アート日和

2008/06/04

映画『アフタースクール』

久々に、面白い映画を見ました。

080531after-s1

『どうでしょう藩士』としては、見逃せない作品(笑)。
NACK5の『NACK with YOU』で、試写会に行ったDJ・あいざわ元気氏が、
「今日ご紹介する映画なんですが・・・ご紹介できません。とにかく観てください」
と、まことに奇々怪々な映画紹介をされたものですから、余計に観に行きたくなるのが人情(笑)。
実際観てみると・・・あいざわ元ちゃんの発言ごもっとも、な映画でした。

「ここまで書いておいて、ダンマリかいっ!」

との怒声が聞こえて来そうなのですが、、、本当にカンベンしてください(土下座)。
公開中の映画ということもありますが、それ以上に、登場人物の説明だけでもネタばらしになりかねないので、そこは何卒・・・m(_ _)m

080531after-s2ひとつ説明できるとすれば、演じた役者さんのことについて、でしょうか。
物語の中心人物である3人を演じた、大泉洋・佐々木蔵之介、堺雅人は、いずれも舞台演劇出身の役者(それぞれ『TEAM NACS』『惑星ピスタチオ』『東京オレンジ』)、という共通点があり、それぞれ個性的な演技で観客の好奇心をぐいぐい引き込んでくれます。
『どうでしょう藩』大泉の若殿については説明省略(笑)。
佐々木蔵之介さんと堺雅人さんは、ずっと以前、朝ドラの『オードリー』に出演していた頃から興味がありました。佐々木さんがコテコテの時代劇俳優役、堺さんが若き助監督役でしたが、それまで露出度の少ない若手俳優だったこともあり、もちろん新鮮味も感じましたが、それだけでない強烈な個性を放っていました。佐々木さんはその後『白い巨塔』で、堺さんは『新選組!』で一躍有名に。
物語は、まずは佐々木さんの「持ちかけた話」で進みますが、後半は“若殿”と堺さんの役どころが「豹変」します。特に堺さんは、『篤姫』での13代将軍・徳川家定が次第にその実態を明らかにしていく役どころとまさに重なって見えました。

この男性3人と合わせて、常盤貴子さん、田畑智子さんという実力派女優陣が、この物語の“カギ”を握ります。彼女たちの立場が明らかになったとき、「えっ!、あ・・・」という感情がめくるめくように次々と観客に襲いかかってきます。そうなんです、何度も何度も・・・
大人の世界のタテマエとウソ、そんな世界の中でも続いている若き日の友情を、「大人の放課後」として、絶妙に表現しています。
脚本も手がけた内田けんじ監督の鬼才(奇才でもいいか)っぷりには、見事に脱帽でした。

ああ、、、これ以上は、もう書けません(つ;д`)
これ以上書くことは、読者の皆さまへの裏切り行為となってしまいます。

※できるだけ、何の前情報も持たずに、そのまま劇場へ行ってください。
※仮に、映画を観る前にパンフレットを買ってしまった場合、
  「決して読まないでください。」

とにかく、なまら「ダマされました」(笑)
どうぞ皆さまも、心地よく「ダマされて」みてください。

「どうしても」という方のために、映画『アフタースクール』公式サイトは、こちら

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2008/05/14

映画『北辰斜めにさすところ』と“ライバル”

聞いただけで、口ずさんだだけで、頬に涙伝う唄-------。
私には、あります。

 大正三年 第七高等学校第十四回記念祭歌 『北辰斜めに』

このタイトルを見ただけで「寮歌」とおわかりになる読者の方は、『中年バンザイ!』クラス以上です(笑)

私にとっては母校の唄。自分の青春の代名詞として、人生最愛の唄のひとつです。もし、この世と別れる刹那に何か唄える時間が残されていたとしたら、『We are Diamonds』か、この唄を口ずさむことでしょう。
実は最近、この唄の歌詞をタイトルにした映画が公開されました。

 『北辰斜めにさすところ』(監督:神山征二郎、主演:三國連太郎)

これは絶対に観に行かねばならぬと公開中の劇場を探し、最終日寸前だった先週、わざわざ横浜のこちらの映画館まで出向いて見てきました。
 #だいたい、公開に気付いたのが最終日3日前という遅さ・・・でも間に合ってヨカッタ(^^;

原作は、室積光の『記念試合』(小学館)。舞台は戦前の旧制高校。第五高等学校(現・熊本大学)と第七高等学校(現・鹿児島大学)の野球対抗試合での因縁対決をベースに、当時の選手、七高の寮生はじめ周囲の人々が、戦争によって引き裂かれた青春時代を回顧しながら、「因縁の対抗戦」を現役大学生に託して再現する、というところが大筋のストーリーですが、作品のテーマは「教育」「青春」「自由」「志」「人間形成」「情熱」「戦争」「平和」などの多岐にわたるキーワードで表されるかと思います。
映画が映画ですので、劇場の観客を見渡すと、、、小さな劇場に20~30人ほど来場していましが、なんと私が一番若輩者(笑)。いずれも白髪交じりの、あるいは杖を携えた「人生の先輩」ばかりで、私ひとりで平均年齢を20歳くらい引き下げているくらい(大げさ)の観客層でした。

自身も戦地に赴き、命からがら引き揚げた経験を持つ三國連太郎さんが語る戦争は、演技という表現が軽々しく思えるほど、迫真そのもの。また主人公(三國)の七高時代の寮の先輩役を演じた緒方直人さん・・・秩父事件を扱った神山作品の前作『草の乱』の主役の際のイメージとは異なる、バンカラ青年を演じたみずみずしさと溌剌さは、とても四十路のそれとは思えませんでした(笑)。他の共演者も三國さんとほぼ同年代のベテラン俳優陣を揃え、青春時代の新鮮さと、人生の年輪を重ねた重厚さを丹念に描いた佳品と言えると思います。

