たびたび

2009/10/08

中山道中膝栗毛@いよいよ最終章

昨年1月、日本橋から歩き始めた中山道の旅も、ついに残り五十数㎞となりました。

20090921minoohmi

9月の連休、等々力での勝利を見届けた翌日、加納宿(岐阜市)へと向かい、そこからとぼとぼ歩いて西進、木曽三川を越え、関ヶ原を通り、ついに美濃国から近江国へと入りました(この溝の部分が国境です)。
現在、愛知川宿(滋賀県愛荘町)まで歩いています。

今週末の連休で、長かった中山道の旅に終止符を打ちます。
終点である京・三条大橋を目指して、残りの道程を一歩一歩踏みしめて参りたいと思います。

途中の道中記がまだ埼玉県内までしかご報告してないのに、旅の終わりを予告することとなり甚だ遺憾ではございますが(笑)、無事に三条大橋に到着いたしましたら、簡単にでもご報告させていただだきます。
全国約十数名のこの道中記の読者の皆さま、どうぞお楽しみに。

松本へ参戦されるサポの皆さま、わが家の分までサポートをお願いいたしますm(_ _)m
必勝を祈願して、歩かせていただきます。

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2009/09/10

遠征の楽しみ・・・それは『国盗り』(・∀・)b

月に1度の更新ペースにも慣れ(殴)、すっかり休眠サイトとなりましたこちら中年バンザイ@nigoeですみなさまごきげんうるわしゅう。

この夏は、さっぱり勝てませんでしたね。
秋になった途端、ようやく勝ったという報もありましたがw
いままで出来ていたことが、途端に出来なくなるという頭の痛い現状。気温の上昇に比例するようにパフォーマンスが低下するのは、このお方とも無縁ではなさそうですが、、、
まぁ、今日はそんなお話しは置いといて。
リハビリ程度の軽い話題のご提供を。

普段、電脳系ゲームとは親しみのない生活を送っている主婦ですが、昨年暮れからハマっているゲームがあります。

 『ケータイ国盗り合戦』(PC案内サイト)

大手地図サイト・マピオンとJRがタイアップして、最近の戦国ブームにうまく便乗した格好の携帯電話ゲームコンテンツです。

しかも、「タダ。」 ←主婦への殺し文句 
(※注:当然ですが、通信料はかかります)

今年のアウェイ遠征や中山道遠征など、とにかく出かける機会があるごとに『国盗り』に夢中になっています。万博に行くのに、岐阜から在来線に乗り、米原を経由して湖北回りで向かうという、いい大人にこんな手の込んだ酔狂なことまでさせてしまう魅力がある(笑)のが、このゲーム。

内容はいたってシンプル。600もの『国』に分割された日本全国を統一することを目的としています。携帯電話の位置情報システムを利用して、実際に全国各地の『国』を訪れて、『国』を攻略するだけ。
操作も簡単。ゲームに参加して『マイページ』を開設したら、攻略したい国に実際に行き、現地で“国盗りボタン”を「ポチッとな」と押すだけで、国を“統一”できます。
端的に言えば、携帯電話を使った、“現代版スタンプラリー”です。“統一国”の増加に伴い出世もでき、“コバン”(軍資金)も増えて、アバターへ武器などを装備することもできます。また、『SNS』機能もありますので、「お友だち」の紹介や、「お友だち」の戦況もうかがえます。
そして、もうひとつの楽しみとして、毎日出題される『クイズ』があります。戦国時代にちなんだ内容で、これが楽勝問題から難解な問題まで幅広くあります。最初の頃は持ち合わせた知識と勘で回答していたのですが、最近は必ず調べものをしてから答えています。遊びながら毎日歴史を学べるので、これも魅力となっています。

操作自体は子供でも出来る簡単なゲームですが、なにぶん交通費がかかり経済力や広範な活動力が必要なため、参戦“武将”は圧倒的に大人が多いようです。
特に、「出張サラリーマン」の方。
この夏、秋葉原でこのゲームのイベントがあったのですが、集まったのはリーマンだらけ(笑)。やはり趣味と実益を兼ね(ry

一度、この『国盗り』の世界にハマると止められなくなりますので、ご参戦の前にはよくよくご検討&お覚悟を召されることをおすすめいたします。
ゲームに参戦していないワタシのダンナまで、ワタシの天下統一が進むよう、あれこれ路線プランを練ってくれるほどになりました。同行者まで夢中にさせる、恐ろしいゲームです。最近、国盗りのための攻略本(下記リンク参照)も出版され、付録の白地図に、統一済みの国を赤鉛筆で塗りつぶし、ささやかな征服感を味わうのが楽しみで楽しみで・・・(◎´∀`)ノ
ちなみに本日現在、nigoeは197カ国を統一しております(武将名はnigoeに非ず。ふふふ、何でしょう?)。

都市圏にお住まいの方は、最初のうちは、電車に乗っただけで、面白いように次々と国が盗れます。特に首都圏ですと、笑いが止まらないくらい(´∀`)アハハハハ・・・
しかし、当たり前ですが、近くの国を盗れば盗るほど、遠くに行かざるを得ねばならず・・・これがこのゲームの魔力のようです。

出張サラリーマンの方はもとより、『乗り鉄』の方、『道の駅スタンプラリー』が趣味の方、放浪癖のある方、戦国好きの方、アウェイ遠征好きな『うぃあー』の方、、、適性は充分お持ちと存じますが、「それゆえに」(笑)くれぐれもご注意ください。

以上、アウェイ遠征の新しい楽しみ方ということで、ご紹介させていただきました。
さてさて残るアウェイは・・・と、川崎と新潟と調布と京都、、、だけ!? ((((;゚Д゚)))ガーン!
もっと早い時期にご紹介すべきでしたね、失礼しましたm(_ _)m

ひとりごと:
そうそう、天皇杯を全戦参戦すれば・・・(以下自粛)。

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2008/05/28

旅の“一発ネタ”@仙台編

この週末、豊田に参戦できませんでした。
現地へサポートに行かれた皆さま、本当にお疲れ様でしたm(_ _)m
ナビ杯@名古屋戦については、遅まきながら録画観戦いたしました。しかしながら、現地にも行けず録画参戦、さらに本日は水曜日・・・とあってはあれこれ論ずる立場でもないうえに時機を失してしまいましたので、今回の観戦記はパスさせていただくことにいたしました。

その代わりと言っては何ですが。

実は、先週半ばよりダンナの単身赴任地@仙台に滞在しておりました。
赴任以来、毎週末さいたまに戻って、アウェイも含めほぼ毎節参戦の日々でしたので、会社と部屋の往復路以外、当然仙台の街を知らず(笑)。
これでは生活もままならぬと、仙台の街や周辺を探訪することに。
ワタシもダンナの生活ぶりが心配でしたので、飯炊きと部屋の掃除がてら、仙台の街およびその周辺を訪ねることにいたしました。

050524matsushima1

少し仙台から足を延ばすと。。。
電車で30分足らずで、景勝地・松島にも行けます。

 松島や あゝ松島や 松島や (芭蕉)

残念ながら天候悪く、、、良好な眺めを得ることはできませんでしたorz...
ちなみに、『奥の細道』を踏破する予定は、現在のところございません。

さて、お話を仙台市内に戻して。。。
080525zuihoden1東北を代表する大都会・仙台。かつて戦災を受けたとは言え、街には城下町の風情もそこかしこに残されております。都会でありな がらも落ち着いた雰囲気があり、人々の所作にもそんな品格を感じさせるものがあります。

そして仙台と言えば、伊達家。伊達家三代の廟所のある瑞鳳殿からぶらぶらと、東北大の周辺を散策していたところ、、、

まさか、「こんなところ」で「こんなもの」に出会うとは、思ってもみませんでした・・・

 

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2008/01/10

旅の“一発ネタ”@鶴岡編

旅は道連れ世は情け。
鶴岡紀行が終わったところで・・・“一発ネタ”写真集です(笑)

今回、鶴岡で、ちょっぴり小ネタを拾いました。
あくまでも“一発ネタ”ですので、

 「だからなんだ?」

と言われてもワタシは困ってしまいます(笑)。
何卒、寛容さとご理解のほどを、、、(^^;

閲覧による「ウケる」「ウケない」は、自己責任にて(笑)、よろしくお願いいたします。

では1発目、、、

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2008/01/09

奥の細道と海坂藩を訪ねて(2)

前回のつづきです。

冷たい雨に打たれて街をさまよったの・・・などと、どこかで聴いたことのあるフレーズが頭をよぎるほど、東北の師走の雨は甘くありません。ここより温かな関東からやって来た軟弱者夫婦に容赦なく降り注ぐように襲いかかります。
ああ、冷たい雨・・・と思った時、ようやく気付きました。
今日は12月30日、大晦日前日、年の瀬も大詰め。
こんな日の地方都市の商いときたら、、、そう、そうなんです。

 「閉店」
 「閉館」

こんな看板や貼り紙が目白押しの季節。

071230heishindo 丙申堂(へいしんどう)到着。
見事、門前払い..._| ̄|○
向学のために概説を付記しますが、ここ丙申堂は、庄内藩御用商人・風間家が、明治29年に建てた住居兼店舗で、国指定重要文化財に指定されています。この屋敷は、映画『蝉しぐれ』で、ふくが落髪する前の俗世の名残にと、文四郎と再会し昔日を懐かしむ場面のロケで使用されたそうです。
まるで閉門蟄居の気分になりそうな画ですが、テコでも開かないのであれば仕方がありません。とっととあきらめをつけて、歩を進めます。
しかしながら、、、ひどい雨と風にだんだん雪がまじりだし、観光などと暢気な風情ではいられなくなりました(つ;д`)
そして、訪れようとしたところには、ことごとくフラれまくり・・・城の近くにある物産館もすでに「御用納め」。資料館や博物館などの観光施設はたいてい公共施設ですので、当然同様の状態。確実に開いているのは神社やお寺、、、
協議の上、まだ12時でしたが、次第に駅方面に歩き、早めの時間に鶴岡市内を引き上げることを決断しました。

ただそのまま退散するには悔しいので(笑)。
071230tsuruoka4 歩きながらでも何とかネタを拾おうと試みたところ、ありました。
丙申堂の近く(鶴岡幼稚園脇)を流れる小さな堀に、屋敷につながる舟着場がありました。こういうものは、今日まで城内に堀と屋敷が残されたところでないとお目にかかれません。昔の面影が残された風情は、当時の生活の様子などへと想像を掻き立ててくれます。
急遽短き道中となりましたが、少しでも鶴岡=海坂藩の雰囲気に触れようと、道を選んで歩きます。

071230ryuukakuji

 

 

 

 

 

 

龍覚寺、着。
実際の寺名は龍覚寺ですが、『蝉しぐれ』では龍興寺として登場します。
文四郎の父・助左衞門が、藩の世継ぎ騒動に絡んだ反逆の罪で切腹の沙汰を受けた場所として描かれています。物語のはじまりとなる重要な出来事の舞台です。 

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般若寺、着。
『凶刃 用心棒日月抄』では、実際の寺名を用いています。
TVでは『腕におぼえあり 3』として放送されていました。やむなく脱藩し、国元から送り込まれてくる刺客と対決したり、嫌疑が晴れ帰参が許されたあとも厄介な出来事で密命を受けたり再度脱藩したりと、やたら災難に遭いやすい(笑)主人公・青江又八郎が、江戸を舞台に、用心棒家業に身をやつしながら国元の様子をうかがう日々を描いた作品ですが、この国元の名は桑山藩という名でした。般若寺は、城下で斬られて横死した町人姿の旅の者の亡骸が運ばれた寺として登場します。しかし、その遺体は二日後に忽然と消え---という怪しげな事件から、物語が展開します。

071230chidoukan 商店街に出ると、庄内藩の藩校だった致道館の発祥の地碑がありました(現在の致道館は、鶴岡公園前にあります。東北地方に唯一現存するものとして、国指定史跡を受けています)。
せめてこれなりともカメラに収めようとシャッターを切った瞬間・・・手に持っていた傘が突風で吹き飛ばされ、傘がおシャカとなりました(ノ;д`)
これで事実上、この天候下での鶴岡散策は続けられなくなりました。
嵐のような雨の中、壊れた傘をだましだまし差しながら、ようやく駅まで辿り着きました。

温かく美味しい蕎麦を食べ、列車であつみ温泉まで戻りました。宿に着いたのは、まだ15時半と早い時間でしたが、ここは観念して(笑)宿近くで温泉巡りすることに。こんな日は、こんな過ごし方のほうが良いのでしょう。冷え切った体も充分温まり、疲れも洗い流し、美味しい料理に舌鼓を打ち、良き年の瀬となりました。

鶴岡を訪れたこの日の夜。
宿のTVを見ていたら、某TV局で『武士の一分』が放映されました。海坂藩を訪れた余韻に浸りながら、映画を堪能することができました。
素敵な偶然に、またこの地を訪れたいと思いました。

ということで、、、鶴岡は、リベンジ決定です(笑)

(おわり)

余談:
Uftushin鶴岡の街を歩きながら、ふと『浦和フットボール通信 vol.10(12月号)』の荒井桂先生のコラムを思い出しました。庄内藩士が、敵将だった西郷隆盛の徳を偲んで綴った『南洲翁遺訓』という本が紹介されています。戊辰戦争で降伏謝罪した庄内藩は、中央政府から国替えを命ぜられましたが、嘆願が聞き届けられて国替えは中止となり、その代わり金70万両を納めることに。藩内の人々はこぞって献金につとめ、金30万両を納めたところ、残金は免除という寛大な処置が。その影に西郷隆盛の配慮があったとのこと。
その縁からか、鶴岡と鹿児島は“兄弟都市”なのだそうです。
偶然とは言え、このコラムが掲載された『通信』が発行された月に鶴岡を訪れたことと、自分の故郷の偉人との関係を知り、不思議な縁を感じました。
上記冊子がお手元にありましたら、ご一読くださればと思います。

余談その2:
翌日の大晦日は、、、
まだご記憶に新しいかと存じますが、この暮れは、日本海側は強風で大荒れでした。
土産を買いに再度立ち寄った鶴岡駅で、見事に“足止め”を食らいました。
羽越本線は、一昨年暮れの『いなほ14号』脱線事故のため、荒天時の対応が相当慎重になっています。人の命には替えられませんので致し方なしなのですが、この日は、よりによって大晦日。何が何でも帰宅の途に着かねばならぬと、ダンナが一大決心!071231amarume
鶴岡駅から陸羽西線余目駅まで、タクシーでバキューンと移動。 ((((;゚Д゚)))
鶴岡駅から新潟方面と、鶴岡駅から秋田方面の2箇所、要するに上下線の行く手が運転見合わせとなったため、鶴岡駅は完全に「鉄道の孤島」と化していたのです。ここから脱出するには、もはや羽越本線を回避するしか無く・・・山形行きのバスという選択肢もありましたが、余目駅迂回のほうが時間が早かったため、5800円也と手痛い出費(号泣;)となりましたが、金で時間を買ったと思うことにしました。
ちなみに、余目から新庄に向かう陸羽西線沿線は深い雪で、、、最上川の雪景色が美しゅうございました。
日本海沿岸の強風と言い、内陸部の豪雪と言い、真冬の東北は侮れません。
残りの道中は、新庄から『つばさ』で大宮まで一直線・・・ダンナの“鉄分”の高さが、的確な判断を選択してくれました。感謝です。071231compus

やはり、鉄旅の必携品は『コンパス時刻表』!
これ最強
です。(笑)

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2008/01/08

奥の細道と海坂藩を訪ねて(1)

20071229atsumi1 天皇杯に関係のない年末は、ゆっくりのんびり旅に出ました(棒読み)
冬は冬らしく寒いところで温泉三昧が一番です。仕事も家事もサポート活動も御用納めまでに済ませ、12/29~31日の2泊3日の行程で山形・庄内地方へ旅しました。
少々長いので、2回に分けてご紹介させていただきます。

【あつみ温泉(あつみおんせん) 山形県鶴岡市湯温海 JR羽越本線あつみ温泉駅 徒歩約35分またはタクシー約5分 2007年12月29日 訪】

071229atsumi2このたびは、あつみ温泉をベースキャンプに、庄内藩の城下町・鶴岡を訪ねました。ちなみに、2泊にかけて逗留した宿はこちら。昭和の香りが充満する(笑)古い旅館です が、源泉掛け流しの温泉(硫酸塩泉)は上々。他の浴場も巡りましたが、ここの泉質が一番効能が高いと感じました。料理はカニと鯛メインで、豪華絢爛と言うよりは地味ながら丁寧な仕事ぶりの味。こんなに鯛を食せることも滅多にないと思えるほどいただきました(笑)。
1日目は宿に到着して、周辺の足湯(右写真)などを楽しみながら散策。
2日目、年末のため名物の朝市は今回体験できず残念。
あいにくの荒天でしたが、鶴岡まで足をのばしてみました。

【山形県鶴岡市(やまがたけん つるおかし) JR羽越本線鶴岡駅 2007年12月30日 訪】

071230tsuruoka1 鶴岡と言えば、『海坂(うなさか)藩』------。
ご存じの方も数多いと思います。鶴岡は、時代小説の名手・藤沢周平の故郷であり、彼の作品の舞台として頻繁に描かれている架空の藩=海坂藩のモデルとなっています。弊ブログを平素ご覧いただいている読者の方にはすでにご周知のことと存じますが、私は大の“読書アレルギー”、ダンナは食事をするのを忘れるくらいの“本の虫”。ダンナはほとんどの藤沢作品を読了していることにあわせ、ここ鶴岡には出張で数回訪れており、地域情報にはある程度通じていたので今回はプチガイド役。私は原作は読んでいないものの、最近の藤沢作品ブームの前から、『腕におぼえあり(用心棒日月抄)』『よろずや平四郎活人剣』『蝉しぐれ』などのTVドラマが好きでしたので、鶴岡は、藤沢作品ゆかりの地を辿りながら歩きたい土地のひとつでした。
 #そう言えば、年末までNHKで『風の果て』をやってましたね・・・
  ドラマ化では「池波正太郎のフジテレビ」「藤沢周平のNHK」といったところでしょうか。

071230tsuruoka5駅についてまず目にするものは、この『雪の降る町を』歌碑。作曲家・中山喜直が、鶴岡の雪景色や旅の思い出をメロディーにしたとのこと。毎正時には、あのお馴染みのメロディーが流れます。

 

071230tsuruoka2街では『藩札』が流通しております(笑)。
ところで。
鶴岡の街を歩いていると、いたるところで『庄内』と『荘内』の2つの表現が使い分けられていることに気付きます。
車のナンバーはじめ庄内平野など地域を指す場合は『庄内』、新聞社や銀行、荘内神社など企業や施設・団体等には『荘内』の文字がよく充てられているようです。その使い分けに関する理由や根拠は、ちょっと調べた程度では釈然としないのですが(^^;、古文書に頻繁に登場するのは『庄内』の文字のようです。参考までに、こちらをご覧くださればと思います。

071230basho1 ぶらぶらと駅前通りを歩いていると、『山王日枝神社』に到着。
境内には、松尾芭蕉がかの『奥の細道』紀行の折、出羽三山登拝後にここ鶴岡を訪れた際に詠んだ句碑がありました。

 珍しや 山を出で羽の 初茄子び

「出羽三山の下山」と「出羽国」を絶妙に懸けています。また庄内は小茄子(民田茄子)の名産地ですの071230basho2で、地方色や季節感もわずか17文字に凝縮した、誠に秀逸な一句です。
日枝神社から商店街方面に歩を進めると、『蝉しぐれ』でモチーフとされた内川(小説では“五間川”)に辿り着きます。『秘太刀馬の骨』に登場する大泉橋(小説では“千鳥橋”)のたもとに、芭蕉ゆかりの舟着き場がありました。ここから芭蕉は舟に乗り、内川~赤川~最上川と川を下り、酒田へと向かったそうです。酒田への道中、芭蕉は何を思っただろう・・・そんな想いをかきたててくれます。

071230tsuruoka3大泉橋を渡った先の商店街の歩道には、このような旧町名を表記した石碑がいくつか設置されていました。こういう細かい演出が、城下町そして時代小説のふるさととしての雰囲気づくりに一役買っています。
街並みは、現代的な建物と、懐かしい時代の建物が混在しています。同じ県内だからでしょうか、何かしら米沢を訪れた時の雰囲気に似たものを感じました。

071230tsurusonohashi

 

 

 

 

 

 

鶴ヶ岡城址(現・鶴岡公園と荘内神社)に向かう途中、再び内川を渡ります。
消防署前の鶴園橋の下に、2艘の舟が繋がれていました。『蝉しぐれ』の緊迫するシーンのひとつ、牧文四郎とふくが家老・里村の追手から逃れるために、夜陰に紛れて舟で堀(内川?)づたいに城外へ脱出する場面が自然と連想されました。果たして、この舟はどのような意図でここに係留されていたのか・・・情緒ある風景です。071230miyukibasshi
この鶴園橋を横目に眺めながら、私たちは朱色が目に鮮やかな下流側の『三雪橋』を渡りました。関ヶ原合戦後の1601年、最上義光が鶴ヶ岡城主の代に赤川・内川の河川改修に合わせて架けられた橋で、その後酒井忠勝が庄内藩主となり明治維新までの間、城の大手門に通ずる橋として機能した由緒ある橋だったそうです。現在の恒久橋に架け替えた1963年に、地元の人々が発起して朱塗りの橋になったそうです。

071230church 橋を渡ると、屋敷門の向こうに教会、、、和洋折衷の奇抜な佇まいに目を惹かれました(写真が雨に煙ってしまいました)。
明治の頃に建てられた『鶴岡カトリック教会天主堂』です(国指定重要文化財)。ロマネスク様式教会建築の傑作なのだそうですが、建築はあまり詳しくないので良くわかりません(笑)。堂内に安置されている黒い聖母マリア像は世界的にも珍しく、日本ではここでしか見られないそうです。
中を見学しようとしたのですが、雨足が強くなってきたので、先を急ぐことに。

071230tsurugaoka 鶴ヶ岡城址。現在は荘内神社と鶴岡公園となっています。鶴ヶ岡城は、古くは大宝寺城と呼ばれ、鎌倉から戦国期の長きにわたり、庄内地方を治めていた武藤氏の居城でした。戦国後期から江戸にかけての国替え等により、最上義光→酒井忠勝と当主が変遷し、以降、戊辰戦争の頃まで、庄内の中心地として、譜代の酒井氏が守り継ぎました。解体された本丸跡に荘内神社を建立したそうです。
実はもっと城めぐりと神社めぐりをしたいところだったのですが、師走のみぞれまじりの冷たく激しい風雨が、容赦なく私たちの衣服を濡らしてきたので、散策を断念。荘内神社に年末のご挨拶程度に参拝し、早々に境内を出て、天候の様子をうかがいながら、『蝉しぐれ』の映画ロケ地となった『丙申堂』へと急ぎます。

(つづく)

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2007/10/12

【AWAY紀行】まほろばを訪ねて(3)東大寺二月堂編

真夏の紀行文を、こんな秋まで引っぱってしまいました(詫;

かなり間が空いてしまいましたが、

 「大和は国のまほろば」

平城の都・奈良のトボトボ歩き紀行の第3話です。
 #(1)三条通~興福寺編はこちら、(2)東大寺大仏殿編はこちらをどうぞ。

【 2007年8月16日 11:50ごろ 大鐘(鐘楼)付近】

070816tamukeyama1

前回の“東大寺大仏殿編”につづき、今回は、東大寺境内の東方、若草山麓を訪ねます。手向山八幡宮の参道鳥居の手前から左手の坂道を登ります。

 

 

070816nigatudo1

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石段の向こうに鐘楼が見えてきました。鐘楼周辺の広場は、大仏殿の人混みと対照的に驚くほど静寂。このような静謐をかような場所にこそ求めたいものです。しばし静けさに心を委ねたのち、近くの茶店で中食。きつねうどんを注文。観光地の中心地ゆえ少々高価でしたが、期待どおりの素朴な味で満足。
茶店を出て、さらに炎天下の緩い石段を登っていきます。 

【 同日 12:20ごろ 上院(若草山麓)

