演じた緒方直人さん・・・秩父事件を扱った神山作品の前作『草の乱』の主役の際のイメージとは異なる、バンカラ青年を演じたみずみずしさと溌剌さは、とても四十路のそれとは思えませんでした(笑)。他の共演者も三國さんとほぼ同年代のベテラン俳優陣を揃え、青春時代の新鮮さと、人生の年輪を重ねた重厚さを丹念に描いた佳品と言えると思います。
まだ単館で公開中の映画ですので、あまり詳細はご紹介できませんが、やはり“戦争”なしには人生を語れない世代の方々の青春時代を描いている作品ですので、先のキーワードを当てはめれば、やはり「青春」「自由」「戦争」「平和」が作品の主軸となっています。劇中のその描写の場面では、場内からすすり泣く声が多く聞こえてきました。若輩者の私の胸にも、何度となく迫り来るものはありました。
が・・・少し違う観点で、非常に共鳴したところがあったのです。
先のキーワードで言えば、全く別の意味での「戦争」、そして「情熱」の部分です。もっと平易に言えば「ライバル心」でしょうか。
劇中、こんな話がありました。
昔から五高vs.七高の野球定期戦は伝統的に有名で、互いに地元の威信をかけ(肥後と薩摩ですから・・・)、学生応援団だけでなく市民も巻き込み、試合前には幟旗や鳴り物を叩き寮歌を放歌しながら敵地を練り歩き、試合中も白熱した応援合戦が繰りひろげられていたそうです。
>>>どこかで見たことがあるような光景です(笑)
時は大正15年の定期戦、七高が五高に5年連続の勝利をあげ、大いに喜びました。寮歌『北辰斜めに』を大合唱する七高応援団。そこまでは良かったのですが・・・
連勝で調子に乗りすぎた七高応援団は、五高の応援歌である『武夫原頭(ぶふげんとう)に草萌えて』を下品な替え歌にして声高らかに歌ったのです。一旦は両応援団長による話し合いで七高側が詫びたのですが、五高側と熊本市民の腹の虫がそれで治まるわけがなく、約3000人が七高宿舎を取り囲み、憲兵隊(実話では警官隊)まで出動する騒ぎに。
>>>これも、どこかで見たことがあるような光景です(笑)
結局、第三者の仲裁により七高団長が五高側に土下座して再度詫びを入れて「手打ち」とし、この事件を機に、伝統の定期戦は中断されました。
※参考:この話は実話がモチーフとなっています。詳しくはこちら。
時代は平成の世に変わり、、、七高野球部創部百周年を記念し、五高との対抗戦を記念試合として復活させます。当然、双方の現役大学生が代わりに試合をするのですが、前夜祭にて和やかな雰囲気で過ごす若き選手たちに向け、老人たちが鼻息荒げて一喝。
「いいか、これは、“決闘”じゃぞ!」
試合当日。現役選手の主将は試合前、「まぁ、今日は、じいさんたちの記念試合だから・・・」気楽にいこうぜ、と、淡々と試合を進めていたところ、、、試合は“ある出来事”を境に雰囲気が一変。いつの間にか老人たちの『代理戦争』であるだけでなく、現役選手にとっての『因縁試合』へと変貌していき------。
いつの世も、存在が近い者同士の間には、「絶対に負けられない」という思いが存在するものですね。力量が似通っていたりすればなおさらでしょうか。
いつも頭に血を上らせながら、時には激しくぶつかり合い、時にはいがみ合い、時には口も聞かなくなったり・・・
だからと言って、「もうやめましょう」なんて話には、絶対にならない(笑)
そんなふうに、ケンカして、感情をぶつけ合って、それで心が通じ合える関係だってあるわけです。意外とそれは憎しみ合いではなく、単なる「負けず嫌い」「似たもの」同士の反発なのかも知れません。ケンカの最中は非常に疲れてうんざりしても、そんな相手でも、いなくなるととても寂しいもの。相手あっての自分であることに気付けば、おのずと相手への敬意も芽生えます。素直な表現はできないけれども。
どんなに平和な時代が訪れようとも、人間の『闘争本能』は無くなることはありません。だからこそ、スポーツの試合が現代社会に持つ意義の重要性を、いま一度考えるべきではないでしょうか。オリンピックも含め、ともすれば“興行性”に偏りがちな現代スポーツという「イベント」について。
もっと“ライバル”とは、本音でつきあえる素顔の関係でありたいものです。プレーする選手だけではなく、応援する人、市民・国民も含めて。
純粋な「勝負」の中でぶつかり合う闘争心から生まれるコミュニケーションと敬愛の心を、もっと育んでいければ・・・争いごとというものは、ずいぶん少なくなるのではないでしょうか。
闘争本能は、決して「戦争」などの争いだけに向けられるベクトルではない、と、この映画を通じて私なりに感じた次第です。
“ライバル”は、人生に必要な「友」。
その「友」を愛することができれば、“永遠のライバル”になれそうですね。
余談:
「友」という言葉から・・・ひとつご紹介を。
『北辰斜めに』には、唄の前置きに“巻頭言”というものがあり、『北辰・・・』を唄う前に、朗々とこれを叫びます。ここで感極まり涙にむせぶ者も多数(笑)、男泣かせの「必殺技」です。わかりやすく喩えれば、コールリーダーの「檄(アジテーション)」みたいなもので、適度な文節(だいたい、下記の1行ごとぐらい)で区切ったところで、周囲が「押忍(ウォーッス)!)」と呼応します。私がゴール裏に自然に入れたのも、この鍛錬の賜物(?)だったのかも知れません。
映画の冒頭でも、まさに“巻頭言”を緒方直人さんが朗々と放歌するシーンがあり(これがまた、カッコ良くて・・・)、初っ端から不覚にも泣かされ・・・参った、まいった(笑)
『北辰斜めに』 巻頭言
流星落ちて住む処 橄攬(かんらん)の実の熟るる郷 あくがれの南(みんなみ)の国に つどいにし三年の夢短しと 結びも終えぬこの幸を 或ひは饗宴(うたげ)の庭に 或ひは星夜の窓の下に 若い高ろう感情の旋律をもて 思いのままに歌ひ給え 歌は悲しき時の母ともなり うれしき時の友ともなれば いざや歌わんかな、我らが豪気の歌 北辰斜めを いざや舞わんかな、かの国士の舞を
(最後の2行は諸説ありますが、私が現役時代に親しんだ歌詞に合わせました) |
余談その2:
“北辰”とは、北極星のことを指します。
北海道帝国大学予科学生寮(現・北大恵迪寮)には、『都ぞ弥生』という有名な寮歌があります。その歌詞に「おごそかに 北極星を仰ぐかな」の一節がありますが、高緯度の札幌では「仰ぎ見る」北極星は、低緯度の鹿児島では「斜めに差す」ところ、と表現の違いがみられます。こちらに実際に計測した面白い実験結果が掲載されていますので、ご参考までに。
蛇足ながら、不肖ワタクシ北大で3年ほど勤務経験があります(バイトですが)。両校とも天下に名高いバンカラ気質。不思議な縁を感じています。
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