まだ単館で公開中の映画ですので、あまり詳細はご紹介できませんが、やはり“戦争”なしには人生を語れない世代の方々の青春時代を描いている作品ですので、先のキーワードを当てはめれば、やはり「青春」「自由」「戦争」「平和」が作品の主軸となっています。劇中のその描写の場面では、場内からすすり泣く声が多く聞こえてきました。若輩者の私の胸にも、何度となく迫り来るものはありました。
が・・・少し違う観点で、非常に共鳴したところがあったのです。
先のキーワードで言えば、全く別の意味での「戦争」、そして「情熱」の部分です。もっと平易に言えば「ライバル心」でしょうか。

劇中、こんな話がありました。
昔から五高vs.七高の野球定期戦は伝統的に有名で、互いに地元の威信をかけ(肥後と薩摩ですから・・・)、学生応援団だけでなく市民も巻き込み、試合前には幟旗や鳴り物を叩き寮歌を放歌しながら敵地を練り歩き、試合中も白熱した応援合戦が繰りひろげられていたそうです。

>>>どこかで見たことがあるような光景です(笑)

時は大正15年の定期戦、七高が五高に5年連続の勝利をあげ、大いに喜びました。寮歌『北辰斜めに』を大合唱する七高応援団。そこまでは良かったのですが・・・
連勝で調子に乗りすぎた七高応援団は、五高の応援歌である『武夫原頭(ぶふげんとう)に草萌えて』を下品な替え歌にして声高らかに歌ったのです。一旦は両応援団長による話し合いで七高側が詫びたのですが、五高側と熊本市民の腹の虫がそれで治まるわけがなく、約3000人が七高宿舎を取り囲み、憲兵隊(実話では警官隊)まで出動する騒ぎに。

>>>これも、どこかで見たことがあるような光景です(笑)

結局、第三者の仲裁により七高団長が五高側に土下座して再度詫びを入れて「手打ち」とし、この事件を機に、伝統の定期戦は中断されました。
 ※参考:この話は実話がモチーフとなっています。詳しくはこちら

時代は平成の世に変わり、、、七高野球部創部百周年を記念し、五高との対抗戦を記念試合として復活させます。当然、双方の現役大学生が代わりに試合をするのですが、前夜祭にて和やかな雰囲気で過ごす若き選手たちに向け、老人たちが鼻息荒げて一喝。

「いいか、これは、“決闘”じゃぞ!」

試合当日。現役選手の主将は試合前、「まぁ、今日は、じいさんたちの記念試合だから・・・」気楽にいこうぜ、と、淡々と試合を進めていたところ、、、試合は“ある出来事”を境に雰囲気が一変。いつの間にか老人たちの『代理戦争』であるだけでなく、現役選手にとっての『因縁試合』へと変貌していき------。

 

いつの世も、存在が近い者同士の間には、「絶対に負けられない」という思いが存在するものですね。力量が似通っていたりすればなおさらでしょうか。
いつも頭に血を上らせながら、時には激しくぶつかり合い、時にはいがみ合い、時には口も聞かなくなったり・・・
だからと言って、「もうやめましょう」なんて話には、絶対にならない(笑)
そんなふうに、ケンカして、感情をぶつけ合って、それで心が通じ合える関係だってあるわけです。意外とそれは憎しみ合いではなく、単なる「負けず嫌い」「似たもの」同士の反発なのかも知れません。ケンカの最中は非常に疲れてうんざりしても、そんな相手でも、いなくなるととても寂しいもの。相手あっての自分であることに気付けば、おのずと相手への敬意も芽生えます。素直な表現はできないけれども。

どんなに平和な時代が訪れようとも、人間の『闘争本能』は無くなることはありません。だからこそ、スポーツの試合が現代社会に持つ意義の重要性を、いま一度考えるべきではないでしょうか。オリンピックも含め、ともすれば“興行性”に偏りがちな現代スポーツという「イベント」について。
もっと“ライバル”とは、本音でつきあえる素顔の関係でありたいものです。プレーする選手だけではなく、応援する人、市民・国民も含めて。
純粋な「勝負」の中でぶつかり合う闘争心から生まれるコミュニケーションと敬愛の心を、もっと育んでいければ・・・争いごとというものは、ずいぶん少なくなるのではないでしょうか。

闘争本能は、決して「戦争」などの争いだけに向けられるベクトルではない、と、この映画を通じて私なりに感じた次第です。
“ライバル”は、人生に必要な「友」。
その「友」を愛することができれば、“永遠のライバル”になれそうですね。

 

余談:
「友」という言葉から・・・ひとつご紹介を。
『北辰斜めに』には、唄の前置きに“巻頭言”というものがあり、『北辰・・・』を唄う前に、朗々とこれを叫びます。ここで感極まり涙にむせぶ者も多数(笑)、男泣かせの「必殺技」です。わかりやすく喩えれば、コールリーダーの「檄(アジテーション)」みたいなもので、適度な文節(だいたい、下記の1行ごとぐらい)で区切ったところで、周囲が「押忍(ウォーッス)!)」と呼応します。私がゴール裏に自然に入れたのも、この鍛錬の賜物(?)だったのかも知れません。
映画の冒頭でも、まさに“巻頭言”を緒方直人さんが朗々と放歌するシーンがあり(これがまた、カッコ良くて・・・)、初っ端から不覚にも泣かされ・・・参った、まいった(笑)