070816sangatudo1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石段を登ると、空間が開けました。石段正面から最初に見えてきたのが法華堂(三月堂)、奥に二月堂、写真右にフレームアウトしていますが、三昧堂(四月堂)があります。

070816sanshigatudo

 

 

 

 

 

左写真が法華堂(三月堂)、右写真が三昧堂(四月堂)。
このあたりは東大寺の起源とされる金鐘寺があった場所とされています。金鐘寺には、8世紀半ばに羂索(けんじゃく)堂、千手堂が存在したことを示す記録があり、このうち羂索堂が現在の法華堂を指すと見られています。
法華堂(本尊は不空羂索観音)は、毎年陰暦三月に法華会が行われることから、三月堂とも呼ばれています。天平仏の宝庫として知られ、743年までには完成していたと思われています。参道から向かって左(北)側の仏像が安置されている棟が天平時代の建築で、右(南)側の礼堂部分は鎌倉時代の1199年頃に老朽化のため再建したものとのこと。
三昧堂(本尊は千手観音像)は、毎年陰暦四月に法華三昧が行われることから、四月堂とも呼ばれています。木材部分には朱塗りが施されています。撮影時に、何ぞ願い事でもあったのか、ちょうど鹿がお参りに来ておりました。
時間がいよいよ迫ってきたので、さっと見回して二月堂へと向かいます。

【 同日 12:30ごろ 二月堂】

070816nigatudo3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

070816nigatudo4陰暦二月に“お水取り”で有名な『修二会(しゅにえ)』が行われることから、二月堂と呼ばれています。中世までの戦火からは辛うじて免れてきたものの、江戸時代(1667年)の“お水取り”の最中に失火してしまい、現存するのはその2年後に再建されたものだそうです。
一般に二月堂の修二会は“お水取り”“お松明”が代名詞となっていますが、他の修二会との区別のために『東大寺修二会』(Wikipedia)と称されることもあります(他に薬師寺修二会[花会式]、新薬師寺修二会[おたいまつ]、法隆寺修二会、長谷寺修二会[だだおし]などあり)。

東大寺の『修二会』の法要は、正しくは『十一面悔過(じゅういちめんけか)』と呼ばれるそうです。本尊は大観音(おおがんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、何人も見ることを許されない絶対秘仏とのこと。「天下泰平」「五穀豊穣」「万民快楽(ばんみんけらく)」などを願い、天下万民になり代わり懺悔(さんげ)の行を勤めるものです。前行(2月20日~28日)、本行(3月1日~14日)をあわせてほぼ1ヶ月、準備期間を加えれば3ヶ月にも及ぶ大きな法要となります(参考:東大寺HP
大仏殿では国家権力や国体維持などの独特の政治色を感じさせるものがありましたが、ここはやはり華厳宗の大本山らしい国家安寧を願う宗教色と、国家守護の寺・東大寺を感じさせてくれます。

070816nigatudo5

春寒の弥生三月花まだき
君の肩にはらり 良弁椿
ここは東大寺 足早にゆく人垣の
誰となく独白く南無観世音 折から名残り雪

二月堂と聞いて、またも思い起こされるのは、うぃあーソングライター・さだまさし大先生の名曲『修二会』。まさにここ二月堂と修二会をモチーフに男女の愛の脆さと儚(はかな)さを描いた、『まほろば』と双璧の作品です。
真夏で甚だ季節外れなのですが(笑)、この唄の世界に思いを馳せながら、静寂に佇む二月堂を訪ねることに。

070816nigatudo7君の手は既に 凍り尽くして居り
その心 ゆらり 他所にあり
もはや二月堂 天も焦げよと松明の
炎見上げつつ何故君は泣く
雪のように火の粉が降る

走る 火影 揺れる君の横顔
燃える 燃える 燃える おたいまつ燃える

070816nigatudo8 二月堂の修二会の象徴的な行である“お松明”。長さ8m、重さ80kgもの燃えさかる松明をこの舞台で振り回す勇壮な光景は、多くの日本人に知られています。本行の期間中は連日行われていますが、特に3月12日は最多の松明が使用されることと一般参詣者への香水授与(お水取り)が行われるため、大変な混雑となる様子が毎年報道されているのはご存じのとおり。752年から一度も中断されることなく連綿と続けられ、今年(2007年)が1256回目の法要となりました。
その松明を振り回す舞台からの眺望。天平の奈良へと思いが飛んでいきそうな眺めです。

070816nigatudo6過去帳に 青衣の女人の名を聴けば
僕の背に 君の香りゆらめく
ここは女人結界 君は格子の外に居り
息を殺して聴く南無観世音
こもりの僧の沓の音

ふり向けば 既に君の姿はなく
胸を打つ痛み 五体投
もはやお水取 やがて始まる達陀の
水よ清めよ 火よ焼き払えよ この罪この業(カルマ)

走る 火影 揺れる あふれる涙
燃える 燃える 燃える 松明 燃える

歌詞の中にある、ずっと以前から気になっていた“青衣(しょうえ)の女人”。
このたびの紀行文を書くに当たって、初めてこの謎を知ることに。

修二会の行法のなかで“大導師作法”というものがあり、≪神名帳奉読≫と≪過去帳奉読≫が行われます。

初夜に行われる≪神名帳奉読≫では、日本全国60余州に鎮坐する490ケ所の明神と14000余ケ所の神々の名が書かれている神名帳を読誦し、「修二会の行法を照覧あれ」と神々を呼び寄せお願いをします。
3月5日・12日に行われる≪過去帳奉読≫では、
聖武天皇からの歴代天皇、東大寺縁者、戦禍・天災に斃れた万国民の霊、現職の総理大臣以下の閣僚、最高裁の長官などの名を読み上げ、その働きが天下太平、万民豊楽をもたらすよう祈願します。
この日本最長の過去帳に連ねられた名のうち、鎌倉時代の源頼朝から18番目に当たるのが“青衣の女人”。元来無かった存在なのですが、鎌倉時代に集慶という僧が過去帳を読み上げていたところ、青い衣を着た女の幽霊が現れ、「何故我が名を読み落としたるとや」と恨めしげに言ったので、女の着衣の色からとっさに「青衣女人(しょうえのにょにん)」と読み上げたところ、微笑みながら満足げに消えていった・・・というちょっと怪談めいた話ですが、実際、東大寺の過去帳に記載されています。現在でも“青衣の女人”を読み上げる時は、声を潜めるのが慣習となっているそうです。

この話をはじめ修二会に関して、様々なサイトにも掲載されていましたが、下記サイトに詳しくありますので、参考にしていただくとわかりやすいかと思います。

 ・東大阪河内ライオンズクラブHP
 ・『奈良観光』HP:東大寺二月堂修二会(その1)
 ・     〃   :        〃       (その2)
   ※(その2)に過去帳(「青衣女人」の記載あり)の画像があります。

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二月堂回廊の脇に、御茶所があり、いわゆる「セルフ形式」でお茶が振る舞われています。冷たいお茶には麦茶もあり、酷暑の真昼に何ともありがたい限り。水が旨いためでしょう、甘露美味。しかしここは“行”を重んずる場所、使った茶碗は自分で洗って仕舞う作法となっています。こんな行儀作法は昔では当たり前のことでした・・・忘れかけている心を思い出させていただきました。

070816nigatudo10 快く冷たい麦茶を頂戴して一服ののち、階段を下り、二月堂をあとに。時間はもうすぐ13時になろうとしていました。13時半までにはJR奈良駅に戻らなければならなかったのと、あまりの暑さ(熊谷で観測史上最高気温が記録された、あの暑い日)のため、ダンナがだいぶ溶けてしまって(笑)動けなくなったので、奈良国立博物館(今回スルー)前からタクシーを拾い、急ぎ奈良駅へ。
駅付近で土産を買おうと期待していたのですが、なんと構内に土産店が無い!!!
駅前にあった奈良漬の店で、かろうじて瓜漬けを土産として購入(後日談:もちろん漬物も美味でしたが、残りの酒粕で鶏肉や牛肉を漬けてみたら2度も3度も美味!ぜひお試しあれ)。

【同日 奈良線 みやこ路快速 13:39発】

070816jrnara2 時間となり、京都行きの列車に乗車。
コンビニで仕入れた冷凍ボトルと冷房の効いた車内で息を吹き返す、炎天下徒歩夫婦。(@▽@;)
わずか3時間の奈良滞在で、時間の限り歩きましたが、時空を超えてさまざまな思いを巡らせることのできた、充実の旅となりました。
1300年の歴史が息づく街・・・わずかな時間でも日本仏教の黎明に触れることのできた驚きと喜びで、少し心豊かになれたような、そんな真夏の古都巡りでした。

(おわり)

070816kfc_2おまけ:
奈良駅すぐ近くのKFCをタクシーで通りかかった時の1ショット。

おっちゃんも、暑かったんやねぇ。。。(^ー^;

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2007/10/05

【AWAY紀行】ぶらりソウル(2)景福宮&大陸の人々

実は、前回ぶらり旅の前日に、こちらを訪れていました。
時間が前後してしまいましたが、まあそこはご愛敬ということで(^^ゞ

今回の遠征のオプショナルツアーで、仁川空港からツアーバスで護送される『うぃあー御一行様』。
このバスに乗り、ガイドさんの説明を聞くまでは、どこに連れて行かれるのかもわからない、タモリ倶楽部的“ミステリー・ツアー”状態でしたが(笑)、行き先は至ってまとも、朝鮮王朝を代表する王宮・景福宮と国立民族博物館を見学し、その後は、ちょっと怪しい魅力の南大門市場を観光しました。

【2007年9月25日 15時半ごろ 景福宮(キョンボックン) 訪】

070925seoulmap1 韓流時代劇ファンの皆さま、お待たせいたしました。(゚∀゚)凸
ソウルと言えば「ここ」、ですね。
朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンギェ)によって1395年に造営された最初の王宮です。
北方背後に北岳山、正門の光化門(復元中)から南に六曹通(現在の世宗路)が伸びており、京都や奈良と同様、王宮の北に山を背負い、地形が開けた南に大通りを配して都市計画の中心に据えています。風水思想に基づく都市建設手法は東アジアの共通項であるのだなあと、改めて感じさせてくれます。(※地図クリックで拡大します)

070925gyeonbokgungmap 創建当初は12万6千坪という広大な敷地に200棟を超える殿閣があり栄華を極めたそうです。しかしそれらも、われら日本人には少々耳の痛い話ですが、『文禄・慶長の役(1592-1598年)により焼失。その後、朝鮮時代末期の高宗時代(1868年)に再建され、330棟もの殿閣が建てられたそうですが、日本統治時代の総督府の建設時に、勤政殿などごく一部の建物だけを残して、景福宮の数多くの建築物が取り壊されたそうです。
戦後久しい1990年から本格的な復元事業が推進され、総督府の建物を撤去し、徐々に景福宮の本来の姿を取り戻しつつあるそうです。(※図クリックで拡大します)

<光化門-興礼門-勤政門-勤政殿-思政殿-康寧殿-交泰殿>

などの門・殿閣が一直線に配置されていて、宮殿の軸空間を形成しています。

070925gyeonbokgung1■興礼門(フンレムン)

光化門が復元中のため、現在、景福宮の最南端にあるのがこの門。
秋夕(韓国の旧盆)の真っ最中のため、市内は休業店舗が多いのですが、ここのような観光地は大盛況。休みを利用して訪れた国内客のみならず外国人の姿も相当多く見かけました。
ここをくぐって、勤政門-勤政殿へ向かいます。

■勤政門-勤政殿(クンジョンムン-クンジョンジョン)

070925gyeonbokgung3_2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

070925gyeonbokgung2

興礼門をくぐると、勤政門があり、その間が広場になっています。
お盆のお祭りで、色鮮やかな伝統的衣装を身にまとった子どもたちが踊っていました。多くの見物客に囲まれて賑わっています。晴れた秋空に、衣装の色もよく映えていました。

この勤政門の色遣い・・・最近どこかで見たような・・・と思い出していたら、腑に落ちました。日高市・高麗神社となりの聖天院にあった朝鮮半島出身者墓園にあった四阿(あずまや)です。
この地の文化を、身近に感じた瞬間でした。

勤政門をくぐり、勤政殿へ向かいます。

070925gyeonbokgung4 

 

 

 

 

 

 

 

 

勤政殿。国家的行事を執り行っていたところです。その前広場は『朝廷』と呼ばれていたとか。そこかしこに小さな石塔が置かれているのが目に付きます(お墓じゃありません/笑)。
ここで。
私は、韓流ドラマにほどんど興味はないのですが、唯一、全編観たものがあります。
それは、

 『宮廷女官 チャングムの誓い』

でした。
主人公である宮廷女官・チャングムの波瀾万丈の人生と、彼女に関わる宮廷内での人間ドラマを描いた作品でしたが、重要なシーンのひとつに、チャングムに“官位”が与えられる場面があります。これらの石塔には官位名が刻まれていて、身分階級制度の厳しい朝鮮王朝時代、臣下が集合して王に拝謁する際に、自分の官位が示された石塔の位置に控えます。当然ながら、殿閣に近い位置が最も位が高く、低くなるにつれて後ろへ配されます。
ドラマは、チャングムが医女の身分でありながらも王の主治医となり、ほぼ最前に列する栄誉を与えられたところで、クライマックスを迎えます。
やはりここでそのシーンのロケが行われたと、ガイドさんから解説がありました。

070925gyeonbokgung6070925gyeonbokgung5勤政殿の天井には、巨大な龍をメインとした彫刻が施されていました。この国特有の鮮やかな極彩色が随所に用いられ、日本の伝統建築とは異なる朝鮮古来の文化を表現しています。

また、内部には王の玉座がありました(右写真)。

次に、思政殿へと向かいます。

■思政殿(サジョンジョン)中庭

070925gyeonbokgung78

 

 

 

 

思政殿は、王の執務空間といったところ。ここを取り囲む回廊のような建物は、かつての書庫だったそうで、公文書が保管されていました。幾たびかの戦禍により、それらの貴重な文書は、日本をはじめとするアジア諸国に限らず、欧米等の国外にも持ち去られたそうで、韓国国内で現存するものは僅少とか。そのため、歴史的な研究を国内で行うのは現在でも困難な状況だということです。またも耳の痛いお話ではあります。。。
お盆のためでしょうか、美しいチマチョゴリを着た女性の姿をよく見かけました。

■慶会楼・交泰殿(キョンフェル・キョテジョン)

070925gyeonbokgung910_2

 

 

 

 

慶会楼(左写真)は王が主宰する宴会を行う高床建物で、現代風に言えば“ピロティ”構造となっています。交泰殿(右写真)は宮殿の中心にあり、中宮殿とも呼ばれていました。王妃の寝殿です。

070925gyeonbokgung11おそらく魔除けか守護神かのどちらかと思われますが、屋根瓦には、右写真のような動物様のものを模した造形物が随所に装飾されています。

時間もなくなってきたので、後宮エリアにある他の施設を駆け足で周り、国立民族博物館へと向かいます。

 

 

【同日 16時すぎ 国立民族博物館

070925folkmuseum1時間も相当おしてきたので、急いで館内を巡ります。
内部展示は、主に『韓民族生活史』『生業・工芸・衣食住』『韓国人の一生』という3部構成になっています。
館内は博物館ですので、撮影禁止となっています。

が。

昔の韓民族文化を学ぶというより、ここでは、思いがけなく現代韓国人の気質に触れることになりました(笑)。
日本人が大人しいのか遵法精神があるのかどうか、その議論は置いといて・・・。

  • 館内で、写真はバシバシ撮りまくっています。
  • 屋外での感覚と同様に、館内では携帯電話で話します。
  • 子どもたちが、元気よく走り回っては、見学順路を逆走しています。

私は、カルチャー・ショックを受けてしまいました。  ((((;゚Д゚)))
確かに、王宮を見学している時にも感じましたが、写真撮影している人の前をためらい無く横切りますし、並びの見学列にも積極的に割り込んできました。地下鉄に乗車中でも携帯電話は普通に使っていると、他のうぃあーさんからも聞きました。
ここは儒教の国だということから、かなりマナーに対しては厳しい見識を持っているかと思っていたところ、それは私の「先入観」だと気付きました。
日本人が考えるマナーと、この国の人々のマナーの尺度が違うのでしょう、きっと。
私の勝手な感想ですが、「まず、自分ありき」というか、「自己の力」が行動規範になっているような印象を受けました。どこか積極性の高さを感じます。
確かに、サッカーを観ていても、

 日本人FW:チャンスを譲り合い、結局好機を逃す(例:○ナギ)
 韓国人FW:まずは自分で機をうかがう

070925folkmuseum2なんてシーンを何回か見たことありますし(爆)。

面食らっているうちに、だんだんと陽が傾いてきました。
急ぎ博物館を出てバスに向かっていたところ、これも高麗神社で見かけた『将軍標(しょうぐんひょう:チャンスン)』がありました。ってか、こっちが本場ですね(^^;

日没になる前に、ソウルの古い下町街と呼ばれる『南大門市場』にバスで向かいます。

【同日 17:30ごろ 南大門市場

070925namdaemun 大通りの交差点、今ではロータリーとなってそびえ立っているのが有名な崇礼門(スンネムン:かつて南大門と言われていましたが、改称したそうです)。国宝第1号指定を受けているのですが、立地状態に驚いてしまいます。都の城門の一つとして建てられた、現存する朝鮮王朝の代表的な建物で、はじめは城壁がこの門につながっていたそうなのですが、1908年に門を残して撤去されたそうです。

この交差点すぐの脇道から、市場に入ります。

070925namdaemunmarket12

 

 

 

 

ここをひとことで表現するならば、“ソウルのアメ横”でしょうか。
否、アメ横に比べれば、何とも怪しいパワーとエネルギーが炸裂しています(笑)。
朝鮮王朝時代から約600年の歴史を誇る一方で、1日に数十万人が訪れて、日々人々の熱気で賑わっているそうです。この日はたまたまお盆の時期で客足こそ普段より少ないようでしたが、「何でもアリ」と言わんばかりに立ち並ぶ店の構えと、この混沌とした雰囲気が、まさに大陸的。道を歩けば、ルイ・ヴィトンのバッグが山積みされたワゴン(爆爆)や、怪しい日本語で“客引き”が積極的に攻めてきます。
ご覧ください、、、右上写真の店の、堂々たる「パチぶり」を (爆×10)。

070925namdaemunmarket3そして、やはり人目に付くところには、右写真のようなアピールが。
 #上野のアメ横に『北方領土返還』の段幕があるようなもんですね・・・(^^;

何度か客引きに連行されそうになりつつも、「今日は、市場は見るだけヨ!」とのガイドさんの先導(笑)で、駆け抜けるように、無事市場観光を終えました。
いやはや、、、たった15分程度の見学でしたが、充分に異国情緒を味わえました。

訪れた土地の『お国柄』というものを感じることは、何とも楽しいものです。これぞ旅の醍醐味でしょうか。
それほど遠くない隣の国。海を隔てて、此方は島国、彼方は大陸。
欧米ではみな似た者同士に捉えられがちな極東の国々ですが、これほど文化の多様性がちりばめられているものだと、大変勉強になりました。

次は、どの国を訪れてみましょうか。
叶うことなら、レッズと共に。

(おわり)

 

070926bike おまけ:
次の日、清渓川を散歩していた時に、私の発想を遙かに超えた、こんなものを見つけてしまいました。。。
もちろん、ナンバープレートのようなものは見当たりません。
大都会・ソウルの街のど真ん中にて。

すごい、すごすぎる  ((((;゚Д゚)))
 #ホンダVTっぽいんですが・・・

そう言えば、南大門市場には、寒い冬場の露天仕事で使う、座面を電気で温めてくれる椅子がありました。椅子に電気コードと温度調節ツマミが付いていて・・・
それって『電気椅子』???(恐;;

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2007/10/02

【AWAY紀行】ぶらりソウル(1)清渓川~韓屋の街並み

日本国内では飽きたらず、海外でも「取り憑かれたようにひたすら歩く」放浪夫婦の、韓国遠征編です。
全北現代戦の日の午前中はフリーだったので、ホテル界隈をぶらりと歩いてみました。
半ば現場視察と化した(笑)清渓川での散策にはじまり、ちらりと宗廟の入口だけ見たあとは、骨董品や工芸品などの店が建ち並ぶアンティーク街・仁寺洞を通り、韓国の伝統的家屋の街並みが残る北村韓屋村(プッチョン・ハノク・マウル)まで足を延ばした、約2時間半のソウルぶらり旅です。
文字も読めず、言葉もわからず・・・“勘”だけが頼りの散歩のはじまりはじまり(爆)

【2007年9月26日 8:30 清渓川(チョンゲチョン)】

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070926cheonggyecheon0大規模な都市河川復元整備の例として、世界的にその名が広まった清渓川(チョンゲチョン)。かつては、この川の上部には“蓋”がありました。
戦後、清渓川周辺は難民が押し寄せスラム街と化していたため、韓国政府は復興と開発のために、1958~1978年の20年間をかけて、この川を道路で“蓋”をし、さらにその上に『清渓高架道路』を整備しました(右写真:清渓川文化館発行『清渓川復元』より引用)。その後、1980年代は、清渓川一帯はソウルの中心商圏として栄えました。
しかし、川を覆った道路と高架道路を走る車により発生した排気ガスなどが原因で、重金属や有害ガスによる河川の汚染を進行させたうえに、道路構造物を腐食させ、補修では耐えられないほどの老朽化を招きました。整備されて30~40年程度しか共用されなかった道路と高架道路はやむなく取り壊されることに。これをきっかけに、これまで顧みられなかった市民生活中心のインフラ整備に関心が集まり、ソウルの都市再生と歴史復古のシンボルとして、清渓川の復元工事が実施されました。2003年7月から約2年3ヶ月をかけて全長5.8㎞にわたる工事が行われ、2005年10月に竣工しました。

070926cheonggyecheon23

 

 

 

 

左は上流端。噴水と滝が整備されています。右写真は下流の中間点付近の様子ですが、下流に向かうほど植生の着生率が増し、自然再生が進んでいました。また随所に置き石や沈下橋などの渡河構造物が整備され、市民が水辺に親しめるような工夫がなされています。
この復元整備により、清渓川はソウル市民の憩いの場として利用されるようになり、都市環境が大きく変わったと、前日ツアーガイドさんも語っていました。
1時間ほどの現場調査のようなハードな散歩を終え(笑)、宗廟方面へ向かいます。

【同日 9:30ごろ 宗廟(チョンミョ)】

070926jongmyo 残念ながら、時計を見るとそれほど時間がなかったため、門だけの撮影に。(つ;д`)
朝鮮王朝時代の歴代の王と王妃の位牌が奉られています。朝鮮王朝の最初の王宮である景福宮(キョンボックン)と同時期に建造されたとのこと。ユネスコの世界文化遺産に登録されています。見学していないため詳細はわかりませんので(笑)、興味のある方は、こちらをご覧ください。

【同日 9:50ごろ 仁寺洞(インサドン)

先を急ぎます。
前日、ガイドさんから聞いた、「景福宮近くの街並み保存地区(=北村韓屋村(プッチョン・ハノク・マウル))」に行くために、偶然ここを通りかかりました。
途中、親切なおじさまが、身振り手振りを加えて道を教えてくださっているようでしたが、現地語でまくしたてられてしまっては、さすがのダンナもフリーズ状態 ((((;゚Д゚)))。軽く「カニサムニダ」と私から御礼だけはしておいたので、国際問題への発展は避けられた模様(笑)。

070926insadong1メイン通りは、骨董店、工芸品店、茶道具屋などが建ち並び、ちょっとおしゃれでアンティークな雰囲気ですが、横町を見遣ると、なかなかの風情(右写真)。何のお店かは不明ですが、店構えからして飲食店街の模様。ソウル市民の生活風景が垣間見えます。日本と異なる雰囲気に、実はこんなところで異国情緒がたっぷり楽しめます。
なお、このエリアで販売している古美術品の中には、国外持ち出し禁止の品もあるのでご注意ください、とガイドブックに記載がありましたのでご参考までに。。。

070926insadong2

 

これは、、、“Cafe”の文字から、多分そうだと思いますが、ソウルの『マンガ喫茶』かと。
鉄腕アトム、マジンガーZ、仮面ライダー、ガンダム・・・う~ん(。。;)

