09【HOME】第30節@大宮戦
情けない。
選手も北ゴール裏も。
お互い、この試合に全力を注いで闘ったと、胸を張って言えるのだろうか。
それぞれがやるべきことをやらずに、相手を批判する資格などあるのだろうか。
北ゴール裏。
大声で野次は飛ばすがチャントの声量はその半分量にも満たない者。闘う選手を眼前に、まるでTV観戦気分で、応援そっちのけであれこれぼやく者、互いに腕を腰に回して終始密着するカップル。退屈してゲームに興じる子ども。
試合も終盤になり、それらの人々の野次の声量はますます増大し、棒立ちで冷えた体に上着を羽織りだし、大宮のチャントを真似て唄いだす子ども達を親はたしなめようともしない。
今の北ゴール裏の実態は、これである。
選手とともに闘う気持ちが乏しい。
この事態を「選手のせいだから」とでも説明するのだろうか。
試合終了後は、有り余る声量でブーイングを浴びせたうえに、バスを囲んで社長と直談判という事態。
ブーイングしたくなる気持ちもわかるし、バスを囲んで選手に意思表示し、社長に事の次第を質したいという気持ちもわからなくもないが、応援で力を出し尽くした身としては、家路につく体力だけで精一杯なのである。
そんな元気が残っているなら、何故試合中にそのパワーの全てを注ぎ込むことができないのだろう。
昔は、「自分の応援が足りなかったから負けた」と思うサポが多かった。だから、是が非でも少しでも力になりたいと駆けつけて選手とともに闘いたいという気持ちが強かった。
今は、応援する前に、試合の情勢を窺って身の振りを決めるサ
ポーターが多くなった。勝っている時はチャントに乗って応援するけれど、旗色が悪くなると、豊かな声量で選手たちを罵倒する・・・いや、旗色の良し悪しに関わらず、ゴール裏の住人としての責務を果たさずに選手に要求ばかり突き付けている者も増えた。
時代が変わった、という理由だけで片付けられることなのだろうか。
私がここに何度も書いていること。
それは、
「スタンドの雰囲気は、ピッチ上の選手たちに伝染しやすい」
ということ。
そして、その選手たち。
明らかに大宮の選手たちの気迫に凌駕され、気持ちが萎えていくのが目に見えてわかった。前日の大分の結果もあり、降格の危機に瀕した大宮の選手たちの鬼気迫るプレーに完全に気後れしている浦和の選手たち。圧倒的な大宮守備陣のプレスやチェックに、球際ではことごどく競り負け、不用意なパスやプレーを連発し、緩慢で曖昧なDF裏の対応を繰り返し・・・
事ここに至っては、戦術云々の問題ではない。
たとえ戦術が確かでも、選手たちの集中力と気迫が欠如していれば、何も機能しない。
目先の勝利を求めるなら、個人技に優れた選手を全面に押しだし、先制点を奪ってのちはひたすら守備固めして逃げ切ればよいのだろう。
しかし、そんな昨年までの闘いぶりと決別し、浦和は今シーズンに臨んだはずである。
フィンケの戦術が軌道に乗りかけてきたかに見えた頃、代表や怪我で戦力を削がれるという不利な状況に見舞われながらも、若手の積極的起用で何とか夏前までは凌いできたし、見る者にも新たな期待を抱かせてくれていた。
しかし、夏になり、多くの選手が復帰しだした頃から、うまく噛み合っていたはずの歯車が、少しずつ狂いだしてきた。
三都主が移籍した頃からだろうか、フィンケの目指す『コンビネーション・サッカー』の萌芽は、夏の暑さとともに枯れ始め、秋にはついに幹まで枯れだしてきた。
現実を見据えた指揮官は、自前の理想論に修正を加えた「守備重心」の戦術への転換を図り、それはある程度の成功を見せたようだったが、何故か続けられることはなかった。
「できていたこと」が、何故「できなくなってしまった」のだろう。
うまく機能していたことを、何故続けようとしないのだろう。
フィンケの理想は、現有戦力では実現しない。
それを思い知らされた試合だった。
現有戦力の能力を発揮した戦術を確立するために監督を替えるべきなのか、『コンビネーション・サッカー』実現のために選手を替えるべきなのか。
今後の浦和を、どのように方向付けてゆくのか。
フロントに求められる判断は、計り知れないほど重い。
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皆さまご周知のとおり書くに値しない試合内容のため、観戦記としての記述は遠慮させていただきました。
何卒ご容赦ください。
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