         『北辰斜めに』 巻頭言

流星落ちて住む処 橄攬(かんらん)の実の熟るる郷       
あくがれの南(みんなみ)の国に つどいにし三年の夢短しと 
結びも終えぬこの幸を      
或ひは饗宴(うたげ)の庭に 或ひは星夜の窓の下に      
若い高ろう感情の旋律をもて
思いのままに歌ひ給え      
歌は悲しき時の母ともなり  うれしき時の友ともなれば 
いざや歌わんかな、我らが豪気の歌 北辰斜めを
いざや舞わんかな、かの国士の舞を

(最後の2行は諸説ありますが、私が現役時代に親しんだ歌詞に合わせました)

余談その2:
“北辰”とは、北極星のことを指します。
北海道帝国大学予科学生寮(現・北大恵迪寮)には、『都ぞ弥生』という有名な寮歌があります。その歌詞に「おごそかに 北極星を仰ぐかな」の一節がありますが、高緯度の札幌では「仰ぎ見る」北極星は、低緯度の鹿児島では「斜めに差す」ところ、と表現の違いがみられます。こちらに実際に計測した面白い実験結果が掲載されていますので、ご参考までに。
蛇足ながら、不肖ワタクシ北大で3年ほど勤務経験があります(バイトですが)。両校とも天下に名高いバンカラ気質。不思議な縁を感じています。

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2008/02/14

市川崑監督、逝く

2008年2月13日。
日本映画界の巨匠、市川崑監督が亡くなられました。
90歳を過ぎてもなお旺盛な製作意欲をみせ、その情熱からみせる壮健さから、「まだまだ新しい作品が観られる」ものだと期待しておりました。しかし、ご高齢でしたので、「もしも・・・」の覚悟も心の隅には確かにあったのですが。。。

ついに、お別れの時を迎えてしまいました。

子どもの頃から、私の心を今でも捉えて離さない“金田一シリーズ”。
奥様の和田夏十さんと手がけられた筋書きもさることながら、市川作品が醸し出す独特の映像世界は、戦前~戦中~戦後を生き抜いた人間でなければ描けないリアリティと重厚さがあり、金田一シリーズの映像は、その最たるものでした。

もうひとつ、子どもの頃好きだった『木枯らし紋次郎』。
大衆娯楽ドラマでありながら、軽いチャンバラ剣劇ではなく、飾りのない実にリアルな殺陣と映像描写が当時話題を呼んだものです(この流れで映画『股旅』映画を製作、共同脚本が谷川俊太郎)。

かたや。
数多くの文学作品を映画化しつつ、そうかと思えば、「記録映画を超えた芸術映画(?)」で論争を呼んだ『東京オリンピック』を手がけたり、『竹取物語』のようなSF映画を作ってみたり、ムツゴロウ先生・畑正憲と『子猫物語』を監督したり、黒鉄ヒロシのマンガ『新選組』を紙人形で撮ったりと・・・
「この監督の作風は、これ」
と形容し難い、これほど多彩でつかみどころのない映画監督はそうそういないのではないでしょうか。
そんな才能を敬愛・崇拝するファンは数知れず、、、最近では映像美で知られる鬼才・岩井俊二監督が『市川崑物語』という映画を製作したほどです(先日、見逃してしまい残念)。
※2/17追記:
嬉しいことに、スカパー!が2/24(日)に放映を決めてくれました!
『市川崑物語』に引き続き、『犬神家の一族 2006』も連続放送されます。

昨年、新都心のMOVIXで観たセルフリメイク版『犬神家の一族』、これが遺作となってしまいました。さらにこの映画が封切られる前に、ロケ地となった上田の北国街道を訪れたのも、今にして思えばなんという偶然だったのでしょう。

そして、昨年秋にスカパーやNHK-BSで市川崑特集が組まれて集中放映されていたのも、何かしらの“暗示”だったのでしょうか(こちらは幸運にも、鑑賞できました)。

日本の映画界は、計り知れない喪失感に包まれていることでしょう。
ファンとしては、本当に残念で寂しい限りです。
謹んで、市川崑監督のご冥福をお祈り申し上げます。

さらば、昭和のアバンギャルド。

※2/17追記:
昨夜、BS朝日で『どら平太』(2000年)を久々に観ました。
山本周五郎の『町奉行日記』を黒澤明、木下恵介、小林正樹、そして市川崑の“四騎の会”で共同企画・脚本化したものの頓挫し、約30年の年月を経て市川崑のメガホンによってようやく映画化が実現した作品です。
80歳代半ばの作品とは到底思えない、モダンでスタイリッシュな作風にあらためて感服。
役所広司が・・・カッコ良すぎて困ります(笑)。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2008/01/09

奥の細道と海坂藩を訪ねて(2)

前回のつづきです。

冷たい雨に打たれて街をさまよったの・・・などと、どこかで聴いたことのあるフレーズが頭をよぎるほど、東北の師走の雨は甘くありません。ここより温かな関東からやって来た軟弱者夫婦に容赦なく降り注ぐように襲いかかります。
ああ、冷たい雨・・・と思った時、ようやく気付きました。
今日は12月30日、大晦日前日、年の瀬も大詰め。
こんな日の地方都市の商いときたら、、、そう、そうなんです。