 

 

【同日 10:10ごろ 北村韓屋村(プッチョン・ハノク・マウル)

070926poongmunghs 仁寺洞から大きな交差点を渡って、プンムン女子高等学校の脇道から、韓国の伝統的家屋(=韓屋(ハノク))群が保存されている北村韓屋村(プッチョン・ハノク・マウル)エリアに入ります。東は昌徳宮から西は景福宮までの、鐘路区安国洞、嘉會洞、苑西洞、齋洞、桂洞といった町が『北村(プッチョン)』と呼ばれ、約860もの甍が連なる韓国の伝統的な居住地域です。ソウルが都となって600年もの歴史とともに生きてきた、昔ながらの家屋が多く保存されています。

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女学校の裏あたり。お寺の隣は教会あり、細い横町は低い屋根、煉瓦貼りの住居がひしめき、道端に洗濯物・・・いろんな要素が狭いエリアに凝縮されていて、どことなく大陸的な混沌さとダイナミックさを感じさせてくれます。

070926hanok3当てずっぽうに先に進んで行くと、ちょっとした商店街が。日本語も併記された店もあり、飲食店が並んでいました。ここも観光スポットになっているのでしょう。
街並みもいいのですが、それよりも、頭に大きな段ボールの箱を3個も載せて、私の前を歩いていた女性が気になって(笑)。“大原女”というよりは妙に東南アジアチックで、たくましく見えました(※右写真クリックで拡大)。

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ただ何となく歩いていると、袋小路によくはまりました。道が決して直線ではないため(意図的に曲線的にしている模様)、先の見通しが利きません。
壁材は煉瓦や石積みで、木材も何か塗料のようなものが塗布されていて、日本の住居建築と風合いが異なります。日本人の目からすれば蔵造りのように重厚な印象を受けます。
また、寺院のように屋根の形が反っているのがどことなく唐風(韓風、と言っていいのかどうか?)で、これも日本の家屋との相違点でしょうか。

11時過ぎにはホテルに帰りたかったので、ざっと見回った程度で帰路に着きました。
駆け足に近いスピードでの、この日のぶらり散歩でしたが、短い時間でも韓国の生活・文化の一端に触れることができ、非常に興味深く見学できました。
やはり、訪れた街を知るためには、歩くことが基本ですね。

参考までに、今回のぶらりルートを下図に示しました。

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(※クリックで拡大します)

次回は、この散歩の前日に訪れた、朝鮮王朝最初の王宮・景福宮(キョンボックン)をご紹介いたしましょう。

(つづく予定/(笑))

 

追記:
070926apartガイドさん曰く、
「現代のほとんどの韓国人は、アパート・マンション等の集合住宅に住んでいる」
とのことでした(7~8割くらい、という高い率で)。
写真は、ソウルから全州に向かう高速道路の車中から撮ったものですが、ソウル以外の都市でもこのような高層アパート・マンションが、“雨後の竹の子”のように林立しています。地震の少ない韓国ならではのスレンダーな構造です。
時代が変われば、ライフスタイルも変わる、、、という典型例でしょうか。
隔世の感がありますね。

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2007/09/12

【AWAY紀行】まほろばを訪ねて(2)東大寺大仏殿編

ちょっと間が空きましたが、

 「大和は国のまほろば」

平城の都・奈良のトボトボ歩き紀行の第2話です。

前回の“興福寺編”につづき、今回は、この国の歴史を語るうえで欠かすことのできない、『東大寺』を駆け足で訪ねる旅です。
「東大寺なら修学旅行で行ったことあるよ」と申される方が多かろうかと思いますが、私が通っていた高校には修学旅行というものが無かったので(昔、不祥事があったらしい)、この歳で、このたびが初めての東大寺参詣となりました。

(前回のお話は、こちら

070816toudaiji1 飛火野の入口を左折し、真っ直ぐに北上すること数分、門前の仲見世に辿り着きます。その視線の先には、東大寺南大門が。
すると。
奈良公園名物の“鹿”の存在が、私たちを苦しめはじめました。
わが庭とばかりに悠々と歩く鹿を「見るだけ」でしたら別に問題はないのですが、いわゆる「フンの臭い」が、たぎった空気と混じり合って、猛烈に襲いかかってきたのです。写真でお伝えできないのは、皆さまにとっての幸い(笑)・・・真夏の真昼の奈良公園には、そんな思いがけない試練が待っていたのでした(^^;
フンの臭いを払いのけるように、先へと進みます。(@◇@;)ゼーゼー

【 2007年8月16日 11:20ごろ 東大寺南大門】

070816toudaiji2当然のことながら、『古都奈良の文化財』として、興福寺などと共に世界遺産に登録されています。東大寺は、聖武天皇の発願により創建さた金鐘山寺(きんしょうせんじ)を起源としています(728年)。『国分寺・国分尼寺建立の詔』(741年)の翌年に金鐘山寺は大和国国分寺となり、その後『盧舎那大仏造顕の詔』(743年)を発令し、当時の都・紫香楽宮~難波宮から再遷都した聖武天皇は、この地で本格的な大仏造立を開始(747年)しました。その頃から、総国分寺“東大寺”の名が使われるようにな070816toudaiji3ったそうです。開山は華厳宗の良弁(ろうべん)僧正。 日本史の教科書には必ず載っている、現代では到底成し得ない壮大な国家プロジェクトの舞台となったことで知られている、あまりにも有名な寺院です。
詳細については、私がどうこう説明するより、下記サイトをご参照くださればと思います。
 ・東大寺HP
 ・東大寺(Wikipedia)

070816nandaimon 東大寺南大門。
創建当時のものは災害損失し、現存する門は鎌倉時代(1199年)に復興されたもの。中国・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様(だいぶつよう、天竺様・てんじくよう、ともいう)を採用した建築として著名な建造物です。長年の風雪に耐え、かなりの傷み具合でしたが、かえって悠久の時の長さ、歴史の重みを語りかけられる思いがしました。『大華厳寺』の銘板が掲げられています。

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南大門と言えば、金剛力士像。世界最大の木造彫像として国宝指定されています。
人間というものは、“本物”を目の当たりにすると、頭の中が空っぽになってしまうのでしょうか・・・気が付いたら、口をポカンと開けて圧倒されて突っ立っている自分がそこにいました。
鎌倉時代の高名な仏師である、運慶、快慶、定覚、湛慶(運慶の子)が制作に当たりましたが、平成の解体修理の際、像内に納められていた文書から、彼らが小仏師多数を率いてわずか70日程度で造立したものであることが裏付けられ、運慶が制作の総指揮にあたったものと考えられているそうです(以上、Wikipedia等を参考にしましたが、この話は以前TVで見た記憶があります)。
なお、右に吽形、左に阿形を配していますが、これは一般的な安置方法とは逆なのだそうです。
檜の寄木造り、高さ約840cm(左写真の下に写っている人物と比べればわかりやすいです)、重さ約6tの巨像・・・800年以上も前の技術の高さと確かさ、圧巻です。

【 2007年8月16日 11:30ごろ 東大寺金堂(大仏殿)】

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070816daibutuden5 私も、割といろいろな寺社巡りをしているほうですが、見た瞬間、あまりの迫力に呆然と脱力してしまいました。広大なる敷地に堂々とそびえる“天平の甍”。 
何と言いますか・・・宗教的な迫力と言うよりは、千年以上も昔の国家権力の強大さをまざまざと感じさせられました。政教一致の国家プロジェクトとして、前述の『国分寺・国分尼寺建立の詔』(741年)と『盧舎那大仏造顕の詔』(743年)を発令し、あまたの国費と人材が投入された大仏殿の姿は、当時頻発した社070816daibutuden2会不安を払うための国家安寧と国体維持の象徴として、現代にもその威厳を放っているように見えました。しかし大仏造立後の国政は、聖武天皇の願いとはかけ離れて財政逼迫し、民衆は疲弊してしまうという現実に見舞われてしまいます。。。

東大寺盧舎那仏・・・いわゆる『奈良の大仏さま』は、大仏殿と共に2度の戦火にあっており、それに加えて補修も多く行われていることから、台座、腹、指の一部などごく一部に当時の原型を留めているそうです。江戸時代に再建された大仏さまと大仏殿が現存のもので、大仏殿は創建当時の3分の2程度に縮小復元されたということですから、創建当時の規模に思いを馳せれば、いかに国家の命運をかけた壮大な国家事業であったかが伺えます。

070816daibutuden3 

余計なこととは思いつつ(笑)、大仏さまの後ろ姿をおさめさせていただきました。
随分と「絶壁」です、って罰当たりが・・・金色の光背(後光)に補強材が施されていました。

 

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大仏殿の四方には、四天王立像が配されていたそうなのですが、広目天像、多聞天像については、頭部だけが残されていました。
拝観したときが真っ昼間だったので面と向かって拝めましたが、真夜中にお会いするのは・・・ちと勘弁して欲しいものです(汗;

 

070816omamori

大仏殿にて、お守りを購入。
左はヘマタイト製念珠。磁気入り(笑)。虎目石も配されています。ヘマタイトは「勇気と自信、闘いの守り石」と覚えがあったので、即購入(“磁気入り”も動機ですが)。
右は“勝守”。条件反射的に手が出たのですが、赤い袋が無かったのが至極残念!(笑)。
購入後、このお守りで3連勝しましたが(以下省略)。

ゆっくりと足を止めて拝観したいところではありましたが、時間は容赦なく過ぎていきます。

名残惜しくも早々に切り上げ、『修二会』で知られる二月堂へと歩を進めます。

(つづく)

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2007/09/06

【AWAY紀行】まほろばを訪ねて(1)三条通~興福寺編

万博でのガンバ戦の翌日。
070816jrtennouji 観測史上国内最高気温の記録が出たこの日、朝っぱらから炎天下を取り憑かれたようにトボトボ歩く脳天気夫婦は、関西でも大活躍 (゚∀゚)凸ファンキー!
例によって、ガイドブック無し、でも全国時刻表あり(笑)、行き当たりばったり思いつきの旅のはじまりはじまり。
盂蘭盆恒例『五山の送り火』で鬼混みが予想される京都を避け、まずは新大阪から天王寺へと移動し、天王寺からJR関西本線に乗車。電車に乗ったはいいけれど、
「どこ行く?」 
電車の行き先から、法隆寺に行こうか、平城宮跡に行こうか・・・などと乗車中は問答しきり、結局降りたところは、、、

070816jrnara

 

 

 

 

 

 

  終点。

【2007年8月16日 JR奈良駅 10:22着】

かえって悩みもなくなり楽になったところで(笑)、観光案内所で情報収集。
交通事情的に最繁忙期のこの時期、帰りの新幹線の予約を変更するわけにはいかないので、せめて発駅を新大阪→京都に変えてみたものの、それでも奈良滞在可能時間は、

3時間程度。

「3時間で歩いて行けるところ」と制限すれば、おのずと行き先も決まりました。
三条通から興福寺~春日大社参道~東大寺を訪れることに。

 大和(倭)は国のまほろば
   たたなづく青垣 山隠(やまごも)れる大和(倭)し  美(うる)わし

倭建命(日本武尊:やまとたけるのみこと)が、東国遠征からの帰途、伊勢国・能褒野(のぼの)の地で、故郷の大和の国を偲んで詠んだとされるこの歌(『古事記』に収録)。
 #当時の皇居は纒向日代宮(まきむくのひしろのみや:桜井市あたり)に存在していたと推察されていますが、総じて「大和国」を歌ったものと捉えられているようです
間もなく遷都1300年を迎えるこの国の“まほろば”、大和平城の都・奈良のごくごく一部を、しかし代表的な場所を、短時間で歩き訪ねてみました。
たった3時間のぶらり旅ですが、今回は“興福寺編”“東大寺大仏殿編”“二月堂編”の豪華3本立て???(話を引っぱってるだけじゃ/笑)にてお送りいたします。

【同日 三条通】

070816nara3joh1 駅を背に、左斜め方向から入り、真っ直ぐに伸びる道が三条通。炎天下に歩く人もまばら。歩く人も日陰に吸い寄るように歩いています。
いわゆる昔ながらの『○○通り』の風情を演出しているようにも見えますが、駅が近いので繁華街の色彩が濃いのはやむなしというところ。こちらも勝手な先行イメージがあったので、通りの名称表示もなく中途半端な雰囲気に「ここが三条通?」と迷いました。できれば、通りの入口にでも道案内の看板が欲しいところ。

070816nara3joh2 途中、上記“先行イメージ”に近い、古い店構えも見られましたが、近鉄奈良駅付近となると、古風な商家のそばにパチンコ屋があるといった状況に。確かに生活圏エリアにおける景観規制は現実的に難しいものがあることは、私も仕事で経験したことがあるので承知しているつもりですが、しかしこの道は奈良公園までの“玄関口”となる観光ルート。(建物の高さ規制はあるように見受けられましたが)京都と比べると、景観条例の規制と住民意識レベルのほどはどうなのでしょう・・・と、観光客の視線で思った次第です(^^;。

070816narapark1 三条通をまっすぐ歩くこと20分程度、右手に猿沢池が見えてきたところが奈良公園の入口。
左手の坂のすぐ脇に興福寺の境内があります。
 ※クリックで拡大します

 

【同日 11時ごろ 興福寺】

070816koufukuji1

興福寺は、藤原鎌足の病平癒を願った夫人(鏡大王)が、山背(山城)国に建立した『山階寺』が起源とされています(669年)。その後、壬申の乱(672年)を経て都が飛鳥(藤原京)に再遷都の折、山階寺も移建され、その地名から『厩坂寺』と改名。そして平城遷都(710年)の際、鎌足の子息・藤原不比等により移建され、現在の『興福寺』となったそうです。この経緯からわかるように、元来藤原氏の個人的な氏寺なのですが、この後は国家による造営が進められたそうです。
詳しくは、興福寺HPならびにWikipedia(『興福寺』の項)をご参照ください。

写真は、興福寺五重塔。天気が良すぎたのと、被写体が大きすぎて近景が難しく、安物デジカメのレンズとホワイトバランス機能ではうまく写せませんでした。肝心のカメラマンの腕は、「オート任せ」ですので突っ込み厳禁ヨロシクです(笑)

070816koufukuji3 平成22年(2010年)の創建1300年記念に向け、現在興福寺では中金堂院や伽藍を中心とした興福寺境内の再建整備を進めており、そのための発掘調査が行われています。
壮大な再建計画のゴールは、よくよく考えてみると近い将来なので、再び訪れる時の楽しみができました。
 ※クリックで拡大します

境内には、奈良公園お約束の“鹿”。
 ※お断り:ここの“鹿”には罪はござい070816koufukuji2ません(^^;

 ♪奈良の春日野 青芝に
   腰を下ろせば 鹿の・・・

やめておきましょう(笑)。
『オレたちひょうきん族』世代・・・
 #吉永小百合さん、ゴメンナサイ m(_ _)m

確かに、ここの鹿には罪はないのですが、この鹿の存在が、この日の気候と相まって、のちのち重くのしかかってきます(そのお話は、次回にでも)。

070816koufukuji4 もっとゆっくり参詣したかったのですが、3時間の持ち時間のうち、すでに1時間近くを費やしてしまったため、先を急ぐことに。興福寺の代名詞とも言える阿修羅像拝観はあきらめました。ここで拝んで済ませました、どうぞお許しを・・・次回は必ずお目もじを

興福寺境内を出て、もと来た道に戻り、春日大社参道へと歩を進めます。

070816narapark2一ノ鳥居をくぐると、荘重な雰囲気の参道がまっすぐに伸びています。

 ♪春日山から飛火野辺り
  ゆらゆらと影ばかり 泥(なず)む夕暮れ
  馬酔木(あせび)の森の 馬酔木(まよいぎ)に
  たずねたずねた 帰り道

うぃあーソングライター”さだまさし大先生の名曲『まほろば』の、歌詞で表現されている道を逆方向に、すなわち春日山方面に近づいて歩いています。
時間が許しても許さなくても、この先にある飛火野から馬酔木の森に歩を進めたかったのが本音でしたが・・・飛火野の入口を断腸の思いで左折して、東大寺方面に泣く泣く向かったのでした (つ;д`) エーン・・・

070816narapark3と、その前に、、、(飛火野入口の)表参道の手前にあった古い洋館に目を惹かれました。美しい外観のこの建物は、『旧奈良県物産陳列所』として明治35年(1902年)に建設されたとのこと。案内板の看板のとおり、洋風の建物に瓦葺きの屋根、玄関前には唐破風の車寄せ屋根が施されています。名勝・奈良公園の景観に配慮し、平等院鳳凰堂をモチーフに設計されたそうです。現在、奈良国立博物館附属の『仏教美術資料研究センター』として活用されていますが、国の重要文化財にも指定されています。
激動する文明の変化の中にあっても従前の環境に配慮した明治人の気品を、現代人は見習わなくてはならない、、、その好例と言えそうです。

ちょっと気を惹かれて立ち止まっていると、時間はどんどん過ぎていきます。
飛火野沿いの道を北上し、東大寺南大門方面に、急ぎ歩を進めます。

(次回へつづく)

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2007/08/22

旧東海道石畳(金谷)

「しかし。そこで、旅は終わらなかったのでした  (((;゜Д゜)) エッ・・・!

070701kanaya1

の、お話しのつづきです。遅まきながら(^^;
ジュビロ戦の翌日、大井川鐵道でアプト式列車と蒸気機関車を楽しんだあと、金谷駅で列車待ちをしていた時の、旅の「おまけ」です。
 #最後にちょっとだけ、「うぃあー小話」があります(゜▽゜)

【2007年7月1日 JR金谷駅前 15:40ごろ】

掛川行きの列車まで時間がちょっと空いていたので、駅前でブラブラしていると、駅前広場の観光案内板にあった、

 旧東海道石畳

という文字に惹かれました。
帰路の新幹線は掛川発18時頃で、1時間は遊べそうだったので、「せっかくだから、行ってみようよ!」とダンナに進言してみたところ、

070701kanaya1「前、行ったこと無かったっけ?」

  (;゜Д゜) だ、誰と・・・!? 

それ以上のツッコミは、
時間がないのでやめておくことにして(@▽@;)/~~

駅そばのガード下をくぐると、距離標が。意外に近距離であることがわかり、俄然やる気が湧いてきました。
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何の前知識もないままに歩き出したので、できるだけ周囲に注意を払いながら歩きました。あとで調べてみると、駅裏(写真左。こちら側は改札口無し)から続く道(写真右)は、どうやら東海道の旧道のようで、一見何でもない住宅地の道路に見えますが、確かに街道070701kanaya4筋の佇まいがわずかに残っていました。

坂道を先に進むと、国道473号の道路法面に突き当たるため、国道に沿った取り付け坂路を登って 国道を渡ります。この国道が、旧東海道を横切る形で通過しています。
右写真は、国道上から来た道を撮影したもの。かなりの高低差があります。
この写真の後方、国道473号を渡ると、かつての街道が続いています。

 

070701kanaya56

その後方の写真。上下の写真から、道がかつて繋がっていたことがわかります。
国道沿いに立派な看板が立っていますので、地図無しの私たちにでもすぐにわかりました。入口を入ると、さらに急勾配の坂道が  ((((;゚Д゚)))
かつて難所と言われていた『金谷坂』を、身をもって体験することに。。。聞きしにまさる長さに、少々面食らい始めた頃でしょうか(笑)

2~3分くらい登ったところに、『石畳茶屋』がありますが、残念ながら先を急ぐ旅なので通過します。

【旧東海道石畳(きゅうとうかいどういしだたみ) JR金谷駅より徒歩15分 2007年7月1日 訪】

070701kanaya7 茶屋のすぐ前に、石畳の入口があります。
実はここからが目的地だと思うと、少々気後れしそうになりましたが、ここで引き返すわけにもいかないので、前進することに。

 

 

070701kanaya8この石畳は、かつて金谷峠を行き交う旅人が歩きやすいようにと山石を敷いたものだったそうです。時代の流れとともに石畳は一部をのこすのみで舗装に変わったそうですが、平成になり近隣住民の手によって復元(『平成の道普請』)されたとのこと。
 #写真クリックで拡大します

070701kanaya9

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月に入ったばかりでしたので、まだ紫陽花の花が美しく咲き誇っていました。
石畳はよく手入れされており、ゴミも落ちていません。
写真の右手先にある案内板から、沿道の庚申塚と鶏頭塚(俳人・六々庵巴静の句「あけぼのも 夕ぐれもなし 鶏頭華」が刻まれた自然石碑があることから「鶏頭塚」と呼ばれています)に至ります。ちょっとご挨拶して石畳に戻り、先を進みます。

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先を進むと、何やら赤いのぼり旗が・・・赤いモノには何でも反応する夫婦(笑)。
旗の文字を読むと『すべらず地蔵尊』とのこと。説明の必要はありませんね。歩行の無事を祈願しました。
周辺には、やはり受験生の合格祈願の絵馬がズラリと掛け並べられていました。これも説明不要ですね(^^;

070701kanaya12 日中でも日当たりの少ない部分は、石の表面が苔生しています。確かに油断して歩くと簡単に足下を掬われてしまいます。底が滑る靴などはやはり危険です(下り坂は特に)。ヒールのある靴などは以ての外でしょう。
なるほど、地蔵さまに頼りたくなる気持ちも芽生えてきます。

ずいぶん坂を登ったつもりなのですが、まだ先が見えてきません。鬱蒼とした林の中を、視線を落としながらひたすら歩きます。

070701kanaya13 これぞ“光明”というワンショット(笑)。出口がようやく見えてきました。
入口から数百メートル足らずの石畳の道なのですが、やはり勾配がきついと、心理的「果てしなさ」が加わります。しかし出口が見えてくれば元気も出るというもの。坂道が“人生”に喩えられるのが、大変わかりやすく実感できます(^^;

 

070701kanaya14 出口を出たところには、牧之原台地の茶畑が視界一面に拡がります。
すぐ近くに、

 馬に寝て 残夢月遠し 茶のけむり

の芭蕉の句碑があります。時代は違えど、芭蕉が見た茶畑と同じ茶畑を偶然目にすることができるなんて、なんて幸運なんだろう・・・と感慨に耽りたかったのですが、何の情報もなく現地を訪れたため、その句碑に気づきませんでした。あとで知って大変損した気分になりました(爆)。
 #牧之原台地の近世における茶畑開墾の話は、以前ご紹介した島田の蓬莱橋のエントリで簡単な解説をしてありますのでご参考までに。。。

070701kanaya15 そこから10分弱、ダラダラと道なりに歩いていくと、諏訪原城入口に。
時間は無かったのですが、城好きとしては素通りできるわけがありませんので(笑)、ざっと見学を済ませました(この内容については、また別途)。

城址をあとに、時間に追われるように来た道を引き返し・・・たのですが。これまたあとで知ったのですが、この道の少し先に、菊川坂の石畳があったそうで・・・でも時間が無かったことですし、知っていたらきっと悔しかったと思うので、知らなくて良かったと思います(笑)

時間が迫ってきました、、、金谷駅までの帰路を急ぎます。

070701kanaya16 で。
道を引き返しながら、重要なことにようやく気付かされました。

 来た道を戻る=延々と下り坂  _| ̄|○

どうしましょう・・・ ヽ(`Д´)ノウワァァァァァァン!