 「閉店」
 「閉館」

こんな看板や貼り紙が目白押しの季節。

071230heishindo 丙申堂(へいしんどう)到着。
見事、門前払い..._| ̄|○
向学のために概説を付記しますが、ここ丙申堂は、庄内藩御用商人・風間家が、明治29年に建てた住居兼店舗で、国指定重要文化財に指定されています。この屋敷は、映画『蝉しぐれ』で、ふくが落髪する前の俗世の名残にと、文四郎と再会し昔日を懐かしむ場面のロケで使用されたそうです。
まるで閉門蟄居の気分になりそうな画ですが、テコでも開かないのであれば仕方がありません。とっととあきらめをつけて、歩を進めます。
しかしながら、、、ひどい雨と風にだんだん雪がまじりだし、観光などと暢気な風情ではいられなくなりました(つ;д`)
そして、訪れようとしたところには、ことごとくフラれまくり・・・城の近くにある物産館もすでに「御用納め」。資料館や博物館などの観光施設はたいてい公共施設ですので、当然同様の状態。確実に開いているのは神社やお寺、、、
協議の上、まだ12時でしたが、次第に駅方面に歩き、早めの時間に鶴岡市内を引き上げることを決断しました。

ただそのまま退散するには悔しいので(笑)。
071230tsuruoka4 歩きながらでも何とかネタを拾おうと試みたところ、ありました。
丙申堂の近く(鶴岡幼稚園脇)を流れる小さな堀に、屋敷につながる舟着場がありました。こういうものは、今日まで城内に堀と屋敷が残されたところでないとお目にかかれません。昔の面影が残された風情は、当時の生活の様子などへと想像を掻き立ててくれます。
急遽短き道中となりましたが、少しでも鶴岡=海坂藩の雰囲気に触れようと、道を選んで歩きます。

071230ryuukakuji

 

 

 

 

 

 

龍覚寺、着。
実際の寺名は龍覚寺ですが、『蝉しぐれ』では龍興寺として登場します。
文四郎の父・助左衞門が、藩の世継ぎ騒動に絡んだ反逆の罪で切腹の沙汰を受けた場所として描かれています。物語のはじまりとなる重要な出来事の舞台です。 

071230hannyaji

 

 

 

 

 

 

般若寺、着。
『凶刃 用心棒日月抄』では、実際の寺名を用いています。
TVでは『腕におぼえあり 3』として放送されていました。やむなく脱藩し、国元から送り込まれてくる刺客と対決したり、嫌疑が晴れ帰参が許されたあとも厄介な出来事で密命を受けたり再度脱藩したりと、やたら災難に遭いやすい(笑)主人公・青江又八郎が、江戸を舞台に、用心棒家業に身をやつしながら国元の様子をうかがう日々を描いた作品ですが、この国元の名は桑山藩という名でした。般若寺は、城下で斬られて横死した町人姿の旅の者の亡骸が運ばれた寺として登場します。しかし、その遺体は二日後に忽然と消え---という怪しげな事件から、物語が展開します。

071230chidoukan 商店街に出ると、庄内藩の藩校だった致道館の発祥の地碑がありました(現在の致道館は、鶴岡公園前にあります。東北地方に唯一現存するものとして、国指定史跡を受けています)。
せめてこれなりともカメラに収めようとシャッターを切った瞬間・・・手に持っていた傘が突風で吹き飛ばされ、傘がおシャカとなりました(ノ;д`)
これで事実上、この天候下での鶴岡散策は続けられなくなりました。
嵐のような雨の中、壊れた傘をだましだまし差しながら、ようやく駅まで辿り着きました。

温かく美味しい蕎麦を食べ、列車であつみ温泉まで戻りました。宿に着いたのは、まだ15時半と早い時間でしたが、ここは観念して(笑)宿近くで温泉巡りすることに。こんな日は、こんな過ごし方のほうが良いのでしょう。冷え切った体も充分温まり、疲れも洗い流し、美味しい料理に舌鼓を打ち、良き年の瀬となりました。

鶴岡を訪れたこの日の夜。
宿のTVを見ていたら、某TV局で『武士の一分』が放映されました。海坂藩を訪れた余韻に浸りながら、映画を堪能することができました。
素敵な偶然に、またこの地を訪れたいと思いました。

ということで、、、鶴岡は、リベンジ決定です(笑)

(おわり)

余談:
Uftushin鶴岡の街を歩きながら、ふと『浦和フットボール通信 vol.10(12月号)』の荒井桂先生のコラムを思い出しました。庄内藩士が、敵将だった西郷隆盛の徳を偲んで綴った『南洲翁遺訓』という本が紹介されています。戊辰戦争で降伏謝罪した庄内藩は、中央政府から国替えを命ぜられましたが、嘆願が聞き届けられて国替えは中止となり、その代わり金70万両を納めることに。藩内の人々はこぞって献金につとめ、金30万両を納めたところ、残金は免除という寛大な処置が。その影に西郷隆盛の配慮があったとのこと。
その縁からか、鶴岡と鹿児島は“兄弟都市”なのだそうです。
偶然とは言え、このコラムが掲載された『通信』が発行された月に鶴岡を訪れたことと、自分の故郷の偉人との関係を知り、不思議な縁を感じました。
上記冊子がお手元にありましたら、ご一読くださればと思います。