迷っているヒマなどありません。意を決して坂を下り始めます。

070701kanaya17 ご存じのとおり、登山や坂道というものは往々にして、「上り」の“その場だけのきつさ”より、「下り」のダメージがのちのち残るものです。そこで私は、この一年間学んだ太極拳の歩きの動き(ゆっくりと確実な重心移動)を心がけて、駅までの約1㎞の下り坂を歩きました。この一年間の鍛錬は役立ったようで、苔生した石にも滑らず、翌日の膝の痛みはほとんど発生しませんでした。逆に上半身の方が少々筋肉痛になった程度です。
ふむふむ、これからも稽古にいこうっと>太極拳

何とか小一時間程度で金谷駅に戻ることができました。
帰りの新幹線に乗るために、掛川方面行きのホームで列車を待っていたところ、、、
突然、対面の静岡方面行きホームにいた男性が、私の姿を見ておもむろにバッグの中から赤い小旗を取りだして、私たち夫婦に向かって旗を振ってくれるではないですか!
私の赤いバッグとミニマフラーに気付いてくれたのでしょう。しかし・・・こんなところで、こんな時間に、ピンポイントで赤者に出会うとは・・・
あらためて、「うぃあー、恐るべし」(笑)
嬉しくなって、思わず「道中お気を付けて~」と、線路越しに声を掛けました。間もなく両ホームに列車が入線し、互いに会釈をして別れました。

古の旅人の苦労をしのびながらも、ちょっとお得感のあった、東海道石畳てくてく歩きでした。
思わぬ旅のおまけとなりました。

余談:
070701kakegawa何故、帰路は静岡駅ではなく掛川駅を選んだかというと、、、
実は、掛川駅構内のこの店がお目当てでした。エコパやヤマハの試合では必ず立ち寄るこのお店、一気に「買い出しモード」全開(自爆)。しかも、このお店でも「うぃあー」さんに声をかけられるとは(驚!)。

釜揚げのシラスや桜えび(冷凍)が、内容量の多さの割に1,000円程度のお手頃値段で買い求められます。他には、金印わさび漬け(525円)、少々割高ですがアジ・サバの干物類(1枚350円程度)は絶品です。各種加工品も味良しの逸品ぞろいです。酒は『開運(純米)』と『葵天下』あたりがオススメでしょうか。別エリアには工芸品専門の店舗もあります。
ということで、今回も買いも買ったり6,500円也(笑)。
お近くにお越しの際は、お立ち寄りになられてみてはいかがでしょう。

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2007/08/10

【小さな旅】リアルさいたまの夏

埼玉県に住んでいるならば、ぜひとも訪れたいところがあります。

ひとつは、埼玉スタジアム2002

そして、もうひとつは、ここ↓

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おそらく、日本中でこの地域周辺が一番暑かろうと思われる日(あとで知りましたが、観測上は群馬・館林だったようです。近所ですな)。
しかも正午。しかも雲ひとつない炎天下。
埼玉の「本場の」夏の暑さを実感するには、熊谷同様、ふさわしい場所かと思われます。

休日は、例によって夫婦そろって朝から放浪(→またかい)。

 “埼玉”の中心で、「暑ち゛いー」 を、さけぶ。

    #位置的には県北ですが(笑)

 

【さきたま古墳公園(さきたまこふんこうえん) 行田市大字佐間 JR行田駅or秩父鉄道行田市駅より市内循環バス「さきたま古墳公園前」下車徒歩2分 2007年8月5日 訪】

070805sakitama2 『さきたま風土記の丘』としても知られるこの公園、2~3年ぶりに訪れてみました。
気温が何度なのか知りたくもないほどうだるような暑さ。
さすがにこの暑さでは、訪れる人もまばら。この季節、人混みもなく駐車場も空いている観光地としては絶好のコンディションです(笑)。

すでに周辺は、蝉しぐれ。

 みんみん しゃんしゃん じーっ ・・・

070805sakitama3園内に入ると、さらに暴力的な音量で頭上から降り注いできます。

静けさや 岩に染み入る 蝉の声 (芭蕉)

 静けさや・・・
  静けさや・・・
   静けさや・・・ 

 

ウソつけ(怒#)。

 

070805sakitama4 

 

 

 

まずは、すぐ近くの『丸墓山古墳』へ登ってみました。
円墳としては、日本最大級の規模を誇るそうです。
戦国時代、石田三成が忍城攻めの際、ここに陣を張ったことでも知られています。

070805sakitama5 古墳の上から下界を見渡してみると。
思った通り、、、むちゃくちゃ広大な園内には10人くらいしかいません。(゜∀゜;)
古墳の上に立っていると、園内のどこかしこから、

「あぢ~っ!」

という声が散発的に、こだまして聞こえてきます(笑)。
たまに道をすれ違う人もまた、うつむき加減に黙々と歩きながら、

「あ゛つ゛い・・・」

とつぶやいています。

暑いので、次。 

070805sakitama6 

 

 

 

 

『稲荷山古墳』。
鍵穴形の前方後円墳です。
この古墳から出土した副葬品のうち、115文字の銘文が刻まれた鉄剣は、あまりにも有名。日本の歴史上最重要な出土品のひとつとして国宝に指定されています(併設の博物館で展示されています)。

070805sakitama7稲荷山古墳から、“埼玉”の中心を眺望。
青々とした稲穂が連綿と続いているさまは、まさに豊穣の大地・埼玉を象徴しています。
無事、実り多き秋を迎えられることを願って止みません。

埼玉の中心で、埼玉の夏を存分に味わいました。
全身水をかぶったようにびしょ濡れになりましたが、なんとも清々しい気分になりました。

心頭滅却すれば 火もまた涼し

 心頭滅却すれば・・・ 
  心頭滅却すれば・・・
   心頭滅却・・・ 

 

できんわいっ!

 

このあとは、汗を流しに温泉でひとっ風呂・・・でした(^^;。

今回、あまりの暑さのため説明不足な点が多々ございました、何卒ご容赦ください。
『さきたま古墳群』ならびに併設の博物館についての詳細は、こちらをご覧くだされば幸いです。

070805sakitama8 追記:
富岡だけでなく、行田でも運動しているんですね→

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2007/08/09

【小さな旅】上信電鉄の旅(後編)

前回のエントリのつづきです。
上州一ノ宮駅から貫前神社を参詣後、国道254号沿いに富岡製糸場まで徒歩で向かってみました。

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貫前神社の杜を下って国道に向かう途中、眺望が開け、富岡市郊外が見渡せました。
景色を眺めながら、場所は少々違うのですが、かのTV時代劇の名作『木枯らし紋次郎』のオープニング・ファンファーレ(上條恒彦の唄の直前に流れた、あの音楽)とともに、芥川隆行の「木枯し紋次郎・・・上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれ、十歳の時国を捨て、その後一家は離散したと、、、」のナレーションが頭の中をグルグル巡っておりました。こんなところで“華麗”を実感(笑)。

国道254号を中心市街地に向かいトボトボ歩いていたら、急に夏の陽射しが襲ってきました。梅雨明けしたばかりのお天道様は、容赦なく私たちをギラギラと照らします。汗で頭からずぶ濡れになりながら、何かに取り憑かれたように歩く夫婦づれの姿は、きっと危なかったのでしょう。道ですれ違ったオジサンから、「こんにちは・・・」と心配そうに声をかけられてしまいました(@▽@;)。
コンビニで水分補給し、さらに歩を進めます。

【2007年8月4日 14:00ごろ 七日市藩陣屋跡】

070804nanokaichi 道程半ばのところ、県立富岡高校の敷地内にあった、『七日市藩陣屋跡』。
加賀藩・前田利家の五男・利孝が七日市藩を拝領し、以降、明治維新まで前田家の治世が続いたとのこと。この陣屋には、明治6年、皇后・皇太后行啓時の宿舎となったそうです。ちょっと木陰で涼んで元気が出ました。

 

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中心市街地付近の様子は、新旧混在といった佇まい。
街路は現代的ですが、店構えが大正~昭和の香りに満ちています。下仁田もそうでしたが、これまで群馬県内で訪れた伊香保、草津、渋川etc...の各地も似たような雰囲気が残されています。タイムスリップ空間は“群馬クオリティ”なんでしょうか(^^;070804tomioka3

富岡市街地に限らず、上信電鉄沿線のあちらこちらで見かけるスローガン。現時点では世界遺産登録暫定リストに登録され、地域の気合いの入れ具合が充分伝わりますが、産業施設の世界遺産認定は、石見銀山がつい最近認定を受けたばかり。かつて世界の銀生産の主力であった石見銀山に比べるとインパクトが少々弱く局所的なだけに、行政だけでなく地域住民も一体となって、富岡製糸場の文化的価値をどれだけアピールできるか・・・が正式認定へのポイントでしょうか。

【同日 14:20ごろ 富岡製糸場】

070804tomioka2070804seisijo1貫前神社から歩き始めて数十分、到着。さすがここは“富岡の中心”といった番地(笑)。
現地は夏休み真っ最中ということもあり、学生の団体サンも何組か訪れており、賑わっていました。

入場料は大人500円。施設保護と見学者の安全確保のため、見学の際は必ず解説員が同行します。所要時間は約1時間。時間の無い方が建物だけぷらっと見て回る、といった行動は取れませんので念のため。。。

070804seisijo2 夏休みのためか、毎正時の間にも見学時間が設定されていました。14:30からの見学を待っていたところ、目の前に大きな石碑が。埼玉とは大変縁が深い、片倉工業(株)の記念碑でした。戦中~戦後は片倉工業が富岡製糸場を操業し、昭和62年(1987年)まで主力工場として稼働していました。操業停止後も片倉工業が保全管理し、平成17年(2005年)国史跡の指定を機に、富岡市に寄贈されたそうです。
バブル崩壊後の日本経済界において、十数年の長きにわたり、閉鎖した工場を損得勘定抜きで管理することは、効率や合理性を追い求める企業体質では凡そ叶わなかったことでしょう。前世紀の貴重な遺産を次世代に継ぎたいという、片倉工業の心意気の一端を感じさせてくれます。

歴史の教科書に掲載されている、日本最初の官営工場、富岡製糸場。
富岡製糸場の沿革については、私がここで説明すると文章が冗長になるだけですので、詳しくはこちらをご覧いただくとして・・・以下は補足的なご案内まで。

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 正門を入って最初に目にする建物(写真上)が東繭倉庫で、建物向こう側、広大な中庭を挟んだところには西繭倉庫があります。

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建物は、資材の現地調達を基本として、当時の日本における最初の技術が駆使されています。柱は杉材、壁は近隣で精錬したレンガを使用した和洋折衷の技法で、鉄骨コンクリートよろしく『木骨レンガ造』構造となっています。このような構造は私も初めて見たので、興味津々でした。
出入り口部の上部アーチの要石(楔石)には、「明治五年」の刻印があります。

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070804seisijo5 東繭倉庫と西繭倉庫の間を“コの字型”につなぐように、繰糸場(上写真)が配置されています。梁の上部を木材トラス構造にして、従来の日本建築の根幹である「柱」構造を省略しています。当時の大工たちは、これでは不安だと、梁を二重に通したそうです(写真では梁が1本に見えますが、下から見ると2本合わせになっています)。
創業当時は、欧米の繭の病疫被害による絹糸不足と需要増加を見込んで、世界最大規模の施設を整備したとのこと。この世界最新鋭の施設と大規模生産体制が、日本黎明期の殖産興業と外貨獲得を支えたのです。
現在展示されているのは、片倉工業が実際に使用していた繰糸機だそうです。

070804seisijo7場内には付帯施設もいくつか整備されており、 右写真はフランスから招聘された技術者・ブリューナの住居。当時、フランスは東アジアに経済・産業活動を展開しており、この高床形式の住居は、東アジア各地の建築様式の影響を受けたものとされています。
ちなみにブリューナの月給は、現在の貨幣価値に換算して300万円だったそうで・・・(^^;
ブリューナ帰仏後は、工女たちの教育施設として改装され、働きながら学べる環境が整備されました。

私たちを案内してくれた解説員さんの軽妙な語り口に引き込まれ、1時間があっという間に過ぎました。産業・文化遺産としての教育的解説と啓蒙を主とした案内構成となっているので、「○○に行ってきました」的な物見遊山を好まれる方や、元気が良すぎて走り回るお子さんにはちょっと不向きかも知れませんが(笑)、学習教養施設としては充分な教材ですので、学ぶことを主眼として訪れるにはオススメの施設です。
解説員さんのお話が聞こえるよう、場内ではくれぐれもお静かに。。。070804omiyage1(^^;

製糸場の門を出たところに、“絹しゅうまい”の店・『信州屋』が。
のぼり旗と店構えの誘惑に負け(笑)、お持ち帰り用の15個入り折詰め(1260円也)を購入。帰宅して、蒸して温め直しをする端から、食欲をそそるよい匂いがたちこめました。一口頬ばると、匂いの期待を裏切らない、滋味深い上品な味わいでした。からしだけで充分の味付けで、ご飯が欲しくなります。
私は温め直しましたが、アツアツよりは冷えたくらいのほうが美味しくいただけました。

070804tomioka5 時間がストップしたようなレトロ繁華街(笑)を通り抜け、上州富岡駅へ。
駅横には、先刻下仁田で見たような・・・(^^;
デキ型電気機関車を模った、トイレ。
上信電鉄のシンボルなのだなぁ、と再認識させられました。

 

【同日 上信電鉄 上州富岡駅 16:15発 → 高崎駅 16:52着】

070804tomioka6ほどなく高崎行きの列車が入線し、乗車。車内は、この日、高崎での夏まつりに向かう浴衣姿の少女たちが多く乗っていました。年に一度の祭りを楽しみに目一杯着飾って、山里からやって来る年頃の少女たち・・・自分もかつてはこうだったのだなあと、久々に見る地方の祭りの風情が懐かしく思えました。

今回の旅も毎度お馴染み、思いつき行き当たりばったりの旅でしたが、得てして計画性がないほうが、意外と発見や出会いがあ070804takasaki0るものですね。
JR高崎駅では、対面のホームに奥利根号・D51機関車が入線してくるというおまけつき。

帰路は、冷房の利いた『快速アーバン』グリーン車で、ビールを飲みながら車窓の夕日を楽しみました。

派手さはないですが、今回も思い出深き、佳き旅となりました。

(おわり)

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2007/08/08

【小さな旅】上信電鉄の旅(前編)

休日は、例によって夫婦そろって朝から放浪(笑)。
特に今の時期は、家にいると暑いので・・・(@▽@;)/~

070804takasaki 最近ゼイタクになったのか、列車にグリーン車が連結されていると、ついつい乗ってしまいます。少しでも旅情が盛り上がるという意味では良いのですが、休日は料金割高なので、手近で済ませるという節約精神からは逸脱してしまいます(とほほ)。
大宮から高崎まで『快速アーバン』で一時間半余り。一旦JR改札を出て上信電鉄ホームへと向かいます。

【2007年8月4日 上信電鉄高崎駅 10:31発 下仁田行き】

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070804johshin2上信電鉄は、いわゆる“ラッピング電車”の見本市のような路線。個性的な地元企業の広告だけでなく、さすが上州コンニャクどころ、『マンナンライフの蒟蒻畑』電車も元気に鉄路を走っています。

とりあえず、目に付いた行き先ボタンを適当に押して切符を買い(上州富岡行き) 、乗車。コトコト列車に揺られること1時間・・・。
ちなみに、この上信電鉄で1時間も乗車すると、終点に到着します(笑)。

【同日 上信電鉄下仁田駅 11:31着】

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着いたところは、終点・下仁田。
ネギとコンニャクで全国にその名を轟かせる、一大生産地であります。
上左写真によれば、「人情の街」でもあるようです。

070804shimonita2 突然、駅線路内を見渡していたダンナが、ワクテカな表情で私を呼びつけます。
“鉄”の皆さまには有名な、通称『上州のシーラカンス』と呼ばれる「デキ型」電気機関車です。大正後期にドイツから購入された、日本最古の電気機関車で、松本零士氏のイラスト画が上信電鉄『デキを愛する会』のHP表紙を飾っています。
ワタシら夫婦の行動につられて追ってきた“鉄人さん”たちも、写真をバシャバシャ撮られておりました。。。

せっかくなので、小一時間ほど駅周辺を散策することに。

070804shimonita4

 

 

 

 

 

で。
驚きました。
『中央通り』と看板の掛かった駅近の商店街を歩いていると、一気にタイムスリップした感覚に陥りました。上右写真の、どう見ても一般家屋に見えない建物を観察してみたところ、玄関のガラスに『撞球場(どうきゅうじょう=ビリヤード場)』の文字。昔からの社交場だったようですが、現在利用されているかどうかは不明。
また、昼時にも関わらずまだ暖簾を出していない飲食店多し。通りには人影もなし。日頃観光客など来ないのでしょうか、客を呼び込む雰囲気もなく、やる気の無さそうな店構えで、ほぼ地元ユースの商店街といった印象を受けました。逆にそういう「素の雰囲気」を味わえたほうが、その地域の生活の様子がうかがえて楽しいものです。

070804shimonita5 食事をしようと思い、注文が早く出て来そうな店が良いとの判断で、やる気のありそうな(笑)駅前の洋食屋へ。
駅前の飲食店と言えば、先日大井川鐵道の千頭駅で苦い思いをしたことが記憶に新しいため一瞬躊躇しましたが・・・この店では杞憂でした。注文はサッと出てくるうえに、出来合いのモノではなく、しっかり手をかけて調理されているのが舌の上でも感じられました。私が注文したパスタも麺の茹で方が都会のレストラン並みに上手く、ダンナが注文した豚の生姜焼き定食も良質の材料を使用していて、デザートの『神津牧場ソフトクリーム』も上品な味でした。
単品でオーダーした『さしみこんにゃく』は、文句なく本場の味でした。
駅前の定食屋、侮るなかれ・・・時間が無くゆっくり出来なかったのが残念でした。

急いで昼食を済ませ、目の前の駅改札を速攻で通り抜け、高崎行きの列車に飛び乗りました。

【同日 上信電鉄下仁田駅 12:30発 → 上州一ノ宮駅 12:47着】

070804ichinomiya1

 

 

 

 

 

070804ichinomiya2ダンナが「ここで降りるぞ」とのたまったため、下車。
(゜∀゜;)
是非行きたいところがある、とのリクエストに応えることに。
ちなみに、右写真は駅から目的地までの間で見かけた、やたら視線を惹いた店。
看板の信憑性の議論は割愛することにして(笑)、、、宝くじファンの方、いかがでしょう?

これもまた、街歩きの楽しみというものです。 

【同日 13:00すぎ頃 貫前神社(ぬきさきじんじゃ)】 

ダンナのリクエスト先は、ここ。
群馬県を中心とした関東一円と新潟・福島に広く分布する赤城神社よりも格上の“上野国一ノ宮/国幣中社”であることと(ちなみに赤城神社は上野国二宮/旧郷社・旧県社)、境内の構造が珍しいので見てみたいとの希望を叶えてさしあげることに。

070804nukisaki1

 

 

 

 

 ①写真左:正面の参道。まずは石段を登って総門へ。
 ②写真中:参道石段上の総門。ここをくぐると・・・
 ③写真右:なんと下り階段!下ったところに社殿があります。

一般的な参道~社殿の道のりは、平坦地か「登り」構造になっています。「下り」なら宮崎の鵜戸神宮などがありますが、当社は一旦登りきった直後に下るという珍しい構えとなっていました。私も初めての経験でした。070804nukisaki2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

070804nukisaki3 貫前神社は、6世紀ごろの創建と伝えられています。
現在の社殿は、徳川三代将軍家光の頃に造営され、明治の頃には旧国宝指定を受けていたようですが、第2次大戦後は重要文化財に格下げになっています(詳細は不明)。

近代では、富岡製糸場で働く工女たちが、糸取り上達祈願に参詣していたそうです。
境内は、永い歴史が積み重ねられた風格ある佇まいで、070804nukisaki4御神域としての静謐さと重厚さに満ちておりました。

思いがけなくありがたいものに出会え、心の栄養を補給できました。
元気が出たところで、国道254号を一路、徒歩にて富岡製糸場へと向かいます。

(つづく)

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2007/07/06

大井川鐵道の旅(後編)

070701abt21 長島ダムを2時間ほど堪能し、再びアプトラインで千頭へ、そして千頭から“鉄の王道”蒸気機関車に乗って金谷へと戻る、大井川鐵道の旅の後編です。

井川行きの列車がやって来ました。この列車が終点・井川で折り返してここまで戻ってくるのを待つことに。

【2007年7月1日 大井川鐵道南アルプスアプトライン 長島ダム発 11:57】

070701abt22長島ダム駅。周囲に人家のない無人駅にありがちなクモの巣や落書きは無く、管理の手が行き届いている駅舎です。こういう清潔感こそ観光地に必要な要素です。 某巨大鉄道会社も見習って欲しいものです。

 

070701abt23井川から列車が戻ってきました。
駅に降り立ったときはダンナと2人だけでしたが、後続の列車で来た観光客でしょうか、今回の乗客は数名増えました。
余談:
隣のご婦人が、駅舎のはるか遠くにいるお連れの方を呼ぶ時に、
「ヤッホ! やっほ~!」
と遊んでいました。自然には人の心を解放する力があります(笑)

 

070701abt24 千頭までの切符を車内にて購入。大人2人で片道600×2=1200円也。往路であった車掌さんに逢いました。ニッコリ笑みを返されました。
そう言えば、つい最近鹿国にて同様の紙券を手にしましたが、隣国の埼玉県の路線が記載されていませんでした。あれは何故なんでしょうかねぇ。。。
(参考)

お天気は時間が過ぎるごとに回復傾向に。薄日が差してきました。あと30分早ければ良かったのに・・・とまたお天道様に恨み節。

070701abt25 客車の窓は、上から下へ降ろして開ける構造になっています。
確かにこのほうが、安全上は好ましいかも知れません。
 #車窓からどうしても首を出してしまいますし(^^;

 ギィー・・・ギュイーン・・・ガタンゴトンゴトン・・・

鉄路の軋む音が、客車の揺れる音が、旅情を大いに昂揚させてくれます。

070701senzu21 千頭駅構内に入ると、昔の国鉄で使われていた『Cトキ229形』という貨車がありました。
現在では、石炭ガラを運搬するのに使用されているそうです。
子供の頃、近くの駅にこんな貨車が止まっていて、官舎の脇に石炭置き場があったことを、ふと思い出しました。

【大井川鐵道南アルプスアプトライン 千頭着 12:45】

070701sl1あらかじめ予約していた金谷までのSL乗車券を購入し、1時間半程度時間があったので、駅前の定食屋で遅い昼食を取ることに。
しかし・・・これが大失敗(´д`)。30分待っても食事が出てこないし、「まだかかりそうですか?」と聞いてもちゃんと返事をしない、やっとこさ出て来たら、椀の半分しか味噌汁が入っておらず、しかも味付けは全部塩辛いし、散々。どうりで隣の客人が食べ残していたわけで。こちらも無言の抗議で残すことに。
070701senzu22 ろくに食べられなかったので、駅の立ちソバ屋で口直ししたら、こちらのほうが断然おいしいでした。ソバを平らげたのち、香ばしい匂いに誘われて、すぐ近くで焼かれていたアユの塩焼きを購入。こういうものには滅法弱い(笑)。解禁1ヶ月にしては大型のアユでしたが(^^;、美味。1本400円也。最初からこの手で行けば良かったと後悔しきり。時間も消費してしまい、ちょっと損した気分に。
と、そこへ、2~3名のうぃあーさん御一行に遭遇。こんな奥地にも。。。うぃあー恐るべし。

【大井川鐵道本線 千頭発 14:16】

予定外に時間を費やしてしまったので、急いで本場・川根茶を買い込みホームへ。
いよいよ、憧れのSLに乗車します。蒸気機関車『かわね路号』。
SLは見たことは何回もあるのですが、乗車するのは今回が人生初。いやがおうにもワクテカ感が高まります。

070701sl2_1 

 

 

 

 

 

 

 

 

070701sl3ホームでは、機関車がモテモテ!老若男女を問わず、乗客のほぼ全員が取り囲んで記念撮影を楽しんでいます。この日、私たちを導いてくれる機関車は『C11 190』形。「しゅっ・・・しゅっ・・・」と静かに蒸気を吐いて、スタンバってくれています。
千頭駅にはターンテーブルが無いのでしょう、いわゆる“顔”の部分(写真左手前)に客車が連結されていたため、バック方向に進行します。客車は『オハ35435』形。小学生の頃まで、この『オハ』070701sl4形の客車に乗っていた記憶があります。
客車の中に入ると、さらに非常になつかしさを覚えました。
木製の椅子に張られたベルベット調のクッション。気のせいか、現在首都圏で走っているボックスタイプの座席より広く感じます。子どもたちが喜んで座席に座ってポンポン跳ねています。子供だけでなく、多分大人たちも気分はぴょんぴょん跳ねているでしょう。

070701sl5 木枠の窓、高い天井に扇風機。扇風機には“JNR”のロゴ。
なつかしさが最高潮に達します。

すると。。。

  ∞ 
   ||
 (゜▽゜) ポーッ!