余談その2:
翌日の大晦日は、、、
まだご記憶に新しいかと存じますが、この暮れは、日本海側は強風で大荒れでした。
土産を買いに再度立ち寄った鶴岡駅で、見事に“足止め”を食らいました。
羽越本線は、一昨年暮れの『いなほ14号』脱線事故のため、荒天時の対応が相当慎重になっています。人の命には替えられませんので致し方なしなのですが、この日は、よりによって大晦日。何が何でも帰宅の途に着かねばならぬと、ダンナが一大決心!071231amarume
鶴岡駅から陸羽西線余目駅まで、タクシーでバキューンと移動。 ((((;゚Д゚)))
鶴岡駅から新潟方面と、鶴岡駅から秋田方面の2箇所、要するに上下線の行く手が運転見合わせとなったため、鶴岡駅は完全に「鉄道の孤島」と化していたのです。ここから脱出するには、もはや羽越本線を回避するしか無く・・・山形行きのバスという選択肢もありましたが、余目駅迂回のほうが時間が早かったため、5800円也と手痛い出費(号泣;)となりましたが、金で時間を買ったと思うことにしました。
ちなみに、余目から新庄に向かう陸羽西線沿線は深い雪で、、、最上川の雪景色が美しゅうございました。
日本海沿岸の強風と言い、内陸部の豪雪と言い、真冬の東北は侮れません。
残りの道中は、新庄から『つばさ』で大宮まで一直線・・・ダンナの“鉄分”の高さが、的確な判断を選択してくれました。感謝です。071231compus

やはり、鉄旅の必携品は『コンパス時刻表』!
これ最強
です。(笑)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/01/08

奥の細道と海坂藩を訪ねて(1)

20071229atsumi1 天皇杯に関係のない年末は、ゆっくりのんびり旅に出ました(棒読み)
冬は冬らしく寒いところで温泉三昧が一番です。仕事も家事もサポート活動も御用納めまでに済ませ、12/29~31日の2泊3日の行程で山形・庄内地方へ旅しました。
少々長いので、2回に分けてご紹介させていただきます。

【あつみ温泉(あつみおんせん) 山形県鶴岡市湯温海 JR羽越本線あつみ温泉駅 徒歩約35分またはタクシー約5分 2007年12月29日 訪】

071229atsumi2このたびは、あつみ温泉をベースキャンプに、庄内藩の城下町・鶴岡を訪ねました。ちなみに、2泊にかけて逗留した宿はこちら。昭和の香りが充満する(笑)古い旅館です が、源泉掛け流しの温泉(硫酸塩泉)は上々。他の浴場も巡りましたが、ここの泉質が一番効能が高いと感じました。料理はカニと鯛メインで、豪華絢爛と言うよりは地味ながら丁寧な仕事ぶりの味。こんなに鯛を食せることも滅多にないと思えるほどいただきました(笑)。
1日目は宿に到着して、周辺の足湯(右写真)などを楽しみながら散策。
2日目、年末のため名物の朝市は今回体験できず残念。
あいにくの荒天でしたが、鶴岡まで足をのばしてみました。

【山形県鶴岡市(やまがたけん つるおかし) JR羽越本線鶴岡駅 2007年12月30日 訪】

071230tsuruoka1 鶴岡と言えば、『海坂(うなさか)藩』------。
ご存じの方も数多いと思います。鶴岡は、時代小説の名手・藤沢周平の故郷であり、彼の作品の舞台として頻繁に描かれている架空の藩=海坂藩のモデルとなっています。弊ブログを平素ご覧いただいている読者の方にはすでにご周知のことと存じますが、私は大の“読書アレルギー”、ダンナは食事をするのを忘れるくらいの“本の虫”。ダンナはほとんどの藤沢作品を読了していることにあわせ、ここ鶴岡には出張で数回訪れており、地域情報にはある程度通じていたので今回はプチガイド役。私は原作は読んでいないものの、最近の藤沢作品ブームの前から、『腕におぼえあり(用心棒日月抄)』『よろずや平四郎活人剣』『蝉しぐれ』などのTVドラマが好きでしたので、鶴岡は、藤沢作品ゆかりの地を辿りながら歩きたい土地のひとつでした。
 #そう言えば、年末までNHKで『風の果て』をやってましたね・・・
  ドラマ化では「池波正太郎のフジテレビ」「藤沢周平のNHK」といったところでしょうか。

071230tsuruoka5駅についてまず目にするものは、この『雪の降る町を』歌碑。作曲家・中山喜直が、鶴岡の雪景色や旅の思い出をメロディーにしたとのこと。毎正時には、あのお馴染みのメロディーが流れます。

 

071230tsuruoka2街では『藩札』が流通しております(笑)。
ところで。
鶴岡の街を歩いていると、いたるところで『庄内』と『荘内』の2つの表現が使い分けられていることに気付きます。
車のナンバーはじめ庄内平野など地域を指す場合は『庄内』、新聞社や銀行、荘内神社など企業や施設・団体等には『荘内』の文字がよく充てられているようです。その使い分けに関する理由や根拠は、ちょっと調べた程度では釈然としないのですが(^^;、古文書に頻繁に登場するのは『庄内』の文字のようです。参考までに、こちらをご覧くださればと思います。

071230basho1 ぶらぶらと駅前通りを歩いていると、『山王日枝神社』に到着。
境内には、松尾芭蕉がかの『奥の細道』紀行の折、出羽三山登拝後にここ鶴岡を訪れた際に詠んだ句碑がありました。

 珍しや 山を出で羽の 初茄子び

「出羽三山の下山」と「出羽国」を絶妙に懸けています。また庄内は小茄子(民田茄子)の名産地ですの071230basho2で、地方色や季節感もわずか17文字に凝縮した、誠に秀逸な一句です。
日枝神社から商店街方面に歩を進めると、『蝉しぐれ』でモチーフとされた内川(小説では“五間川”)に辿り着きます。『秘太刀馬の骨』に登場する大泉橋(小説では“千鳥橋”)のたもとに、芭蕉ゆかりの舟着き場がありました。ここから芭蕉は舟に乗り、内川~赤川~最上川と川を下り、酒田へと向かったそうです。酒田への道中、芭蕉は何を思っただろう・・・そんな想いをかきたててくれます。

071230tsuruoka3大泉橋を渡った先の商店街の歩道には、このような旧町名を表記した石碑がいくつか設置されていました。こういう細かい演出が、城下町そして時代小説のふるさととしての雰囲気づくりに一役買っています。
街並みは、現代的な建物と、懐かしい時代の建物が混在しています。同じ県内だからでしょうか、何かしら米沢を訪れた時の雰囲気に似たものを感じました。

071230tsurusonohashi

 

 

 

 

 

 

鶴ヶ岡城址(現・鶴岡公園と荘内神社)に向かう途中、再び内川を渡ります。
消防署前の鶴園橋の下に、2艘の舟が繋がれていました。『蝉しぐれ』の緊迫するシーンのひとつ、牧文四郎とふくが家老・里村の追手から逃れるために、夜陰に紛れて舟で堀(内川?)づたいに城外へ脱出する場面が自然と連想されました。果たして、この舟はどのような意図でここに係留されていたのか・・・情緒ある風景です。071230miyukibasshi
この鶴園橋を横目に眺めながら、私たちは朱色が目に鮮やかな下流側の『三雪橋』を渡りました。関ヶ原合戦後の1601年、最上義光が鶴ヶ岡城主の代に赤川・内川の河川改修に合わせて架けられた橋で、その後酒井忠勝が庄内藩主となり明治維新までの間、城の大手門に通ずる橋として機能した由緒ある橋だったそうです。現在の恒久橋に架け替えた1963年に、地元の人々が発起して朱塗りの橋になったそうです。

071230church 橋を渡ると、屋敷門の向こうに教会、、、和洋折衷の奇抜な佇まいに目を惹かれました(写真が雨に煙ってしまいました)。
明治の頃に建てられた『鶴岡カトリック教会天主堂』です(国指定重要文化財)。ロマネスク様式教会建築の傑作なのだそうですが、建築はあまり詳しくないので良くわかりません(笑)。堂内に安置されている黒い聖母マリア像は世界的にも珍しく、日本ではここでしか見られないそうです。
中を見学しようとしたのですが、雨足が強くなってきたので、先を急ぐことに。

071230tsurugaoka 鶴ヶ岡城址。現在は荘内神社と鶴岡公園となっています。鶴ヶ岡城は、古くは大宝寺城と呼ばれ、鎌倉から戦国期の長きにわたり、庄内地方を治めていた武藤氏の居城でした。戦国後期から江戸にかけての国替え等により、最上義光→酒井忠勝と当主が変遷し、以降、戊辰戦争の頃まで、庄内の中心地として、譜代の酒井氏が守り継ぎました。解体された本丸跡に荘内神社を建立したそうです。
実はもっと城めぐりと神社めぐりをしたいところだったのですが、師走のみぞれまじりの冷たく激しい風雨が、容赦なく私たちの衣服を濡らしてきたので、散策を断念。荘内神社に年末のご挨拶程度に参拝し、早々に境内を出て、天候の様子をうかがいながら、『蝉しぐれ』の映画ロケ地となった『丙申堂』へと急ぎます。

(つづく)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/12/04

いつまでもどこまでも浦和レッズ

12/2、最終節の翌日。

戦闘服を脱いだ週末。
気分転換に、恵比寿まで出かけました。
恵比寿と言えば、当然ここ↓ですが・・・

071202ebisu1

 

 

 

 

 

 

とりあえず、スルー。
で、どこに行ったのかと言えば、その先の・・・

071202ebisu2

 

 

 

 

 

 

ここ。

  (゜Д゜) ポカ~ン

071202ebisu3 何故、ここに来たかと言うと、、、
ダンナの大学時代の恩師でフランス歌曲の声楽家でもある先生の、クラシック演奏会がここ日仏会館で行われました。
前日、横浜で絶叫していた夫婦には、クラシックなんぞガラにもないのですが(笑)、極端に真逆で嗜好の異なる最高の気分転換の機会に偶然恵まれましたので、足を運ぶことにいたしました。

演奏会は、先生の独唱とピアノ&フルートとの協演による、

 『ドビュッシーの音楽とフランスの詩』

と題してのジョイントコンサートでした。

入場・着席し、演奏会が始まるのを待っていたところ・・・

開始直前、ダンナの大学時代の同級生夫妻が隣席に座りました。お互い軽く挨拶を交わしたのち、すぐに演奏会が始まりましたので、しばし演奏を堪能。

数十分後。
「これより、15分間の休憩時間とさせていただいきます。」
との場内アナウンスがあったので、あらためて隣席の同級生夫妻と挨拶を交わそうとしました。

で。
その同級生氏。
挨拶代わりに、こう、語りかけてきたのです。。。

続きを読む "いつまでもどこまでも浦和レッズ"

| | コメント (13) | トラックバック (1)

2007/10/15

魅惑の『鉄道博物館』

2007年10月14日。
浦和パルコよりも、咲いたまつりよりも、、、
ずっとずっと、私のココロを掴んで離さなかった「あの場所」へ、行ってきました。

 071014railwaym1

 

 

 

 

 

 

 

 

 鉄道博物館。

 キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ッ!!!!