出発です!
070701sl6 「ガチャン・・・」
動き出す機関車と客車の連結部分の噛み合う重量感あふれる音が、またたまりません。
「ふぉっ ふぉっ ・・・ ピィ~ッ!」
まるで生き物の背に乗せられているような、そんな温もりが客車を包みます。車窓からは時折“スス”が舞い込んで野趣満点。石炭の改良が進み、昔に比べればススの量は激減したとか。現在ではインドネシア等の輸入品を使用しているとのこと。国内の石炭産業の消滅が、この国のエネルギー政策の転換の歴史を物語っています。

さて車内では、車掌さんが、使用車両の歴史や沿革を説明してくれています。サービス精神旺盛な車掌さんは、マイクの前でハモニカを持ち出し、「汽車きしゃしゅっぽしゅっぽ・・・」を演奏。さらに数々の鉄道の唄を披露してくれました。ついにはマイクの前では飽きたらず、客車内にやってきて生ライブ!・・・もう、たまりません(ノ;д`)。
さらに、たまらなさに拍車をかけたのが、これ。
070701sl8 車内販売でしか入手できない、『かわね路号』のおもちゃ。
機関車と客車部分を引っぱると、いわゆる「ゴム巻きゼンマイ」の原理で徐々に引き合い、連結した直後に走り出す、という仕掛け。車内販売員さんの実演にやられてしまいました(笑)。

車窓の風景に癒されながら、陽気で素朴な車掌さんの人柄、人肌の温もりのある客車に揺られ・・・実に久しぶりに心の底から「ほっとする」ものにふれあえた実感を味わいました。デジタルな毎日を過ごすうちに忘れかけていたアナログの優しさ。野暮ったくて遅くて不便な時代ではあったけれど、昔は皆、こんなリズムで生活をしていたことを思い出させてくれました。隣席の方とも唄ったりして、人との距離も近づきました。昔は、こんなもんだったよなぁ、と懐かしさと優しさで胸いっぱいになりました。
この旅を企画してくれた、ダンナに心から感謝です。

【大井川鐵道本線 金谷着 15:39】

070701sl7 楽しい旅は、あっという間に時間が過ぎてしまうものです。
途中、団体客が乗り込んできましたが、車掌さんの2回目のライブを鑑賞することができて(笑)、全く退屈する時間がないままに、終点の金谷に着きました。
降りる頃は、どこか気持ちが軽やかで、素朴で優しい心持ちになっていました。
本当に心温まる、充実の大井川鐵道の旅でした。

070701kanaya1 旅を終え、金谷駅の駅前広場にて、掛川方面の普通列車を待つことに・・・

しかし。
そこで、旅は終わらなかったのでした
  (((;゜Д゜)) エッ・・・!

(次回をお楽しみに・・・)

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2007/07/05

大井川鐵道&長島ダムの旅(前編)

 ♪る~るる るるる る~るる るるる ・・・

今回は『夜明けのスキャット』ではありません・・・みなさまこんにちは、『鉄子の部屋』でございます(笑)。

もといダンナと私の場合、『鉄』と言っても“鉄男”“鉄子”サンほどのマニアではないため、鉄道(と列車)そのものに関する知識は詳しくありません。
実は、ダンナは生まれも育ちも鉄道官舎(要するに、旧国鉄マンの息子)、私の実家は戦前からの鉄道関連商売(機関区整備士だった爺様が始めた商売)をやっていて、お互い駅から徒歩1分以内で暮らしていたせいか、鉄道は生活の一部として親しんでおり、一般の方より若干“鉄分”が多い程度でしょうか。偶然ですが、お互い似たような出自で夫婦やってます(笑)。

さて。
070701lawson磐田戦の翌日、十数年ぶりに大井川鐵道に乗って、長島ダムまで行ってきました。
以前、仕事の関係でよく訪れた、若き日の思い出巡りの旅です。
道中が長いので(汗;、金谷~千頭~長島ダムまでの往路を前編、復路を後編としてお届けいたします。
早朝7時。まずは、掛川で毎度われらの胃袋を預かる北口のこの店(昨夜も来たような・・・)にて朝メシ調達。 たまには違うもんが食べたいぞぉー

【2007年7月1日 JR東海道本線 掛川発 7:08】 070701kakegawa

出発地の掛川駅は、南側の近代的な駅舎と比べ、北側の駅舎は和風なデザインとなっています。こちら側にある掛川城&御殿のイメージに合わせているのでしょうが、そのギャップが極端な印象を受けるのは私だけでしょか(^^;
などと、つべこべ思いながら三島行きの列車に乗り金谷へ。

【JR金谷着 7:23→大井川鐵道 金谷駅】

070701ohigawa1 JR側のホームから、大井川鐵道ホームへの連絡改札口がありました。本来なら一旦JRの改札から外に出て、大井川鐵道の駅舎改札から入場すべきなんですが、そこは地方ローカル線の寛容さ(笑)、ここから通していただいて駅舎切符売り場へ抜け切符を購入し、本来の入場手順を踏ませていただきました。

【大井川鐵道本線 金谷発 7:36】

070701ohigawa24

 

 

 

昭和40年代に製造された『近鉄16000系』という電車に乗車(使用車両についてはこちらに一覧あり)。客車は昔の特急クラスで座り心地は民営ローカル線としては少々リッチ感あり(^^)。長島ダムまでの運賃は、片道2,410円也(高っ!)。客は私たちを含めて2~3組といった程度でしたが、金谷市街(現・島田市)から数組乗車してきました。070701ohigawa6

金谷市街を抜けると、雄大な大井川の河川風景が車窓に拡がります。あいにくお天気が悪く爽快感がいまひとつだったのは残念ですが、普段出逢えぬ風景は眼福の至りです(しかしダンナにとっては最近まで仕事でよく来た見慣れた光景のようで・・・(^^;)。

070701ohigawa5 神尾駅にお行儀良く並んでいた“たぬき”の置物。
沿線の演出でこのようなディスプレイがありました。
それぞれの表情で、車窓から列車の旅人をユーモラスに迎えてくれています。

 

【大井川鐵道本線 千頭着 8:49】070701senzu1

十数年ぶりに訪れた千頭駅。当時の記憶はおぼろげなのですが、機関車と木製貨車の色彩のイメージが記憶に強く残っており、当時の風情を現在も受け継いでいるような気がしました。
ここで南アルプスアプトライン(井川線)に乗り換えます。

 

【大井川鐵道南アルプスアプトライン 千頭発 9:00】

070701abt12

 

 

 

 

 

“アプトライン”の名が表すように、この路線は、日本で唯一のアプト(ABT)式鉄道が導入されています。まさに『鉄』の方には説明不要かと存じますが、以下概略を。 
井川線は、戦前、木材運搬のための森林鉄道として運用され、戦後には井川ダム・畑薙ダムの資材運搬路線として活躍。ダム完成後は旅客営業を開始しましたが、長島ダム建設決定により付け替えされ、平成2年、急勾配のアプトいちしろ駅~長島ダム駅間にアプト式鉄道を導入しリニューアル開業しました。

客車は『スロフ314』、機関車は『DD203』形ディーゼル機関車が、6~7両編成の真ん中と最後尾(千頭側)に連結されていました。ここ千頭駅~アプトいちしろ駅間は、この状態で運行されます。客車の狭さ加減が、山岳鉄道の雰囲気を醸し出してくれています。
070701abt3乗車直前、急に「きゃっきゃっ」と年甲斐もなくはしゃぎ出し、気持ちが高揚してきました。これは久々の乗車のせいではなく、ただ単に童心に帰ったためと思われ(笑)。

沿線の渓谷美は素晴らしく、全く飽きが来ません。
これでお天気さえ良ければ・・・と、お天道様をうらめしく思うことしきり、スミマセン。

 

【大井川鐵道南アルプスアプトライン アプトいちしろ着 9:43】

070701abt4_1

 

 

 

 

 

 

 

 

070701abt5いよいよ、アプト式機関車(ED901形電気機関車)が、ここで連結されます。
長島ダム駅までのわずか1区間の連結ですが、
 「コレが楽しみで」
乗っているのです、客は(笑)。
連結シーンは、子どもたちに大人気!しかし意外に作業は早く、わずか2~3分で完了。

070701abt6 「もうすぐ進行方向右手に長島ダムが見えて参ります」
とのアナウンスに、車窓の外には一斉に雁首が並びます(笑)。
いよいよ、竣工した長島ダムと初めて対面します。

 

 

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長島ダム駅に着く直前、雄大なダム景観が眼前に広がります。
圧倒的なスケール感と迫力に、「うわ~!」と歓声が上がります。

【大井川鐵道南アルプスアプトライン 長島ダム着 9:53】070701abt7

ここでアプト式機関車を切り離し、客車は終点の井川まで運行します。
井川から戻ってきた列車は、再度ここでアプト式機関車と連結され、千頭方面へと向かいます。

ちょうど写真の切り離された線路部分が踏切となっており、ここを渡って駅を出ます。いちおう安全のためか、車掌さんが渡りきるまで付き添ってくれました。

070701nagashima1_1自然と足が止まりました。駅からダムを眺め、しばし感慨に耽りました。
詳しい事情はここでは控えますが、私が携わった計画がほぼ反映されて完成していたことに、非常に感銘を受け、しみじみ泣けてきました(つ;д`)。
十数年の歳月を経て得た達成感は筆舌に尽くし難いことを、ここで初めて知りました。

070701nagashima2どこに仕舞い込んでいたかも忘れていた思い出や記憶が、一気に引き出されます。
それほど計画どおりに造られていました。記憶を辿ってひとつひとつ確かめる作業をしては、目頭が熱くなります。
写真を100枚見せられようが、実感は湧きません。
自分の肌で感じることに勝るものはありません。

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070701nagashima3ほんの少しだけオススメのスポットをご紹介。
上左写真はダム天端の展望バルコニー。
上右写真は、水の放流とその下にある吊り橋。この吊り橋からダムを眺めると、その迫力を存分に味わうことができます。

右写真は、ダム湖の噴水。放水の時間的タイミングと仕掛けはよく知りませんが、結構頻繁に見かけることができます。

参考までに、上記バルコニー近影。

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床面がグレーチング構造となっていて、ダム法面がスケスケに見えます。

 「恐ぇ~!こ゛ぇ゛~!」  ((((;゜Д゜)))ガクブル

と、ダンナと二人、互いに腕にしがみつき腰が抜けそうになりました。
カップルでここに立つのが、設計コンセプトに適った正しい利用方法です(笑)。

(後編につづく)

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2007/05/17

【小さな旅】吉見百穴

GW後半、ちば戦の引き分け試合からの気分転換を図るべく、県内各所をブラブラしておりました。観戦記の更新をサボっていたのはこのためです。

さいたま市内から車でほぼ1時間、県立比企丘陵自然公園内にある『吉見百穴』を訪ねました。

【吉見百穴(よしみひゃくあな) 埼玉県比企郡吉見町:東武東上線 東松山駅より1.5㎞】<国指定史跡> 2007年5月5日 訪070505yoshimi1

今回訪れるまで、「ひゃっけつ」と読んでいました・・・(恥;
一見、古墳展示施設とは思えないような、立派な入場口が整備されています(写真奥)。県の埋蔵文化財センターも併設されています(写真手前)。

 

070505yoshimi3 入場口にある解説板に、この史跡の概要がわかりやすく説明されていました(※写真クリックで拡大します)。江戸時代の中期ごろから「百穴」と呼ばれていたようですが、明治20年に東京帝大大学院生であった坪井正五郎博士が大学の後援で発掘調査し、横穴を掘り出すことに成功。当時は、先住民族とされる土蜘蛛人(コロボックル人)の住居跡であったものをのちに墓穴に利用したものであるとか、近くの松山城の兵器庫であるとか、諸説展開されましたが、大正後期に、出土品や横穴の構造から、古墳時代後期(6世紀末~7世紀末)の代表的な群衆墳墓であることが確定し、国指定史跡となったそうです。070505yoshimi2

入場料は、大人300円、小人200円也。
併設の埋蔵文化財センターの入場料も含まれているので、お得感のある料金設定です。
入場口の向こうの緑に覆われた小山の山腹に、たくさんの横穴があるようです。

070505yoshimi4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まさに“百穴”と表現したくなるほどの、蜂の巣のようなおびただしい数の穴が山腹に開けられています。意味は全然違うのですが、「土手っ腹に風穴」を直訳的に図化したような感じです(笑)。
実際には百穴以上あり、現在確認されているだけで、219個の横穴があるそうです。
岩質は凝灰岩だそうですが、これだけの数の空洞で山腹がよく持ち堪えているものだと感心します。

070505yoshimi5 入場して、最初に視界に飛び込んでくるのが、この縦坑。
何だナンダ?と思い近づくと、「この洞窟は地下軍需工場の跡地です」の案内板が。戦時中は、かの中島飛行機の部品製作のための地下工場だったとか。 戦況の悪化と空襲による生産低下を避けるため、昭和19年暮れ、当時さいたま市にあった工場を移転する目的で建設されたそうですが、大規模な突貫工事にも関わらず、本格的な生産活動が始まる前に終戦を迎えたそうです。

 

070505yoshimi6洞窟の中に、当時の痕跡をあまり見ることはないのですが、こんな薄暗く息も詰まりそうな場所をわざわざ作ったうえに、ここで本気で戦争の道具を作ろうとしていたのかと思うと、先の大戦の愚かしさと虚しさを感じます。古墳時代の遺跡と現代の負の遺跡が同居する、「時代の墓場」のような、何とも複雑な想いが交錯する空間です。

 

070505yoshimi7 さて、本来の“百穴”の話に戻りましょう。
横穴を図解した説明板(※右写真クリック拡大)によると、穴の中は玄室・羨道・前庭の3つの部分で構成されているとのこと。各所の詳細は説明をご参照ということで、遺体を安置したあとは、やはり穴は石などで封鎖し、追葬の際には再度封鎖石を除いて利用していたようです。 

070505yoshimi8ちょうど、この説明板の左下に、国指定天然記念物の『ヒカリゴケ』が自生する穴があります。
穴口は防護柵で塞がれていますが、中は覗くことができます。
ただし、小さな穴口なので、子供だったら一度に2人くらいしか覗けません。 大人だと光を遮ってしまうため、1人ずつ順番に覗いた方が良好に観察できるかと。。。 

070505yoshimi9 

 

 

 

 

 

 

 

 

フラッシュを使わず自然採光のみでしたが、蛍光色に光るコケの撮影に何とか成功。
『ヒカリゴケ』は、一般的に中部以北の山地に見られるため、関東平野に生育していることは、植物分布上極めて貴重であるとされています。

070505yoshimi10 百穴のある小山の頂上まで、遊歩道が整備されています。ちょっと登ってみることに。
「ちょっと」と言ったものの、ある程度の体力は必要とされます。数分間はトレッキング気分を楽しめます。思いのほか、樹木が鬱蒼と繁っていました。

 

070505yoshimi11 山頂は、展望台として整備されていましたが、あまりに緑陰が濃いために、眺望は開かず(笑)。
数百メートル先に松山城址のある丘が見えるということなのですが、松山城址やいずこ・・・(^^;
展望台と言うよりは、木陰や森林浴を楽しむ空間といったところで、それはそれでよろしいかと思います。

070505yoshimi12 下山して、園内に併設の埋蔵文化財センターへ。
様々な出土品をはじめ、『勾玉づくり』『埴輪づくり』『土器づくり』などを家族で楽しめる体験学習コーナーもあり、充実した立派な施設です。連休の最中とあり、多くの家族連れの利用で賑わっていました。

 

070505yoshimi13 園内の売店では、さすが県北文化圏、『五家寶』のバラ売りが(笑)。1本35円也。
何十年ぶりに食べました。“ラムネ星人”のダンナが入手したラムネと共に食べると、きな粉と餅が口の中に目一杯拡がって、酸素不足で遠い目になりながら、得も言われぬ味わいを楽しめました(笑)。

この日の朝、思いつきでドライブがてらやって来たのですが、訪れる前の私の想像を越えて、立派な史跡公園として整備されており、短時間ながら古代の習俗文化と近代歴史に触れつつ学習でき、望外に楽しむことができました。

 ※この他、詳細については吉見町役場ホームページをご参照ください。

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2007/05/02

【小さな旅】春日部・牛島の藤

前エントリのタイトルは、これの前振りみたいなもんでした(^^;

国指定特別天然記念物として、浦和では『田島ヶ原のサクラソウ』が有名ですが、お隣の春日部市にも立派な特天があります。
『牛島の藤』。
ちょうど見頃とあって、野田線に乗って足を伸ばしてみました。

【牛島の藤(うしじまのふじ) 春日部市牛島:東武野田線 藤の牛島駅より徒歩10分】 2007年4月28日 訪 

070428ushijima1春日部駅の隣り、『藤の牛島駅』下車。
駅の名前がまんまわかりやすいですので、間違っても春日部て下車されませぬよう(^^;
東武野田線の駅舎は、「玄関開けたら、すぐ世界」よろしく、改札を出るとすぐ敷地の外、という建物構造をよく見かけます。待合いや雨宿りスペースを節約しているのでしょうか。

 

070428ushijima2

改札を出て、最初に目に飛び込んでくるのが、この壁画。
カラフルかつしっかりとした構図は、おそらく素人の仕業ではありません(道すがらに壁画屋さんがあったので、多分その店の作でしょう)。

 

070428ushijima3 また、駅舎に併設して、藤園までの地図と公開を案内する看板がありました。
今年の開園期間は、4/21~5/13とのこと。
期間日を紙で貼り付けているところが何ともチープさ満点なのですが、その下にある入園料の表示は、決してチープではありません(´д`)

070428ushijima4 

踏切を渡り北上する道を歩くこと10分、目的地の『藤花園』に到着。
民間会社が管理運営しているようです。

 

070428ushijima5

この藤は樹齢1200余年の古木。元は真言宗の寺の境内でしたが、明治7年に廃寺となり、以来所有者は変遷し現在に至ったそうです(詳細については、上記リンクの由来をご参照ください)。

 

070428ushijima6_1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

園内に入ると、見事な藤棚が眼前に拡がります。 
花房の長さは、最も長いもので2mにも達するとか。近くの人物を物差しにすれば、その大きさがわかりやすいと思います。

070428ushijima9

『牛島の藤』は、春日部を代表する花木として、市民に大変親しまれています。4/29に開催された、今年の『藤まつり』には13万5千人の人手でたいそう賑わったそうです。
一斉に咲いたその眺めは幻想的で、都会の喧噪を忘れさせてくれます。

 

070428ushijima7 藤への施肥は、酒粕を使用しているそうです。
地元さいたまの『世界鷹』『都鷹』の蔵として有名な小山本家酒造より寄贈された酒粕を使用とのこと。他に『北鹿』(秋田)『雪椿』『越の日本櫻』(新潟)の酒粕も使用しているそうですが、ちょっと調べたところ、これらの銘柄の醸造元も、小山家グループの関連企業だということは、初めて知りました。

070428ushijima8

 

根回りは10㎡あり、樹幹は根元から数本に分岐しています。

 

 

070428ushijima10まだ少々見頃には早かったようで、花房の先のほうは、開花していませんでした。
暖冬で、多くの自然現象が“季節の前倒し”状態になっている今年ですが、ここの藤の花は、例年通り5月上旬に見頃を迎えそうです。 

 

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園内には、白い藤の花もありました。
白色の藤を見たのは、今回が初めてでした。

 

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園内の築山から、藤棚を展望。
藤棚の面積が700㎡あり、他に同じものが3ヶ所あります。
花時の眺めは世界一と賞賛されているそうです。
まことに見事な藤棚でした。

今年の連休後半、ちょうど見頃を迎えそうな『牛島の藤』。
お時間のある方は、ぶらりといかがでしょうか?

追記:
車でお越しの方は、広大な駐車場が併設されています。
しかしそこまでのアクセスがほぼ一本道で、ピーク時の混雑は必至かと思います(^^;。
最寄り駅まで徒歩10分ですので、電車でも楽々ですが・・・道に歩道が無いうえに交通量も多いので、お越しの際はお気を付けください。

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【大きな旅】鹿嶋国列車の旅

皆さまこんにちは、石○謙二郎です(あ、音読みが同じだ) (゜∀゜;)
今回はこれまでの車旅、後援会ツアーとは趣向を変えまして、皆さまを異国情緒溢れる『鹿嶋国』への列車の旅に誘いましょう。。。

旅のナビゲーターは、おなじみの、

 YAHOO!路線情報 さぽーてっど ばい 駅すぱあと
 鹿島臨海鉄道 臨時時刻表
 鹿嶋国オヒサルサイト スタジアムバス時刻表

です。
それぞれ、裏紙印刷した紙を握りしめ、最寄り駅を朝7時に出発 (`・ω・´)ゞ
大いなる旅のはじまりです。。。

 

■往路(行程約3時間20分)

【経路概説】

   6:58 与野本町・発
      ↓  (JR埼京線)
   7:22 赤羽・発
      ↓  (JR京浜東北線)
   7:46 京成日暮里・発
      ↓  (京成本線特急)
   9:05 京成成田→JR成田・発
      ↓  (JR成田線)
   9:58 鹿島神宮・着
      ↓  (シャトルバス)
   10:20ごろ 鹿嶋国・着

 

070429keiseinipporiまずはYAHOO!の指示通りに行動。

出発から約40分、『京成日暮里駅』にてトランジット。
ここからいよいよ成田へ向かいます。
普通運賃で乗車できる特急に乗り込み(ケチ)、ひたすら国境付近まで走ります。。。

 

 

070429keiseinarita約1時間後、『京成成田駅』着。
ここで、国内線から国際線(大陸横断鉄道)に乗り換えます。
やはり遙かな異国へ向かうには、困難が伴います。
一旦、駅を出て、徒歩数分にて国際線の駅に向かいます。

なお、『Suica』利用はここまで。
 

 
070429jrnarita陸の玄関口、国際線『JR成田駅』。
この先は、紙の切符を購入します。
さすがは世界の交差点と呼ばれるにふさわしい、風格ある佇まいです。
お正月の初詣で毎年全国トップ3の動員を誇る、某有名な宗教施設を併設しています。
さあ、いよいよ出国です。“成田”の文字が出国ムードを高めてくれます。
さらに約1時間かけて、鹿嶋国の玄関口『鹿島神宮駅』まで、大陸横断鉄道に身を委ねます。

070429tonegawa

 

国境の利根川越え。
期待と不安に、胸の鼓動も高まります。。。

 

 

 

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無事、国境線突破!(゜▽゜)

洪水でも起きたのでしょうか、鹿嶋国国境付近の村々は一様に水没しているようでした。

 

 

070429kashimajingu 

鹿嶋国の玄関口、『JR鹿島神宮駅』に到着。
しかし、鹿嶋国への旅はまだ続きます。
私が到着した時刻(AM10:00)には、直通の列車が運行されていないのです。
駅を出て、さらに専用バスにて鹿嶋国へと向かいます。

 

070429bus車内は、鹿嶋国の国民の皆さまも同乗されていました。“呉越同舟”とはこのことですね。
この国の公用語でしょうか、「だっぺ」という言葉がそこかしこに飛び交い、よりいっそう異国情緒を高めてくれました。 

バスに揺られること20分余り、『鹿嶋国』に到着。 

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 無事、入国! (ノ^◇^)ノ 

 

■鹿嶋国のくらし

070429zico まずは、鹿嶋国建国の祖・爺古像にご挨拶。
堂々たる風格が漂っています。
入国の際、
「爺古像の前に、供物と香典が備えられている」
との情報が外電にて入りましたが、私が訪れた時点では、何者かにより撤去されていました。 
さらに、当局による厳重なる警備態勢(パイロン&黄黒棒によるバリケード、警備員約1名)が配備されていました。

その警備網をかいくぐり、像の後方へ回り込むことに成功したところ、、、

 

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何やら儀式めいた痕跡が残されていました。
枯花、スルメやポテチ、日高屋のサービス券などの供物とともに、スポーツ紙の競馬欄、toto券が祈願されていました。
さらに『ご祝儀』までお供え。
この国の人々の、信仰心の篤さが表れています。 

 

 

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入城の前に、あらかじめ出国手形を購入。
購入後、しげしげとこの手形図を見ていたら・・・
江戸や多摩、下総、果ては相模国の駅まで記載されているのに、わが王国・埼玉の駅の名がひとつも記載されていないではないですか!
 ヽ(`Д´)ノウワァァァァァァン     ※拡大図は、こちら
ここまで“敵地の洗礼”があるとは、思いも寄りませんでした。
帰国時の混乱に巻き込まれることがないように・・・と、用心のため事前に買っておいたのですが、のちに、この手形が悲劇を生み出すことになるのです。  ((((;゜Д゜)))

 

 

070429gate 

さて、入城です。
昨年あった“迷路アトラクション”に、期待と怒りに胸膨らませていたのですが、、、私が入場の頃にはすでに撤去。今年は時限開催のようで・・・間に合いませんでした。(つ;д`) エーン

 

 

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城内には 王国埼玉・加須名産の『こいのぼり』が元気に泳いでいました。
わが国の産品で歓迎してくれるとは、なんとも心憎いもてなしです。

 

 

070429taiheiyo 

 

「おっ母さん、あれが太平洋だよぅ・・・」(ノ;д`)

 

 

 

070429tsumire 鹿嶋国といえば、スタジアムグルメが名物。特に『モツ煮』に人気がありますが、私はモツが嫌いなので(^^;、『つみれ汁』と『おにぎり』のセットメニューを購入しました。
昨年、あの熱地獄で食べたアツアツの『つみれ汁』がとても美味しかった覚えがあるのですが、昨年比でカップが小型化したうえにつみれの数も3個→1個(!)に激減。食感&味付け共に滋味少なく、残念なことにグレードが大幅ダウンしていました。おにぎりのご飯の炊き方 もイマイチで、気合いが感じられず・・・大量生産での雑さを感じました。600円はセット価格的にも高いと思いました。来年の名誉挽回を願っています。

 

■復路(行程約3時間30分)

【経路概説】

   18:22 スタジアム駅・発
      ↓  (JR/鹿島臨海鉄道 大洗鹿島線)
   18:45 鹿島神宮・発
      ↓  (JR鹿島線)
   19:08 香取・発
      ↓  (JR成田線)
   <予定経路>  →→→→→→→→ <変更経路>
   19:58 JR成田→京成成田・発     20:04 JR成田・発  
      ↓  (京成本線特急)          ↓  (JR成田線)
   21:09 JR日暮里・発           20:54 我孫子・発  
      ↓  (JR京浜東北線)          ↓  (東京メトロ千代田線)
   21:25 赤羽・発               21:16 新松戸・発  
      ↓  (JR埼京線快速)          ↓  (JR武蔵野線快速)
   21:39 与野本町・着           21:49 武蔵浦和・発  
                              ↓  (JR埼京線) 
                            21:56 与野本町・着 

 

070429kashimakuni4勝ち点3を手みやげに、これより帰国の途につきます。
暮れなずむカシマ城をあとに、専用駅『JR鹿島サッカースタジアム駅』から、ひとまず『JR鹿島神宮駅』に戻ります。ほぼ同時刻に水戸行きの列車も入線するため、駅のホームは両軍のサポーターでごった返し。2分早く入線した水戸行きの客が収容されて、ようやくホームに入場できました。乗りそびれたら次の列車まで45分待たねばならないため、一時はどうなることかとハラハラ・・・スリルとサスペンスに満ちた、乗車までの十数分を過ごしました。

『JR鹿島神宮駅』からは、またもYAHOOの指示通りに行動します。
まずは『JR香取駅』まで行き、千葉行きへ乗り換えました。その際、多くの呉越同舟サポーターが大量に小さな香取駅でトランジットしたため、ホームがサポサポサポ・・・で、溢れかえってしまいました(´д`)

待つこと数分で、乗り換えの千葉行き到着。ここからは往路と同じ経路で帰国の途に・・・のつもりでしたが、そこで悲劇が起こりました。
『JR成田駅』にて降車し、『京成成田駅』へ向かうために一旦出札するところで、「事件」が。
出国手形では、自動改札を通過できません。当然、駅員さんのいる改札を通らねばならないのですが、その改札が1ヶ所しかない! のです。少なく見積もっても200人は下回らない数のうぃあー&鹿サポサポサポ・・・が、一斉に駅員改札口に殺到したのです  ((((;゜Д゜)))
単純に出札するだけの客だけでなく、精算する客もいるため改札は一時騒然、混雑を極めました。
「これでは帰れなくなる」
と思った私とダンナは、急ぎ我孫子行きのホームへ向かい、迂回ルートを選択することを咄嗟に決断しました。

 『YAHOO路線情報』には、乗り換え時の特記事項はない

多くの人間が、ネットなどで同じ情報を共有してしまいがちな現代では、このような行動の局地化が発生し、ひいてはパニック環境を発生させてしまうのだ、ということを、今回勉強させていただきました。

070429station また、あのような『出国手形』を発券するスタジアム駅の側からすれば、「売れさえすればいい」という感じで、手形を買った客の行く末など全く興味がないことが判明しました(確か、『スタジアム駅』もJRなんですが・・・乗り換えが考えられる駅への申し送りなどしていないでしょう、たぶん)。
さらに、受け入れ側のJR成田駅の対応にも、現場の不測の事態への臨機応変さが欠如していることもわかりました。

突然のアクシデントもありましたが、我孫子のあと、新松戸での乗り換えもスムーズにでき、予定より20分遅くなりましたが、無事帰国できました。

遙かなり、鹿嶋国・・・車の旅やツアー専用列車では、この旅の醍醐味は味わえません。

日帰りの『グレートジャーニー』

皆さまも、いかがですか?(笑)。

追記:
到着した与野本町駅で精算していたところ、駅員さんから、
「今日、レッズ勝ったんですよね? ポンテの決勝ゴールで・・・」
さすが、駅員さんのクオリティが違います(笑)

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2007/02/21

【小さな旅】高麗の里

ちょっと遅くなりましたが、オフ企画「関東甲信越小さな旅」第1弾です(^^;

立春とは思えぬ寒風吹きすさぶこの日でしたが、天気は申し分なし。家にいては勿体ないと昼前から外出。
「どこか行くぞ!」
のダンナの号令のみでとりあえず駅に行き(^^;、最初にやって来た電車に乗り込みました。埼京線下り線。方面は川越方面に決まったものの、降車場所は未定(笑)。
当てもなく、走る電車に身を任せて川越で降り、さらに乗り継ぎ、降りたところは・・・
ここ↓

070204koma1_1

 

 

 

 

 

 

 

 

 
南古谷あたりで、ダンナは密かに意を決した模様(゜▽゜)。
乗り継ぎが良ければ、なんと与野本町駅から50分程度で、奥武蔵の自然豊かな丘陵地帯に行けるのですから、埼玉は首都圏の偉大な“地方”です。

“高麗”の文字には、私も親しみがあります。故郷の鹿児島の中心市街地には『高麗町』の名の地域があります。鹿児島のほうはそのまま「こうらい」と読みますが、埼玉のこの地は「こま」と読みます。読みは違えど、その名の由来は、朝鮮半島の高句麗から渡来した先人との縁(ゆかり)を意味することは、想像に難くありません。ただ、その渡来した時代と事情は、彼の地と此の地では異なります。それについて書き出すと収拾がつかなくなりますので、「違うようだ」ということだけご認識いただければ幸甚です。

070204yakitori_1まずは、駅前のスーパー駐車場にあったこちらで「腹ごしらえ」。
“東松山名物”の看板に誘われました(笑)。
やはりみそだれは外せない、ということで、味の比較も兼ねて、モモ串(みそだれ)とやきとん(塩)を1本ずつ購入。鶏インフルで騒がれ大変な業界事情かと思いますが、私はカイワレやカキ騒動の時同様、「騒動の時期こそ安全で食べどき!」という志向ですので、全然抵抗ありません。おいしゅうございました。

070204koma2_1歩を進めていくと、このあたりは、狭山丘陵ということもあり、地場産業の茶畑を多く見かけます。この風景も鹿児島と似通っており、妙に親近感がわきます。
ほぼ地元ィロード的な道を歩きながら、目的地(になったところ)に到着。

 

【高麗神社(こまじんじゃ) 埼玉県日高市:JR高麗川駅より徒歩15分】 2007年2月4日 訪 

070204koma34_1 

 

 

 

 

境内でまず目を引くのは、“天下大将軍”“地下女将軍”の像(写真左)。このようなものは初めて見ました。将軍標(しょうぐんひょう:チャンスン)というもので、朝鮮半島古来の“魔除け”で、村の入口に建てる風習があるとのこと。

祀られているのは、高麗王若光です。
高句麗が668年に唐と新羅によって滅ぼされ、その難を逃れて多くの高句麗の人々が渡来しました。関東周辺各地分散していた高麗人を集め、716年に武蔵国内に“高麗郡”を新設。その際首長に任命されたのが若光。かの『日本書紀』において、666年高句麗から派遣された使節の中に「二位玄武若光」の名があったことから、“玄武若光”と“(高麗王)若光”は同一人物とされています。高麗王若光は、奥武蔵野の開拓に尽力し(巾着田は有名)、故国の土を再び踏むことなくこの地で没しました。郡民は、その遺徳をしのび高麗明神として祀りました。以来1200年余、高麗王若光の直系子孫が宮司を務めています。大変由緒のある神社です。(高麗神社の由縁や歴史について、詳しくはこちら。)

また、高麗神社は「出世明神070204koma6 」としても大変有名な社です。
ざっと私が見ただけでも、参道内にあった奉納札には、政界、財界、法曹界、芸能人、アナウンサーなど著名人が列記されていました。当然、前埼玉県知事の名もありました(^^;
私が何気に撮ったアングルにも、現在TVで大活躍するあの人の名が・・・。
今年はじめての、さいたま市外の神社仏閣への参詣となった高麗神社。さまざまな思いを念入りに『願掛け』させていただきました。

070204ume 身を切る寒風でありながら、日だまりには梅の花。
春の足音を感じさせてくれます。

次に、高麗神社の隣にある、高麗王若光の菩提寺・聖天院に足をのばしてみました。

 

【聖天院(しょうてんいん) 埼玉県日高市:高麗神社となり】 同日 訪 

070204syotenin1 天平の頃の751年創建という、こちらも大変由緒のある寺院です。当初から600年間は法相宗の道場だったものを、14世紀の半ばに真言宗に改宗し現在に至っています。 
境内は有料なのですが、折角ですので参詣することに。
山門まで、階段を登ります。

070204syotenin3

無人の山門には、可愛らしい半鐘が。「拝観の方へ この鐘を打って下さい」の案内が、長閑なこの地域の風情そのまま。
試しに鐘を鳴らしてみると・・・
軽く叩いたつもりが、
「くわあぁぁぁぁぁ~ん」(゜▽゜;)
予想を遙かに超える大音響!
寺の方(女性)がすっ飛んで来られました(笑)。

入山して本堂に参詣。ふと、園内の奥まったところが視界に入り、気を引かれて行ってみたところ・・・意外な光景が(※クリックで拡大します)。

070204syotenin68

 

 

 

異国の風景が、目に飛び込んでみました。
ここは、先の大戦の不幸な歴史の中で亡くなられた、朝鮮半島出身の無縁者の霊を慰めるために、在日朝鮮人の篤志家たちにより建立された墓園だそうです。供養塔の下には納骨堂、その他園内には祖国の偉人を顕彰した石像群、ソウル・パゴタ公園内の八角亭を縮小建築したという色鮮やかな建物がありました。
ここは『在日白衣民族の聖地』とされています(『白衣民族』について、詳しくはこちら)。かの若光王が風水学により、当地が日本国土の中心地で、「最高の地」として定めたそうです。その考えに基づきこの地を開墾し、巾着田をはじめ武蔵野一帯に稲作を普及したのでした。
狭山地域が、今もなお豊饒の地であることからも、先人たちの先見の明に敬服するばかりです。

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墓園をあとに、聖天院本堂に戻り、ふと前庭を見遣ると1本の桜の幼木が(写真左)。
立て札を見ると「三春滝桜」とありました。不思議に思い、帰り際にさきほどすっ飛んできた女性(^^;に話を伺ったところ、最近の改修時の大工さんが福島出身の方で、苗木を持ってこられたとのこと。山門の外にも数本植樹されていました。
070204syotenin5下山し、若光王の霊廟(写真右)に一礼。前述の14世紀の改宗により、ここに移設されたようです。
ダンナと話して気付いたのですが、寒風厳しい日和ながら、境内を含めこの場は穏やかで無風でした。風水で選ばれた地であることと何か関係があるのでしょうか。陽射しを浴びて、ロウバイがほのかな香りを漂わせて咲いていました。

070204road デジカメで撮った、駅前のデフォルメ市内地図だけを頼りに(無計画性が露呈)、巾着田に行ってみることにしました。距離感も方向性もあったものではありません(笑)。数度道を迷いながら小一時間ほど歩きました。一部、日高市のハイキングコースに指定されている道(奥武蔵自然遊歩道、ふるさと歩道)で、そのうえ丘陵地帯のため、足腰に適度に難儀な道でした(泣;  


【巾着田(きんちゃくだ) 埼玉県日高市:西武池袋線高麗駅より徒歩10分】 同日 訪 
 

070204kintyakuda1

巾着田到着。 _| ̄|○ ハアハア...
蛇行する高麗川の河道線形(巾着型)を巧みに利用して、川の水をせき止めることで、田に引水する技法によりこの地を開墾。
やはり先人の知恵は偉大です。残念なことに、現在はほとんどが休耕田とか。時代の流れには逆らえません。

 

070204kintyakuda2秋の埼玉県最大の観光地、巾着田・曼珠沙華(彼岸花)の群生地。秋のシーズンには、毎日のようにラジオでこの一帯の渋滞情報が流れます(^^;
現在は、当然のことながら冬枯れた風景が展開していますが、そろそろ春の菜の花&桜の共演が楽しみな時期が到来します。もうすぐ多くの人々がこの地を訪れることでしょう。

070204koma8 陽も傾き、寒さも身に滲みてきました。
西武線・高麗駅。ここでも『将軍標』が出迎えてくれていました。
途中、多くのハイカーさんたちに出会いました。おそらく日和田山ハイクを楽しんで来られたのでしょう。そのまま同じ電車に乗車し、共に家路に向かったのでした。

初めて訪ねた土地でしたが、鄙びた中にも歴史と気品のある、そんな高麗の里でした。
万葉の頃の埼玉の歴史の一端にふれることができ、思わぬ得をした気分の小さな旅となりました。

 

おまけ:
070204higasihannou 八高線を利用しようと東飯能駅で一旦下車。時間が余ったので、西口の地図を見て、東口の『丸広百貨店』に行ってみたのですが・・・
その『丸広』、看板がはがされて、「ない!」 ((((;゜Д゜)))
調べたところ(Wikipediaで検索ヒット)、昨年4月に閉店したそうで。。。わずか6年間の営業だったとは。立派な巨大商業ビルが廃墟と化して、なんとも淋しい限りでした (つ;д`)

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2006/12/12

北の国から'06「初冬」

「もう、年内は旅をしない。」
と、心に誓ったのですが。。。_| ̄|○

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061209sapporo1草太にいちゃんがいなくなって、もうどのくらいになるのだろう。。。

さあ、ムードを盛り上げて行きましょうか、、、
 →
クリック、どぞー(^^)。

ワタシら夫婦は、96-01年の5年間、転勤で札幌に住んでおりました。
その頃、われらが浦和レッズは、オジェック体制でちょっと「その気」になったり、伸二が入団してワクテカしたかと思ったら史上最悪の暗黒時代に転落したりと、波瀾万丈の時代でした。
遙か浦和に思いを馳せながら、そのころの苦労を共にした北の大地の仲間たちへ優勝の報告と、喜びを分かち合うために・・・やってきました。
「す す き の」 へ (゜∀゜)。
道内のあちらこちらから、多くの“ういあー”な仲間たちが集まって来ました。
加えて、われら夫婦含め再びさいたまに戻ったメンバーも、この日のために集結、合計9名が一同に会しました。
061209sapporo3

 

 

 

 

 

 

 

 

強者ぞろいの北海道のレッズサポの皆さんと記念撮影。
さすが、北の大地の仲間たちは個性的です(^-^)
写真の撮影データは、午前1時50分・・・それでも私を含めて6人の仲間が生存していました。

久々に、浴びるほど呑みますた。。。自爆_| ̄|○

061209sapporo4 さて、翌日。
二日酔いで絶不調な体を引きずってホテルから抜け出し、懐かしの『ありんこ』のおにぎりで朝食をとるも、美味しいのに全然食が進まず。ここのおにぎりを食べるのをとても楽しみにしていたのに、生命の危機を感じるくらい苦しくて・・・こういうのを「自業自得」というのでしょう(笑)。
酔い覚ましに、大通公園にて雪合戦  ○°゛ヽ(`へ´)ノ
体を動かして、少し体調も持ち直したので、テレビ塔に登ってみることに。

061209sapporo5写真は、ここ数年、札幌を訪れる修学旅行生の口コミで有名になった『テレビ父さん』という、札幌テレビ塔“非公式”キャラクターです。X’masバージョンにおめかしした『父さん』もおりました。
このところ、札幌や北海道では大泉洋サンをはじめ、個性的なご当地キャラクターが席巻しています。大泉サンは人間ですが(笑)、他にも『とうきびおばさん』『時計大(台)臣』などなど・・・道内で有名なものでは『まりもっこり』もありますね。

テレビ塔に登って、ビックリ。
「創成川がない」。
061209sapporo6 札幌の歴史的シンボルである創成川に“フタ”がしてあったので、最初見たときはかなり気が動転しましたが、創成川通りのアンダーパス工事であることをダンナが思い出してくれ、ひと安心。しかし、「創成川と言えば、ヤナギ並木と親しまれていたヤナギは?」と気になって、あとで調べたところ、移植に耐えられないということで、そのほとんどが伐採されてしまったとのこと。非常に残念でした。(;_;)

テレビ塔を降りる頃には、どうにか体調も回復し、人並みに食欲も復活(^^)。
テレビ塔下の『あっぱれ亭』にて、これまた懐かしの白味噌ラーメンを食べました。少し味が改良されていたようですが、相変わらずのマイルド感豊かな味噌味は、関東では味わえない味覚です。満足。061209sapporo7

しばらく食休みがてら周辺店舗を散策ののち、地下を出て、雪降る地上へ。ラーメンで温まった体は、外の寒さに良く耐えてくれます。北国にはこってり味のラーメンが必須です。
駅へ向かう途中に、北海道庁・赤れんが館へ立ち寄りました。日曜のため敷地内は新雪がそのまま積もっており、久々に新雪を踏む心地よい感触を味わえました。
061209sapporo8 敷地内の池には、大勢の鴨が羽を休めていましたが、われら人間の姿を見るや、数十羽が大挙して歩み寄ってきてびっくり!。
エサをくれない客だとわかると、そそくさとUターンして池へ戻って行きました。現金な鴨だ(笑)。

 

出張で時々やってくるダンナと違い、このたびは、私にとって2年ぶりの札幌でした。
 #出張で1日早く来ていたダンナは市内の実家に寄ったが、1日遅れで嫁も来たのはナイショだ(^^;
苦しい思いもしましたが(笑)、北国の美味しいものを久々に味わうことができました。
ただ、1泊2日じゃ、まだ足りなかったなぁ。。。
今回の、旅のおみやげ↓
061209sapporo9

 

 

 

 

 

 

 

 

根付け(ストラップ)ばっかり(笑)。左から、
『ドーチョくん(道庁売店限定品)』『時計台の時計大臣』『テレビ父さん(テレビ塔限定品)』
あと『とうきびおばさん』もあったのですが、巨大なため却下しました(笑)。

北海道レッズサポの皆様、お世話になりました。
ありがとうございました m(_ _)m

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2006/11/22

【AWAY紀行】那古野・四間道

もう旅をするお金はございません..._| ̄|○
年内の旅は、これでご勘弁ください(笑)。

当初は熱田神宮へ行こうと予定していたのですが、「負けたうえに、敵の神様のところに必勝祈願なんか行けるかぁ!」とダンナに一喝されましたので、やめますたw

日帰りしようと思えばできたのですが、名古屋に一泊。
あまり観光客が行かなさそうなところというマイナー指向にて・・・朝起きた思いつきで「ここ」にしました。
JR名古屋駅にほど近い『四間道(しけみち)』界隈は、かつての名古屋城下の商家が軒を連ねていたところで、今も面影を残しています。

061119horikawa1写真は堀川に架けられた『五条橋』。
かつて清洲城下に架けられていた橋を、“清洲越(きよすごし)”という、慶長15年(1610年)から行われた清洲からの町ぐるみの引っ越しの際、この地に移設したものだそうです。
この先に円頓寺(えんどうじ)商店街という商店街がありましたが、かなりタイムスリップしたレトロな商店街でした。店先の犬の置物・・・と思っていたら本物だったりするし(笑)。

061119horikawa2 次の写真は、堀川の様子(左)と、その裏手(右)の通り。
歩いていたら、材木屋さんが今も点在していました。川に面した家構えが、かつての舟運利用を偲ばせます。右写真は堀川沿いに1本入った通りですが、こちらは写真のところだけで、あまり往時の建物は残されていません。061119sikemiti2

このもう1本入った道が、『四間道』の通り(神社前を右に曲がった通り)。風情のある佇まいの浅間神社が見えました。ダンナが以前、夜来たとき、この鳥居のライトに明かりが灯っている様子が幻想的で良かったと言っていました。

  
061119sikemiti3

浅間神社の横にあった案内板(※クリックで拡大します)。
『四間道(しけみち)』の名の由来は、元禄13年(1700年)の大火の後、防火目的と商業活動のため、尾張藩主の命により、ここの道幅を四間(約7m)に広げたことから来ているそうです。

  

061119sikemiti45  

 

 

 

 

名古屋市の『町並み保存地区』に指定されているようなのですが、保存地区にしては景観が中途半端な印象。立て看板なども散見されます。修理するなどもう少し手を入れたほうが良さそうな気がします。こういうものは、「つくる景観」「かざる景観」になるとあざとくなりますが、修理061119sikemiti6や管理、印象のギャップが大きいものや雑然とした設置物の撤去などで、ずいぶんと見違えるものです。「手入れされている」とか「生活の機能を担っている」という印象を与えるだけで美観が向上します。例えば舗装や植栽を工夫することでも印象が変わります。せめて右の写真のように、住民の気配りが表れるだけでもグッと違ってきます。せっかくの歴史文化資源ですから、うまく活用して欲しいものです。
おっと、、、ついつい仕事の目で見てしまいました(^^;ゞ

061119nagono『四間道』をあとにして、ぶらぶらと歩いていたところ、ふと気づきました。
同じ町名なのに、“区名”が違います。
さいたまでは、新都心のあたりの『上木崎』が鉄道で分断されていますが、鉄道の西側の『上木崎』は『浦和区』で、飛び地のようになっています。
ここは分断する障害物はないのですが、普通に区名が異なっています。
ちょっと珍しいものを発見して、得な気分になりました(^^)。
ちなみに「なごや」ではなく「なごの」と読みます。

061119yanagibasi

 

 

 

 
名古屋駅に向かう途中、遠回りして柳橋の中央市場を散策。
こういうところの町並みは、かえって雑然としていた方が生活感や賑わいがあっていいものです(^^)。
右の写真は同所から名古屋駅のタワービルを見上げたもの。
あまりにも両極端!(笑) 隔世の感があります。

市場を通り抜けて、JR名古屋駅から次の目的地に移動します。
行き先は、かの「天下布武」ゆかりの地。
あ、清洲じゃないですよ、そのもう少し先・・・
レッズの「天下布武」のためにも、行かねばなりません。

(つづく)

061119los 追記:
名古屋名物・テレビ塔近くの久屋大通に、「こんなもん」がありました。。。

 「ロサンゼルス」ねえ・・・三等兵移籍か?(笑)