ダンナが午後から出張で出かけてしまい、ひとりぼっちの日曜日。

つまらん。

じゃあ、、、
ってことで、発作的にチャリに乗ること20分あまり。“大成”界隈には『極楽湯』に一度行ったくらいであまり用事もなかった(笑)のですが、これからは足を運ぶ機会が増えそうです。

今回は鉄夫を出し抜いての「お忍び」ですので、ざっと「下見」程度の見学にとどめました。
ですので、今後の楽しみのためにいくつかの施設見学は割愛しております。

以下、個々の展示のご紹介は、「皆さまがお越しになってのお楽しみ」ということで最小限にとどめ(というか、あまりに展示品目が膨大でできません/笑)、私の私見偏見にて気になった展示と館内のだいたいの雰囲気を、写真中心にお伝えできればと思います。

しかし、、、読者の皆さまの中には、
「自分が行くまで楽しみにしておきたい!見たくないっ!」
と仰る方もいらっしゃるでしょうから(お気持ちよくわかります)、その場合は下記の折り畳み部分は読まずこのままサイトごとスルーしていただいても結構ですので、また次回お会いいたしましょう(笑)。
「ちょっとだけ・・・」ご覧になりたいと仰る方は、チラリ見するなりスクロール速度を速めるなりして工夫なさっていただければ幸いに存じます。

そこで・・・私の感想をひとことで表現すると。

悪いことは申しません、
一度は見に行ったほうがよろしいですよ。

では、以下、ご覧になりたい方は、つづきをどうぞ。。。

 

続きを読む "魅惑の『鉄道博物館』"

| | コメント (16) | トラックバック (0)

2007/02/05

『どろろ』から広がる世界

手塚治虫の名作『どろろ』の映画を観てきました。

 ♪ホゲホゲ タラタラ ホゲタラポン~070205dororo1
  #↑正しい歌詞をご存じの方、フォローよろしくお願いします

というアニメの主題歌が『どろろ』の代名詞として、子供の頃から耳にこびりついている、そんなお年頃の私です(たぶん再放送組だと思いますが・・・焦;)。
アニメ作品は、途中でタイトルが変更されています。最初の頃は、手塚作品の原題まま『どろろ』だったのですが、話の中心人物(主人公ではないと思う)が百鬼丸であるため、途中から『どろろと百鬼丸』という題名に変わった、珍しい作品でした。
 #映画公開記念ということで、ちょうど先週、今週とスカパー!で集中放送されています。

原作マンガでもアニメでも、どちらを基にするにせよ「これを実写化できるのだろうか?」と、私は疑問視していました。話の内容も表現しづらい部分もありますし。しかし、最新の映像技術の進化と、現代人の心の荒廃を鑑みれば、

 今こそ、『どろろ』

であると思いました。
ストーリーは、マンガ、アニメ、映画、それぞれに味付けや展開が異なります。それぞれの制作された時代を反映した出来となっていて、それぞれに良さがあります。さりながら、この三者の表現媒体は違っていても、原作の持つテーマはしっかり根底に共有されています。

070205dororo2 映画『どろろ』で一番私が不安視していたのが、「“どろろ”を演じるのが、大人の女性」であることでした。
しかし。
柴崎コウという俳優は、鑑賞者側の固定観念を見事に粉砕してくれました。逆に、子役では“どろろ”の内面を描ききれなかったと思います。彼女の体当たりでありながらも豊かな表現力に、私はぐいぐい引き込まれていきました。
もうひとりの主人公・百鬼丸を演じた、ガスパッチョ・妻夫木聡(関東の方にはわかると思いますが・・・)もハマリ役でした。理不尽な宿命に対する怒りと憂いを見事に表現。“映画人”として活躍する、若手実力派俳優の力量が存分に伝わってきました。
そのふたりを「つなぎ」「見守る」琵琶法師を演じた中村嘉葎雄にいたっては、存在感バツグンの表現力で、若きふたりの脇をしっかり固めていました。
他のキャスティングも文句のつけどころなく(原田美枝子が出てきたときにはクロサワ映画を彷彿とさせましたが/笑)、ストーリーにおいては自己本位な現代人の気質を鋭く抉っています。ワイヤーアクションや特撮技法に話題がいきがちですが、総じて完成度の高い、良い作品でした。久々に爽快感を味わいながら、映画館をあとにしました。

ネタばらしにならない程度に、映画についてはこのへんで。

映画を見終わって。
ふと“妄想”が、頭の中で膨らみだしました。
 #ここまで話が長かったなぁ・・・(笑)

続きを読む "『どろろ』から広がる世界"

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2007/01/10

『犬?家の一族』

ジェフ千葉の某選手の動向について、1月10日16:30現在、まだ正式発表はありません。

何かと落ち着かない状況を過ごされている方々の心を少しでも癒したいと思い、本日当サイトでは、このようなエントリを綴ってみました。

題して。

  『犬家の一族』

※おことわり:
 以下、話題を大きくハズしております。期待された方、どうぞ怒らないでください(詫;
 興味のある方のみ、以下ご閲覧ください・・・

続きを読む "『犬?家の一族』"

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006/11/09

信州の旅(2)刀屋&真田太平記館

北国街道散策のあと、上田市内の池波正太郎ゆかりの場所を探訪しました。
『刀屋』で新そばを堪能しつつ腹ごしらえをして、『真田太平記館』を見学、その後、真田幸村ゆかりの別所温泉へと向かいます。

【2006年11月2日(木) 11:45ごろ 刀屋】

061102katanaya1_1 池波正太郎が上田を訪れると、頻繁にこの店に訪れたことはファンの間では周知の話。ほどんどの池波ファンの観光客は来店するのではないでしょうか。われらも2度目の来店。独特の硬い麺を久々に味わえることを楽しみに、店内へ。

店員サンは観光客慣れしており、「当店のそばの量をご存じですか?」「食べ方をご存じですか?」などなど説明をします。ちなみ061102katanaya2 にそばの量は、もりそばで『小(500円)』『中(550円)』『普通(600円)』『大(800円)』の4段階ありますが、『中』=通常の“普通盛り”、『普通』=通常の“大盛り”なので、知らずに『大』などと注文すると店員サンから前述のような指摘が入ります。
また、注文した品をダラダラ写真撮影していると「お客さん・・・そばがのびますので早くお召し上がり下さい」と注意が飛んできます(笑)。

061102katanaya3 案内された席には、池波正太郎直筆の色紙が飾られていました。
実は、『真田太平記館』に行ったときに知ったのですが、私たちが通された席(玄関側の小上がり)こそ、池波正太郎の“定席”だったということです。ここでも旅の偶然が私たちを楽しませてくれました。

ダンナは『ざるそば@普通(650円)』、私は『真田そば(850円)』をオーダー。
『真田そば』とは、味噌をダシで溶いたつゆで食べるそば。小鉢に味噌があらかじめ入っており、好みの濃さにダシ(かつお味)でのばし、隠し味的に普通のそばつゆを加えて楽しみます。
で、その『真田そば』ですが・・・061102katanaya4
食い意地に勝てず、注文が出てきて即座にガツガツ一心不乱に食らいつきました。
食べ終わって落ち着いた頃になって、
「あ゛っ!写真・・・」 _| ̄|○
と気づいた時点での写真が、これ(→)です。
アフォな私。。。

『刀屋』のそばは斬れる斬れる・・・口の中が血だらけに(笑)。
以前食べたとき、独特の麺の「硬さ」が印象強かったのですが、新そばだったからなのでしょうか、ほどよい硬さと、そばの新鮮な香りで大変美味しゅうございました m(_ _)m
ダンナですが、以前『漬物小僧』であることはご紹介しましたが、実はそれ以前に
『そば星人』でして(笑)、毎日そばを食べても平気な星から来たようです。
そのためか、あまりの食べっぷりの良さに、店員サンから、
「お客様、おかわりはよろしいですか?」
と勧められていました。店内では、ダンナだけが勧められていた模様、お見事!(笑)。

満腹になり落ち着いたところで店を出ました。。。が、入店前と状況が一変し、20人ほどの客が行列を成していました。ほんの少しの時間の違いが差に出た、というところでしょうか。お昼時の定石ですね。『刀屋』を後にし、『真田太平記館』へと向かいます。

【同日 12:20ごろ 池波正太郎真田太平記館】

061102taiheiki1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以前、上田を訪れたときにはなかった施設ですが、平成10年に061102taiheiki2開館したそうです。『池波正太郎真田太平記館』が正式名称。館の名称どおり、長編時代小説『真田太平記』を題材に、真田一族と真田家に仕えた“草の者(忍び)”が織りなす戦国絵巻をわかりやすく紹介した展示資料館です。
来館者には、なんとレンタサイクルのサービス付き(!)
 #知っていれば利用したのに、、、残念
入口にコインロッカーも常備されていて便利かと思いますので、お越しの方はまずはここに立ち寄られてから市内観光をされることをお勧めします。

展示物は登場人物の紹介をはじめ、NHKドラマ制作時の台本や、作者の直筆原稿、愛用の品、単行本の挿絵、真田家の最大の武器でった“草の者”の紹介や小説の世界をビジュアル解説するシアターなどが完備されています。
ひとつの小説がこれほど立派な展示館のテーマになっているのは珍しいといえます。それだけ、全国の池波正太郎ファンだけでなく、上田の人々にも、池波と『真田太平記』が愛されていることが伝わってきます。

061102taiheiki3

 

 

 

 

 

 

 

 

館の案内パンフレットです(※クリックで拡大します)。
池波正太郎の作品は、拙宅にも多く蔵書があり、ダンナはそのすべてを読んでいますが、私は読書が大の苦手(笑)なので、『真田太平記』も全12巻の半分の6巻で挫折しています。ただし、20年ほど前にNHKで放送 されたドラマ(昨年スカパーでも再放送)をリアルタイムで視聴していましたので、だいたいのストーリーは知っており、館内展示物の内容については短い時間で理解しやすかったので助かりました(^^;

館内はまた、『真田太平記』のみでなく、『仕掛人藤枝梅安』『剣客商売』『鬼平犯科帳』など池波正太郎の錚々たる代表作についての解説や展示もあり、興味深く大変楽しめました。さらに彼の自筆画も数点展示されており、『茶めし売り』などの作品は画家としての彼の才能をいかんなく発揮しています。
またこの日は、『池波正太郎の信州-その足跡をたどる』という写真展も開催されており、“食客”で名高い彼らしく、かの『刀屋』や市内の馴染みの店でのエピソードなども紹介されていました。061102taiheiki4

“池波ワールド”を充分に堪能したあとは、館内のショップへ。
やはりここに来たからは、、、ということで“六文銭”グッズ(コースター)をゲット。紅い花瓶敷きとともに購入(上田つむぎ製品)。

池波正太郎は、生まれた歳に関東大震災で被災した経験を持っているそうです。
疎開のため、1歳~6歳の間浦和に住んでいた、ということを、このたび初めて知りました。
実は、このことを書きたかったのです、、、長文駄文大変失礼しましたっ!(笑)

旅の偶然を、ここでもまた楽しむことができました。

“心の栄養”をつけたあとは、上田駅へ戻り、“体の栄養”をつけに別所温泉へ向かいます。
(つづく)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