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2006/11/17

信州の旅(4)「牛に引かれて・・・」

牛に引かれて・・・

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「善 光 寺 ま い り。」

【2006年11月3日(金) 13:34 長野駅着】061103zenkoji1

「牛に轢かれて 病院送り」ではありませぬ(笑)。
ということで、やってきました長野市内。
冒頭の「牛に引かれて・・・」と同じくらい言われている「一生に一度は善光寺まいり」を敢行。『北向観音』だけでは片参りですから、ね。大願成就のためには、百里の道も一歩から、、、で、約2㎞の参道を歩いて行きます。

061103nagano 粛々と参道を歩いていたら、「あれ?」と右手に見たことがある光景が。
長野オリンピックの表彰式会場だった、『セントラルスクウェア』です。
現在駐車場利用されている模様。そのせいか、壁などが仮設物に見えてしまったため、少々廃墟チックで淋しい感じがしました。もう少しメモリアル施設として考えて演出したほうが良さそうです。

061103zenkoji2 【同日 14時ごろ 善光寺門前】

参詣の前に、遅い昼食を摂ることに。
ここの近くに人気のそば屋があったのですが、なかなか行列がはけないのであきらめて、すぐ近くの『弥生座』という“せいろ蒸し”屋に入りました。

061103yayoiza

 

 

 

しかしここでも“そば”への執念を見せた“そば星人”v(゜▽゜)v。まずは『そば味噌うす焼き』(写真中央)をオーダー。要するに「味噌やねぎを包んだそばクレープ」です。我が家でもたまにそばクレープは作りますが、やはり本場のものは美味ですね。
メインの食事ですが、私は信州牛の『門前せいろ蒸し』(写真右)ダンナは『地鳥せいろ』をオーダー。たっぷりの野菜と肉(は少し?)をキリッと味のポン酢につけて食します。茶碗蒸しにも味付けに細やかさがあり、全体的に品の良い食事として仕上がっていました。思いがけなく美味しいお店に巡り会えました。またも旅の偶然で楽しめました。

061103zenkoji3 【同日 15時前 善光寺】

祝日と七五三の季節が重なってしまったからでしょうか、門前の店は多くの参詣客で大にぎわいでした。
このあたりには宿坊も多くあり、玄関先には今宵の宿泊客への「歓迎」も文字が数多く踊っていました。

061103zenkoji 善光寺は、宗派にこだわらないお寺として有名です。
昔から全国各地、多くの人々の信仰を集めています。
それを端的に表していたのが、この奉納者札(クリックで拡大)。地元企業の北野建設や銀行の寄付額が・・・スゴイ。
 
#トヨタはもうちょっと寄付してもいいんじゃない?・・・

 

061103zenkoji5_1本堂。
堂々とした、威厳と風格のある佇まいに、言葉もございません。m(_ _)m
感嘆の溜め息をしながら、しばし見上げておりました。
しかし、、、ここでも、こんなものがあったとは(笑)。
おっと、ネタを探している場合でありません。
早速レッズ優勝を祈願に。。。

参拝を終え、境内をぶらぶら。
061103zenkoji6 善光寺の善光寺たる“図”が目に飛び込んで来ました。
全国の“善光寺同盟”と言いましょうか、「全国善光寺会会員分布図」なるものが(゜∀゜)。お寺も神社もへったくれ(“へったくれ”はないか(^^;)もありません、志を同じくする全国の宗教が会派を形成しています。政治の世界の超党派議員連盟も足元には及びません。
ここに、日本人の宗教観が凝縮されている、と大いに感じ入りました。
神様も仏様もありがたいもの、ありがたいものは何でも尊び敬いましょう。畏敬の念や謙虚さを忘れなければ、傲慢な心を持つ必要はありませんね。
あらためて、合掌。061103usi1

さらにぶらぶら散策していると。。。ん!?
足下の歩道についていた、水の“しみ”に何気なく目を落としたところ・・・
 (つд⊂) ゴシゴシ
  (;゜Д゜) ハッ!

 「 う し 」

って読めるぞぉ (゜∀゜)061103usi2

その視線の先には・・・「うし」が(笑)
森永乳業が寄贈した、『乳牛親子像』だそうで。
「善子さん」と「光子さん」の母娘のようです。

牛に引かれて 善光寺・・・

だんだんと陽が傾いてきました。帰る時間が近づいてきたようです。

【同日 16:30ごろ JR長野駅】

駅に着いたときには、夜の帳が降りてきておりました。061103naganoeki
上田観光~別所温泉~そば祭り~善光寺、と、1泊2日の旅行にしては、充分楽しめました。今回は特に「思いつきの旅」だったのが逆に良かったのか、サプライズにも多く出会えたのかも知れません。

長野は、他にも見所がたくさんある、魅力ある県です。
「またいづれかの地へ旅したいな」と、帰り道ながらすでに次なる旅へと思いを寄せてしまいました。

061103yawataya 最後に。
おみやげは、『善光寺まいりの手形』と称される、これ(→)で。
“大辛”よりも辛い“BIRD EYE”という激辛を、このたび初めて入手(みやげ屋には置いてないようです。『八幡屋磯五郎本店』で購入)。まだ封を切っていませんが、どんな辛さなのだろうと毎日ワクワクしています。
この封を切ったとき、今回の旅のゴールを迎えるのでしょう。

<了>

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2006/11/16

信州の旅(3)別所温泉

上田市内で北国街道と真田太平記館を楽しんだあとは、上田駅から「信州の鎌倉」と呼ばれる別所温泉へと向かいました。

【2006年11月2日(木) 13:30ごろ 上田電鉄 上田駅】

061102ueden1  

 

 

 

 

“鉄”の皆様、お待たせしました(笑)。
別所温泉に行くには、これ。上田電鉄・別所線を利用します。昨年、上田交通から鉄道部門を分社化したのが『上田電鉄』。始発の上田駅は、JR上田駅ターミナルと直結、改札前には、かの“峠の釜めし”で有名な『おぎのや』のうどん・そば売店がありました。061102poster
まだまだ存続の危機にさらされている別所線ですが、今日も元気にお客さんを乗せて走ります。13:49発の電車に乗り、別所温泉に向かいます。
出発の前に・・・駅のホームで、このようなポスターを見かけました。
『そば祭り』と銘打たれたこのポスターを読むと、別所温泉で 翌日(11/3)の11時半から、新そばの無料振る舞いのイベントがあるとか。
早速事前情報として、脳内にインプット。
連れの『そば星人』さんは、超能力で知ってしまったかも知れませんが(笑)。

【同日 14:16分 上田電鉄 別所温泉駅 着】

061102ueden2  

 

 

 

 

 

 

30分程度で別所温泉駅に到着、お手軽です(^^)。 061102ueden3
駅舎はなんともレトロな風情、改札の女性駅員さんも袴姿で出迎えてくれます。
駅には、以前この路線で活躍した『丸窓電車』の展示もありました。
“鉄”のお客様、こんな写真でよろしければ、どうぞご自由にお持ち帰りくださって結構です(笑)

 

【同日 15時ごろ 別所温泉界隈】061102asiyu

ぶらぶらと温泉街を散策。するとありました、『足湯ななくり』。“ななくり”とは近くにある『七苦離(ななくり)地蔵尊』に由来。「七つの苦しみから離れる」意は名前そのまま。早速足を浸けました。5分ほど入浴していたしたが、、、ちとぬるい(^^;

足を拭って近くの『北向観音』へ。「善光寺だけでは片参り」と言061102kitamukaiわれ、南向きの善光寺と対を成す『北向観音』として古より信仰を集めています。当然『レッズ優勝』祈願をしました。
ということは?・・・「翌日の予定が決まってしまった」ということですが、何か?(笑)。
また境内には、小説『愛染かつら』で有名な桂の木もあります。ちなみに、作者川口松太郎は北向観音の信者だったそうです。 

061102insen観音堂の参道にあった飲泉場。別所温泉はおおむね単純硫黄泉で、飲泉としても利用されています。観音堂の手水(ちょうず。手を清め洗いする水)も 温泉だったのには驚かされました。これはちょっと珍しいでした。

 

061102anrakuji  

 

 

 

 

 

 

参道からぶらぶらと谷あいを歩き安楽寺へ。ここには国宝の八角三重塔があります。国内で現存する木造八角塔として唯一のもので、鎌倉時代末期に建立された禅宗様の建築物です。訪れた時間帯の日光の具合があいにくで、良い写真が撮れませんでした、残念。そのかわり境内の紅葉は美しく撮影できました。

【同日 16時ごろ 宿到着】

061102hotel今回の宿は『別所観光ホテル』。北向観音そばの高台にありました。
別所温泉周辺は“松茸”の産地ということを知り、実は「この秋の味覚を逃してなるものか!」との壮大なる野望を持って乗り込んできた、というのが本音だったのでしたヽ(`へ´)ノ。
宿泊プランの『松茸料理コース』を堪能させていただきました。この貧乏人夫婦にとって3年ぶりとなる松茸料理・・・宿代は、リフレッシュ休暇の奨励金が支給されたダンナ持ち(万歳!)。おごちそうさまでした。。。
会社にダンナに感謝 m(_ _)m

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【2006年11月3日(金) 9:30ごろ 石湯】

061103ishiyu

 

 

 

 

 

宿の温泉には、朝風呂も含め3回入って堪能いたしました。別所温泉は「美人の湯」と言われており、心地よいお肌スベスベ感があります。
2時間前に入浴したのに、宿を出て早速外の温泉に(笑)。
別所温泉には多くの外湯・公衆浴場があり、ここ『石湯』も有名な外湯。真田幸村がよく立ち寄った温泉として『真田太平記』に描かれています。玄関の石碑は、池波正太郎の揮毫。入湯料150円也、激安!
たまたま無人だったので撮影できました。内観はご覧のとおり(女湯)。

【同日 10:30ごろ 常楽寺】

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前日拝観した安楽寺のすぐ近くにあるのですが、明るいうちに訪れたいと翌朝に出直して来ました。ここ常楽寺は、『北向観音』の本坊にあたります。荘重なる茅葺き屋根と質実な建築様式は、鎌倉仏教の影響が表れています。また境内には、国内に2基しかない石造多宝塔(国重要文化財)もあります。
さすが別所温泉は“信州の鎌倉”と言われるだけあり、鄙びたなかにも重厚な歴史の佇まいを残す、落ち着いた大人の温泉地といったところです。
やはりウチら二人は所詮田舎者、こういう田舎らしいところにすんなり馴染めます。

【同日 11時ごろ そば祭り会場】

はいはい、来ました来ました(笑)。
この祭りは、『上田電鉄』と『しなの鉄道』の共同企画で開催(上田市、小諸市、上田観光コンベンション協会ほか協賛)。正式には「信州信濃の蕎麦街道そば祭り」といい、今年が第2回目。今回はこの日が初日(~11/26まで)ということもあり、好天に恵まれ客足も順調な様子。静かな温泉街がにわかに活気づいていました。樽酒の振る舞いや、農産物の直販など、到来客にとってはお得感のあるイベントにウハウハ(笑)。
061103sobamaturi 

 

 

われらの目的は、もちろん“そば”v(゜▽゜)v。先着300名の無料振る舞いそば試食の権利を見事ゲットし(笑)、長蛇の列へ参入。
さて、お目当ての“そば”ですが・・・製作側が需要に追いつかず、迅速に大勢の客をさばくために“ざる”で出したり“ぶっかけ”で出したりと、その場の作業効率優先(要は、手元にある器に合わせて)で作ります。なので、客に選択の余地無し、、、タダなので文句は言えましぇん(爆)。私らには“ぶっかけ”がまわってきました。
肝心のお味ですが、打ちたて感たっぷり、ゆで加減もほどよく、新そばの香りほんのり鼻から息吐いて・・・大変美味しゅうございました m(_ _)m

【同日 11時ごろ しなの鉄道 上田駅】

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新そばで締めくくった別所温泉をあとに、別所線にて上田へ。
上田駅の改札を出た向かい側すぐ前に、『しなの鉄道』の改札があります。
『しなの鉄道』と聞くと、ここの前社長は現在SR(埼玉高速鉄道)の社長サンであり、時々美園駅でもお見かけします。そのためか、『しなの鉄道』にはどこか親近感があります。
12:53発の電車にて、一路、長野に向かいます。

 ♪赤い 電車~ 赤い 電車~ 
  前の部分だけ~(笑)

(つづく。次回は「牛に引かれて・・・」です)

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2006/11/09

信州の旅(2)刀屋&真田太平記館

北国街道散策のあと、上田市内の池波正太郎ゆかりの場所を探訪しました。
『刀屋』で新そばを堪能しつつ腹ごしらえをして、『真田太平記館』を見学、その後、真田幸村ゆかりの別所温泉へと向かいます。

【2006年11月2日(木) 11:45ごろ 刀屋】

061102katanaya1_1 池波正太郎が上田を訪れると、頻繁にこの店に訪れたことはファンの間では周知の話。ほどんどの池波ファンの観光客は来店するのではないでしょうか。われらも2度目の来店。独特の硬い麺を久々に味わえることを楽しみに、店内へ。

店員サンは観光客慣れしており、「当店のそばの量をご存じですか?」「食べ方をご存じですか?」などなど説明をします。ちなみ061102katanaya2 にそばの量は、もりそばで『小(500円)』『中(550円)』『普通(600円)』『大(800円)』の4段階ありますが、『中』=通常の“普通盛り”、『普通』=通常の“大盛り”なので、知らずに『大』などと注文すると店員サンから前述のような指摘が入ります。
また、注文した品をダラダラ写真撮影していると「お客さん・・・そばがのびますので早くお召し上がり下さい」と注意が飛んできます(笑)。

061102katanaya3 案内された席には、池波正太郎直筆の色紙が飾られていました。
実は、『真田太平記館』に行ったときに知ったのですが、私たちが通された席(玄関側の小上がり)こそ、池波正太郎の“定席”だったということです。ここでも旅の偶然が私たちを楽しませてくれました。

ダンナは『ざるそば@普通(650円)』、私は『真田そば(850円)』をオーダー。
『真田そば』とは、味噌をダシで溶いたつゆで食べるそば。小鉢に味噌があらかじめ入っており、好みの濃さにダシ(かつお味)でのばし、隠し味的に普通のそばつゆを加えて楽しみます。
で、その『真田そば』ですが・・・061102katanaya4
食い意地に勝てず、注文が出てきて即座にガツガツ一心不乱に食らいつきました。
食べ終わって落ち着いた頃になって、
「あ゛っ!写真・・・」 _| ̄|○
と気づいた時点での写真が、これ(→)です。
アフォな私。。。

『刀屋』のそばは斬れる斬れる・・・口の中が血だらけに(笑)。
以前食べたとき、独特の麺の「硬さ」が印象強かったのですが、新そばだったからなのでしょうか、ほどよい硬さと、そばの新鮮な香りで大変美味しゅうございました m(_ _)m
ダンナですが、以前『漬物小僧』であることはご紹介しましたが、実はそれ以前に
『そば星人』でして(笑)、毎日そばを食べても平気な星から来たようです。
そのためか、あまりの食べっぷりの良さに、店員サンから、
「お客様、おかわりはよろしいですか?」
と勧められていました。店内では、ダンナだけが勧められていた模様、お見事!(笑)。

満腹になり落ち着いたところで店を出ました。。。が、入店前と状況が一変し、20人ほどの客が行列を成していました。ほんの少しの時間の違いが差に出た、というところでしょうか。お昼時の定石ですね。『刀屋』を後にし、『真田太平記館』へと向かいます。

【同日 12:20ごろ 池波正太郎真田太平記館】

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以前、上田を訪れたときにはなかった施設ですが、平成10年に061102taiheiki2開館したそうです。『池波正太郎真田太平記館』が正式名称。館の名称どおり、長編時代小説『真田太平記』を題材に、真田一族と真田家に仕えた“草の者(忍び)”が織りなす戦国絵巻をわかりやすく紹介した展示資料館です。
来館者には、なんとレンタサイクルのサービス付き(!)
 #知っていれば利用したのに、、、残念
入口にコインロッカーも常備されていて便利かと思いますので、お越しの方はまずはここに立ち寄られてから市内観光をされることをお勧めします。

展示物は登場人物の紹介をはじめ、NHKドラマ制作時の台本や、作者の直筆原稿、愛用の品、単行本の挿絵、真田家の最大の武器でった“草の者”の紹介や小説の世界をビジュアル解説するシアターなどが完備されています。
ひとつの小説がこれほど立派な展示館のテーマになっているのは珍しいといえます。それだけ、全国の池波正太郎ファンだけでなく、上田の人々にも、池波と『真田太平記』が愛されていることが伝わってきます。

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館の案内パンフレットです(※クリックで拡大します)。
池波正太郎の作品は、拙宅にも多く蔵書があり、ダンナはそのすべてを読んでいますが、私は読書が大の苦手(笑)なので、『真田太平記』も全12巻の半分の6巻で挫折しています。ただし、20年ほど前にNHKで放送 されたドラマ(昨年スカパーでも再放送)をリアルタイムで視聴していましたので、だいたいのストーリーは知っており、館内展示物の内容については短い時間で理解しやすかったので助かりました(^^;

館内はまた、『真田太平記』のみでなく、『仕掛人藤枝梅安』『剣客商売』『鬼平犯科帳』など池波正太郎の錚々たる代表作についての解説や展示もあり、興味深く大変楽しめました。さらに彼の自筆画も数点展示されており、『茶めし売り』などの作品は画家としての彼の才能をいかんなく発揮しています。
またこの日は、『池波正太郎の信州-その足跡をたどる』という写真展も開催されており、“食客”で名高い彼らしく、かの『刀屋』や市内の馴染みの店でのエピソードなども紹介されていました。061102taiheiki4

“池波ワールド”を充分に堪能したあとは、館内のショップへ。
やはりここに来たからは、、、ということで“六文銭”グッズ(コースター)をゲット。紅い花瓶敷きとともに購入(上田つむぎ製品)。

池波正太郎は、生まれた歳に関東大震災で被災した経験を持っているそうです。
疎開のため、1歳~6歳の間浦和に住んでいた、ということを、このたび初めて知りました。
実は、このことを書きたかったのです、、、長文駄文大変失礼しましたっ!(笑)

旅の偶然を、ここでもまた楽しむことができました。

“心の栄養”をつけたあとは、上田駅へ戻り、“体の栄養”をつけに別所温泉へ向かいます。
(つづく)

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2006/11/08

信州の旅(1)北国街道と映画

ダンナの長期休暇に付き合って、先週旅に出ました。
旅の候補は2つありました。
藤沢周平を訪ねる山形・鶴岡にするか、池波正太郎を訪ねる長野・上田にするか・・・。
選択基準は簡単!
「金がない」「宿が空いてるところ」「土曜日の天皇杯に行く」という基準で、後者・上田に1泊2日の行程で旅することに迷わず決定!(笑)。
1日目は、上田市内を観光し、別所温泉に宿泊。
2日目は、別所温泉のイベントに参加ののち移動、長野・善光寺参詣に行ってまいりました。

【2006年11月2日(木) 10:40ごろ 上田駅】

061102ueda1 長野新幹線を利用すれば、大宮から1時間20分ほどで到着。何てお手軽なのでしょう!
上田を来訪するのは11年ぶり。そうそう、新婚の頃でした。。。
前回は上田城と別所温泉の大湯だけ訪れたのですが、今回は市内を散策してみます。駅の観光案内所でもらったパンフに、
『映画のまち 信州上田 ロケ地探訪マップ』
 (信州上田フィルムコミッション 作成)
というのがあり、激しく興味をそそられて(笑)近くの“柳町”というロケ地に行くことに。
駅前には、上田には欠かせない『六文銭』がお出迎え。
気温16℃。

【同日 11時すぎ 北国街道・柳町】

061102ueda2 15分ほど歩いたでしょうか、目的の“柳町”に到着。
集めたパンフ情報を総合すると、ここは旧・北国街道とのこと。旅の偶然は楽しいものです。
なおWikipediaによると、『北国街道(ほっこくかいどう)』とは、江戸時代における北陸道の呼称で、

  1. 直江津以西の北国街道→『北陸道』
  2. 直江津から中山道追分までの北国街道→『北国街道』(信越)
  3. 中山道洗場から北国街道丹波島までの脇往還→『北国西街道』

061102ueda3 のうち、上田市内の街道は「2」番に該当します。正しくは『北国脇往還』(いわゆる“五街道”以外の主要道=脇往還)というそうです。
町内の入口あたりの街並みは、丁寧に手を入れられて綺麗に整備されています。
さらに奥へと進んでいきます。

061102ueda45

 

 

 

 

 
パンフによれば、上田市内は数多くの映画のロケ地になっています。最近では『たそがれ清兵衛』『博士の愛した数式』『嫌われ松子の一生』などなど。
ここ柳町は、かの『犬神家の一族』のロケ地です。
061102inugami1 「あれ、見覚えが・・・」と思っていたら、偶然、一週間前にスカパーで『犬神家の一族』を観ていたのでした。金田一耕助が逗留していた、坂口良子が仲居さんをしている旅館のある街並みですね、たぶん。映画の舞台は那須でしたが、実際はここだったようです。
パンフの写真(→)と見比べて、家並みなどだいぶ手を加えられているようですが・・・でも雰囲気は味わえました。


061102inugami2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道沿いの壁に貼ってあったロケ風景の写真(クリックで拡大します)。
「スケキヨさん、(マスクを)取っておあげなさい・・・」
恐かったなァ、あの場面。。。 ((((;゜Д゜)) ガクブル
またも旅の偶然の楽しさに触れた出来事でした。

061102ueda8 柳町に別れを告げて、北国街道を上田駅方面へ。
いまや繁華街となった駅前通り付近ですが、電柱の地中化や歩道のバリアフリー化にあわせて、“上田の特色=真田の里”のデザインを各アイテムにさりげなく取り込んで、美しく整備されています。

【同日 11:45ごろ 刀屋】

061102katanaya1 混み合わないうちに、早めの昼食を摂ることに。
『上田』『池波正太郎』・・・とくれば、「ここ」。
手打ちそば『刀屋』
まだ混んでおらず、幸運でした。
外で少々待ったのち、店員さんに案内されて店内へ。。。

(つづく)

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2006/10/25

“足湯”のある空港

061025sendai1ちょいと急用で、先週の平日、鹿児島の実家に帰省しておりました。
空港から家路に向かうリムジンバスの車窓には、黄金色の稲田にコンバインが出動、今まさに刈り取られている風景が映し出されていました。
南国にも確実に秋が訪れていました。

061025sendai2 ちなみに私の故郷の駅です。
新幹線停車駅になってから、この街では「ここだけ」極端にアカ抜けています(笑)

で・・・本題は、帰りの空港での話題です(^^;
フライトまでの時間がありあまっていたところ、空港ビル玄関に和風の“軒”を発見。
「なんだなんだ?」と近づいて見ると・・・天然温泉の“足湯”があるではないですか。
9月、霧島からの帰りには気づかなかったのですが。。。

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その名もズバリ、『鹿児島空港 天然温泉足湯 “おやっとさぁ”』
ちなみに“おやっとさぁ”とは、「おつかれさま」の意です。
旅行者はもとより出迎えの人、出張ビジネスマンもズボンの裾をたくし上げ、心地よさそうに足を浸けています。利用無料。私も早速足を投入。今の季節ならちょうど良い温度ですが、これから寒くなってくると、少々熱く感じるかも知れません。
しかし、さすが温泉。だんだん気持ちよくなってきました。。。

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061025asiyu6泉質は、ナトリウム-炭酸水素塩温泉(重曹泉)とのこと。泉源温度が46.6℃ですので、確かに温まり方が早い・・・。
10分入れば、体中がポカポカになります。

手持ちのタオルがない方は、袋入りでタオルが販売されています。金200円也。
なんとも憎めないキャラです(^^)。

061025asiyu3

足湯だけでなく“手湯”もありました。
手前の湯溜まりが手湯なのですが、この風景デザインどこかで見たような?・・・
(つд⊂) ゴシゴシ 
((;゜Д゜) ハッ!
実は霧島連山をイメージしているようです。左奥が韓国岳、右奥が高千穂峰(下写真参照)、手前が9月061025asiyu4に登山した大浪池をモチーフにしています。そして最初の写真、湯船メインの給湯口の山は桜島だとか。
うーん。。。何と申し上げて良いのやら(笑)

おまけに飲泉もありました。
消化器系や肝臓に良いようです。
手持ちのペットボトルにこの温泉を詰め、ダンナへのみやげとしました。061025asiyu5
タダで珍しい良いみやげとなりました。。。
 #「もらいもの」と「タダ」が好きなのは主婦の習性でございます(爆)

空港で“足湯”があるところは、まだまだめずらしいのではないでしょうか。
他にご存じの方は情報をお寄せください。
思いがけなく見つけたので得した気分になれました。時間もたくさんあったので、2回も入浴することができ、心も体もリフレッシュできました。
交通機関で、こういう「もてなし」があるのは、旅人にとって大変ありがたいものです。

鹿児島空港ご利用の際は、ぜひお立ち寄りになられてはいかがでしょう。
 #今年は、鴨池アウェイはなし・・・残念(笑)

追記: 061025abe
時間はものすごく逆行しますが・・・
往路の羽田空港で、こんなものを見つけてしまいました。
ウワサには聞いてましたが、、、「まさか」という感じ。
こんなものは、田舎でバカ受け間違いなしなので、当然買いましたけど、、、何か?(笑)

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2006/09/15

【AWAY紀行@番外編】南九州旅のおみやげ

すみません、前回で終わらせたつもりだったのですが・・・いいでしょうか?(^^;
『旅のおみやげ』のご紹介をもって、この紀行文の“締め”にさせてください。

1.青島の貝殻
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早朝、宿の前のビーチを散歩中に採取。Priceless...

2.鵜戸神宮の運玉守
060915undama

 

 

 

 

 

 

 

 

見事、亀石の背穴に投入された“運玉”をご神体にしたもの。
開運のお守りとして、御利益バツグンとか。

3.霧島神宮 神代鈴
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イザナギ・イザナミの尊でしょうか・・・夫婦円満よろしくお願いいたします。

4.霧島神宮 『めしげくん』ストラップ
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大黒さまでしょうか?(^^;
なお“めしげ”とは、鹿児島弁で「しゃもじ」のことです。
 使い方:「めしげは、どこな?」(しゃもじは、どこにあるの?)というふうに台所で使います(笑)。

5.鹿児島空港売店 『さつま戦隊 カゴシマン』ストラップ
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最近流行の、“ご当地ヒーロー”キャラのストラップが、鹿児島にもありました。
これは『よかど焼酎 レッド』というキャラだそうです。『はらぐれ黒ブタ ブラック』『みごてデコン ホワイト』『むぞかコミカン ピンク』と戦隊を組んで、日々『怪獣イッシー』と闘っているそうですが・・・意味わかります?(@∀@;)
商品の台紙に、こう書いてありました。

 花は霧島 タバコは国分 燃えてあがるは オハラハー桜島
 燃えよ我らが正義の味方 チェスト行け!カゴシマン!
 ~カゴシマンがやらねば誰がやる~

もう、ほとんど「なんでもアリ」ですな(笑)

以上、南九州の旅、でした。

<了>

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2006/09/14

【AWAY紀行@番外編③】大浪池登山~霧島神宮の旅

2日目は、霧島のワインディング・ロードを駆け抜けて、霧島温泉郷に宿泊。
最終日は、発作的に大浪池登山にトライし、霧島神宮にご挨拶をして旅を締めくくります。

【2006年9月2日 6時半ごろ 霧島温泉 旅館 松苑

060902shoen 起床。お天気が良さそう。温泉郷を少し散歩してから、宿の貸し切り露天風呂でひとっ風呂。景色も良く気持ちいい朝風呂でした。この宿で4度目の入浴でしたが、もうダンナはヘロヘロ(笑)。効能バツグンの温泉に完全にやられました。ここは硫黄泉の宿でしたが、他に炭酸水素塩泉(ラムネ温泉)、明礬泉、鉄泉、塩化物泉etc...と霧島はまさに『KING OF 温泉』。美味しい料理、良質の温泉、そして静けさを満喫し鋭気充分、宿を出発しました。
 #今回の旅は、2軒とも宿が大ヒットでした (^o^)/

【同日 9時すぎ 大浪池登山口着】 

060902ohnami1天気が良いので、一念発起!登山に挑戦することに。 
霧島は種々の登山コースがあり、時間や体力によってコースが選べます。上級者向けには、えびの高原~韓国岳~獅子戸岳~新燃岳~中岳~高千穂河原へ抜ける霧島連山縦走コース(所要約6時間)がありますが、登山の「と」の字も知らないわれら(笑)は、片道40分で行ける初級者向け『大浪池コース』のトレッキングを選択。060902ohnami2
高校以来か、はたまた大学以来か・・・いずれにせよ超久しぶりの大浪池登山になります。
国道223号沿いの登山口に車を止め、いざ出陣!のころには、すでに雲行きが怪しくなり・・・山の天気侮る無かれ。

登山道は、石畳が整備されていて、スニーカーで登れるほど快適に整備されて060902ohnami3います・・・というのは途中まで。
そうとは知らず、このあたりはルンルン気分(死語)で登っています。
倒木のあるところはあえて撤去せずに道の部分だけ切り出され、野趣を醸し出しています。

しばらくすると、勾配のある階段が出現。何だかんだ言っても“登山”ですので、傾斜を登らねば登山になりませぬ(^^;060902ohnami4
少しずつ息が上がってきます。
登り始めて10分くらい経ったころでしょうか。。。
私は、ふと思いました。
「登山するって、言わなきゃよかった」と。
早々の敗北宣言。シマッタと心の中で叫ぶほど、ますます足取りが重くなっていくのでした。

060902ohnami5 すでに脳内は“白旗の海”(@∀@;)/~だったのですが、道は容赦なく私を責め立てます。写真の程度の頃は全然いいほうで、岩がゴロゴロ、無造作に積んであるだけの悪路(登山愛好家の方には「この程度で、アホか!」と怒られそう・・・。)が出現し、楽しいはずの登山は、私にとって“拷問モード”と化しました。
当然こういう時、うちのダンナは決して手を貸してくれることはありません(つ;д`)。

【同日 10時過ぎ 大浪池山頂】

「嗚呼、もうダメじゃ・・・」 060902ohnami6
“ここが青山(せいざん)”といよいよ観念したその時、、、行く手に見える光明。そうです、なんとか登山道の頂上(中継点?)に辿り着きました。
人間は私は現金なもので、達成感を得ると、自分がいかにも偉業を成し遂げたような気分に浸れます(笑)。
しかし、右写真彼方と写真後方此方は、さらなる『大浪池周遊ツアー』の延長となっており、私には到底、、、「もう結構です」(爆)。060902ohnami7

案内板の文を見て驚きました。
ここは『九州自然遊歩道』の一部のようです。
読めば、、、総延長二千数百㎞!
誰が歩くんじゃい・・・  ((((;゜Д゜)))

 

060902ohnami9お天気が良ければ、コバルトブルーの大浪池が、そして向こう正面に韓国(からくに)岳が眺望できたのですが、残念。
池の辺りで標高1300mくらいあるらしいので、さすがに天候が急変します。雨に降られなかっただけでも幸いとしましょう。
適当に休憩を取り、下山。そこで面白かったのは、先ほど私を苦しめた「岩ゴロゴロ悪路」の方が、下山の際は楽だった、ということです。却ってなだらかな坂路はヒザに負担を与え、きつかったです。上り40分弱、下り35分で、ヘタレた割には順調な登山でした。
しかし、、、生きて帰れて良かったよぉ (つ;д`)

【同日 11時半ごろ 霧島温泉郷】 

再度、昨夜の宿の近くに戻り、その付近の日帰り温泉にて汗を流しました。
温泉で感じたのは・・・
「鹿児島のオバチャンは、みなラテンだ」(久米明 風)
ということです。シャイで控えめなご婦人も、普通のご婦人も、みなコミュニケーションを取ろうと語りかけてきます。人懐っこいです。「石鹸がない!」と誰かが言うと、見知らぬ同志が気軽に貸し借りし、会話をしてました(笑)
私の体内にも、同じDNAが存在するんだなぁ。。。(゜∀゜)

【同日 13時半ごろ 霧島神宮着】

温泉を出て、途中の道の駅で『豚シャブ定食』で腹ごしらえしたのち、いよいよ霧島神宮へご挨拶に。最後の訪問で気が引けましたが・・・お許しくだされ m(_ _)m

何故か鹿児島という土地は、さまざまな宗教が寄り付いてくるようです。060902jingu1

日本の神々:高天原からご降臨したのが、霧島・高千穂峰。
仏教:鑑真が初めて日本上陸したのが、坊津。
キリスト教:フランシスコ・ザビエルが初来日したのが、鹿児島。

これは一体、なんなんでしょうかね。。。

また、神宮参道前のこの灯籠の文字に、ダンナが驚嘆。
「『日本発祥の地』だって・・・スゴイ!」(笑)

060902jingu2 その言葉を反映するかのような物体が、参道内にありました。
“さざれ石”---そうです、『君が代』の歌詞にある“さざれ石の巌”です。碑文を読むと・・・学名は『石灰質角礫岩』。雨水に溶けた石灰質が長い年月をかけて小石を集結させ岩になったものです。「♪千代に八千代に さざれ石の 巌となりて」は、まさにこれ。『君が代発祥の地』と言われる岐阜県春日村で発見されたものだそうです。この地にこの岩があることは、推して量るべし、といったところでしょうか。

060902jingu3霧島神宮は、高千穂峰の麓にあります。そもそも霧島神宮は高千穂河原にありましたが、1234年(文暦元年)の高千穂峰の噴火で焼失し、移転と再建を繰り返して、1484年(文明16年)この地に移転されたそうです。現社殿は1715年(正徳5年)島津吉貴が寄進。1989年(平成元年)に国の重要文化財指定を受けました。
祭神はご存じ 天孫降臨の主役・ニニギノミコト(変換は無理/笑)。厳かな空気に包まれた、まさに「神域」と呼ぶに相応しい境内。社殿も参拝客に迫り来るような迫力に満ちていました。
しかし、ここで反省。。。
こういうところ(神社仏閣)は、訪れた時、最初に「ご挨拶」に来なきゃいけませんね。
鵜戸神宮といい、ここ霧島神宮といい、立ち去るときに来てしまいました。
今後の旅に活かしたいと思います。
霧島神宮を後にして、一路鹿児島空港へ。
楽しい旅の締めくくりは、初秋の南国の青空の下、空港までの数十分のドライブでした。。。

    ++++++++++++++++++++++ おわり +++++++++++++++++++++++++++

以上、『AWAY紀行@番外編 南九州の旅』編でした。

今回の遠征は、お天気こそあまり恵まれなかったものの、とても充実した旅となりました。
大分の悪夢の夜だけが悔やまれますが、良いことあったり無かったり・・・これが旅ですね。
大分を起点とすると、南九州は時間距離が長く遠方となりますので、将来的に、鴨池遠征の際にでも、この紀行文を参考に、わがふるさと@南九州を旅していただければ、これにまさる幸せはございません。
#天皇杯か、ヴォルカのJ1昇格か、春のキャンプか・・・鴨池遠征の可能性はゼロではないですね(笑)

謝辞:
読者の皆様には、長々とお付き合いくださり、誠にありがとうございました m(_ _)m

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2006/09/09

【AWAY紀行@番外編②】鵜戸神宮~霧島の旅

1日目は飫肥・油津から宮崎・青島のホテルにもどり宿泊。
2日目は、青島近くの鵜戸(うど)神宮から三股町を経由して霧島までの旅です。

【2006年9月1日 6時半ごろ 青島サンクマール

060901aoshima1060901aoshima2宿は青島ではなくその南側、ビーチをはさんだ小さな岬にありました。今回はあえて観光地・青島の喧噪から離れたところを選んでみました。
温泉の泉質も良く、料理も美味しく、客室も眺望抜群で快適。そして関東の熱帯夜がウソのような宮崎の夜の心地よさ・・・波の音を子守歌に、久々によく眠りました。060901aoshima3
旅先では、普段できない早起きができるものです(笑)。宿の周り を散策してみました。

青島でなくとも、日南海岸一帯で『鬼の洗濯岩』は見物できます。ホテルからすぐ降りてアプローチ。岩の上は意外に歩きにくいものでした。
そうしたら案の定、ダンナがすってんころりん!
060901aoshima4 しかしさすがダンナ、自分はしりもちをついてもカメラバッグを反射神経で持ち上げる瞬間芸を披露。カメラ&レンズのためなら短パン犠牲はなんのその・・・とカメラ小僧魂を発揮。そのかわり、帰宅後の私が洗濯で苦労するんですがねぇ(^^; 雨に降られなかったことを良しとして、宿に戻りひとっ風呂。朝食を済ませて9時過ぎに出発、鵜戸神宮へ向かいました。

【同日 10時ごろ 鵜戸神宮着】 

060901udo1 宿を出るまでは青島に行くつもりだったのに、車を発進させた直後、ダンナが、
「やっぱ鵜戸神宮に行こう!」
と、急に方針転換 (゜∀゜;)
行く先々の神社仏閣に挨拶しないと気が済まないのが、うちのダンナです。私もそうですが(笑)。
日差しが出てお天気も回復。ここから海辺の崖沿いの参道を下っていきます。

060901udo3 鵜戸神宮は右の写真のよ うなところに立地していて、左写真の奥に本殿があります。
ここの神様(漢字変換が出ないので省略します。詳しくはこちら)は縁結 び、夫婦円満、安産、家内安全、開運など、家庭の繁栄に霊験あらたかです。
大分での紛争を思い出し、早速、夫婦円満の永久祈願をしてまいりました(御札も先日届きました)。

060901kameishi_1 さて。私は今回の旅で、最初からダンナをここに連れてきたかったのです。それはある目的がありました。
『運玉投げ』をしたかったのです。崖下の“亀石”の背穴(写真左)に、素焼きの玉(運玉。5個100円)を、願い事を念じながら男性は左手、女性は右手で投げ入れます。見事ホールインワンで願いが叶うという、昔ながらのアトラクションです。
で、投げてみました。
私はここに数回参拝経験がありますが、今回初めて玉の砕けた“かけら”が入りました!(ノ^◇^)ノ ヤター 
しかも無心で投げて・・・それも(が)(けた“かけら”)(笑)。
ダンナは、惜しいことに穴に命中しなかったものの、横にのっかりました(写真右拡大図参照)。
神頼みも効果無く、早々に前途多難な夫婦でございます _| ̄|○
鵜戸神宮をあとにして、日南市街から北郷町を経由し、一路三股町(都城市のとなり町)へ向かいました。

【同日 12時すぎ 三股町着】 

ところで、「ナゼ三股町?」  (゜Д゜) ポカ~ン
実は会社の後輩というか、元ご近所さんというか、ダンナの大学の後輩というか・・・要するに親しい知人の実家(店)があるので寄りたかったのです。親御さんと無事に対面は果たせました。060901gyoza1
それともうひとつ、その知人が勧めてくれた、ぎょうざ屋さんに寄りたかったのです。
通販と口コミで全国的に有名になったという評判に違わず、宅配窓口にはひっきりなしに車を乗り付けて買い求める人が後を絶ちません。地方の町でこのような光景を目にするのは本当に驚かされました。
われらは隣の食事処で実食。焼きぎょうざ定食500円はリーズナブル(^-^)。060901gyoza2
向こう側の皿の“揚げぎょうざは”単品注文で、薬味に“ゆずこしょう”が付いてきます・・・さすが九州クオリティ。
味の方は、文句なく「◎」。自慢じゃないですが、私自身が作るぎょうさの質感そっくりなのです。キャベツたっぷりホワホワぎょうざ、、、店売りのぎょうざで、こんなに自分の嗜好に近いものに初めて出会えました。感激です (つ;д`)
食べ終えて、ここから霧島~旅の終点・鹿児島空港までは土地勘のある私が責任持ってハンドルを握ります。
 #実は予定より早く鵜戸神宮から運転してましたが(笑)

【同日 15時 生駒高原着】

060901ikoma ここもまた、ダンナを連れてきたかった場所です。学生時代、バイクを転がして、必ず秋なると訪れた場所です。100万本のコスモスが咲き誇ります。美瑛にも負けない開放的な景観、眼下には小林市の市街地・・・ゆく秋を惜しみ、年月の移ろいにひとり涙した風景ですが、さすがに9/1では咲いていませんでした(笑)。

【同日 16時ごろ えびの高原】

060901ebino なんともお天気の急変が恨めしい・・・やはり標高1000m越えると山の天気は激しく変わります。
写真左は、えびの高原全景、写真中は、韓国(からくに)岳登山口付近、写真右は、晴天ならコバルトブルーの水面を湛える不動池・・・のはずです。あ゛ー!残念!

【同日 16時半ごろ 霧島丸尾着】

060901kirishimaお天気にフラれて仕方なく、鹿児島県側の道を下山することに。すると急転直下、ざんざん降りの大雨に。フロントガラスの視界もままならないかと思いきや、しかしそこは昔の勘を活かして難なく下山できました。
20分程度で、霧島温泉中心部の丸尾に到着、、、で、びっくり。
全然雨が降ってない!!! 下界は別世界でした。
山の天気恐るべし  ((((;゜Д゜)))
すぐ近くにある今宵の宿に車を止め、しばらく周辺を散策。道端の足湯に浸かったり、宿の温泉に入ったりと、この日の疲れをゆっくりとほぐして体を労いました。。。

(次回は9/2最終日、大浪池登山~霧島神宮編です)

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2006/09/07

【AWAY紀行@番外編①】宮崎~飫肥・油津の旅

大分AWAY紀行の延長戦として、南九州まで遠征に行ってまいりました。
試合の夜はとっとと寝て、翌朝は早起きして朝食を摂り、つらい思い出の残る大分を、さっさと発ちましたとさ。
この日の目的は、“九州の小京都”と呼ばれる宮崎南部の城下町・飫肥と古港・油津の堀川運河の探訪。
飫肥探訪は、今回のダンナたっての希望でした。私も未訪問でしたので、お互いの利害が一致(笑)。
直前まで、都井岬まで足を伸ばそうかと悩みましたが、私の距離勘で「絶対に無理」と判断し、この日は飫肥でゆっくりすることにしました。。。しかし、実態は飫肥だけでも全然時間が足りませんでした(^^;

以下、旅日記です。

【2006年8月31日 8時過ぎ 大分駅】 060831ohitasta

8時過ぎの宮崎行き『にちりん3号』を待っていたときの一枚。
向かいの福岡行きホームに、“長崎くんち”ラッピング仕様の『かもめ』型車両が停車していました。なかなか楽しげでかわいいデザインです。

大分から宮崎までは、なんと3時間半近く(!)かかります。060831rinia
移動中、頻繁に「(行き合い列車の)通過待ち合わせ」があるからです。今どきの特急列車で「待ち合わせ」とは・・・単線区間の多さが実感できます。高速道路といい新幹線といい、日本のインフラ政策は東九州に冷たいなあ、と改めて感じさせられまました。
その感覚とは逆に、延岡以南の日豊線に並行して“リニアモーターカー実験線”が走っています(写真)。最先端技術の鉄道の実験軌道と単線区間だらけの営業軌道のギャップは、少々滑稽でもあります。
 #ところで、これって今使われているんでしょうか・・・?(^^;ゞ

予定より遅れて正午近くに宮崎着。 060831r220
レンタカーを借りて、国道220号を南進し一路日南市方面へ。あいにくの雨の中ダンナにハンドルを任せ車窓を眺めると、ワシントンヤシの並木道・・・学生時代、幾度も訪れた南国の懐かしい風景。すると聴いていた地元AMラジオが「山下達郎特集」をはじめだし、

ド、ド、ド、ドン、、、

 ♪じょぉ~でぃ~ きみとならぁ~

の曲が流れてきて・・・いきなり20年前にタイムスリップ。
目頭が12:50分くらいにじ~んと熱くなりました、カムバック青春(笑)。

【同日 14時頃 飫肥着】

1時間ほどで、日南市飫肥に到着。060831obiten
まずは名物『おび天』を食べようと、飫肥城近くの店へ。
写真は“うどん定食”に付いていた『おび天』盛り合わせ。ダンナは一緒に名物『厚焼き卵』も注文。
『おび天』は、いわゆる「とうふの薩摩揚げ」で、豆腐と魚のすり身を合わせたものを揚げています。『厚焼き卵』は信じられないほどの“しっとり感”(プリンの食感に似ています)で焼き上げられています。
さて、お味は・・・すんません、私には甘過ぎでした (´д`)060831obijo1

腹ごしらえが済んだところで、いよいよ飫肥城へ。
伊東氏が薩摩・島津氏との覇権争いを繰り広げた城として知られています。一度島津に破れ豊後に落ち延びたものの、豊臣秀吉の九州進攻の際の功績により、5万石を安堵され、以降280年間伊東氏の居城となりました。

こじんまりとした大手門から中に一歩入って驚かされました。 060831obijo2
5万石にしてはかなり立派な城構えです。小規模の大手門に比べて、予想外に縄張り規模も大きく、驚かされました。これも、数多くの戦いの歴史と、特産品振興(飫肥杉、カツオなど)や海運業による豊かな財政を物語るものなのでしょう。

 

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旧本丸址。
NHKの朝ドラ『わかば』の主人公・わかばが落ち込んだときに訪れる空間、という設定だったそうです。いわゆる「わかば、落ち込みの地」(笑)。
ここは“旧”の本丸跡地で、のちにこの下の小学校の敷地に“本丸”は移されたそうです。

060831obijo4 城下の街並みは「九州の小京都」と呼ばれるほど景観がすばらしく、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
私の故郷・鹿児島では、城下の周辺に『麓(ふもと)』と呼ばれる武家集落を形成し、城内を守っていました。実家の近所にもその面影が残る家並みがありました。飫肥の武家屋敷群を見たとき、低い石垣と生垣を組み合わせた通りの風景が、私が幼い頃に親しんだ風景とよく似ており、非常に懐かしさを覚えました。060831obijo6

写真右のような家構えもまた、南九州の特徴的な武家屋敷の風情です。(敵の侵入を妨げるため、玄関と門口を同一直線上に配置しません。家によってはこの間の空間に“壁”を置きます)
やはり隣りの藩、文化は似てくるものですね。

 

060831obijo5_1城下の水路には、鯉が放流されていました。
飫肥は水が豊かな土地だそうで、実際、おび天を食べた店で水を飲んだときも、その美味しさに最初に気づかされたものです。

 

 

060831santoka城下を少し下ると、国道222号線に出て、商家の街並みが保存・整備されています。
とある店先で、種田山頭火の句碑に出会いました。
在りし日の山頭火は、乞食(こつじき)をしながら九州の木賃宿を巡る放浪をしました。その様子は「分け入つても 分け入つても 青い山」の句で知られる『行乞記』に遺されており、油津~飫肥に滞在したことも記されています。

飫肥と言えば、かのポーツマス条約締結に尽力した小村寿太郎を輩出し、ゆかりの場所や記念館があったのですが、残念ながら時間が無くなってしまいました。次回への宿題として、港へと向かいます。

【同日 16時過ぎ 油津・堀川運河着】

060831horikawa1道案内に乏しく、ナビも頼りにならずでしたが、なんとか堀川運河に到着。
油津の“津”の名が示すように、古くからの港町で、この港がもたらす富を巡って島津氏と伊東氏が長年争ってきたのでした。その“富”を生み出した代表的なものに『飫肥杉』があります。切り出された飫肥杉は、いかだを組まれてこの運河を通して港に運ばれました。
写真は、堀川運河のシンボル・堀川橋で、当地の名石工・石井文吉によって明治36年に築造されたものです。

060831horikawa2また、この堀川橋と油津は、映画『男はつらいよ 第45作 寅次郎の青春』のロケ地として、一躍全国に知られました(詳しくは、こちら)。
残念ながら、運河の周辺は工事中で、ゆっくりと過ごす雰囲気がありませんでした。
また、時間も遅くなってきたこともあり、周辺をおおかた見納めて、投宿予定の青島(宮崎市内)へ戻ることにしました。

もう少しゆっくりと散策しながら過ごしたかった、飫肥~油津の旅でした。
またいづれ、機会をもうけましょう。

(次回は、9/1 鵜戸神宮~霧島編です)

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