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2009年1月の6件の投稿

2009/01/31

斜に見たレッズフェスタ2009

090131festa1 今年はスーパーアリーナでの開催に戻したということもあって、自宅から徒歩圏内でもありますので、『レッズフェスタ2009』に歩いて行って参りました。いえ別に、昨年のように埼スタで開催されたって歩いて 行くわけですが (゚Д゚)ポカ~ン
しかし、今年は前日からあいにくの雨でしたので、屋根のあるアリーナでの開催が幸いしました。偶然とは言え運営的には「当たり」だったようです。時折みせるこの「奇跡的な幸運」もまた、浦和的と言えましょうか(笑)

090131festa2 しかし、、、客足はと言えば、雨がたたったのか、あるいは前年の成績が(ry
フェスタ開始15分前に会場に到着したにもかかわらず、入場直後の様子から、心なしか人が少ない様子。アリーナ場内に入ると案の定、ガラガラ。余裕で席確保できました。時間の経過とともに若干空席は埋まったものの、上部階は終了時までついに開放されず。一昨090131festa6年までの阿鼻叫喚の様相がまるでウソのような平穏さでした。小さなお子様連れのファミリーが多数来場していたことから、ある意味、本来のフェスタの雰囲気が醸し出されていたような気がします。

さて。
肝心のフェスタの内容ですが。
更新めざましいオヒサルHPのほうで、すでに詳細な内容までアップされています。

 

090131festa3 『浦和レッズトップパートナー・新ユニホームについて』

 『REDS Festa2009 セレモニー 』

 『REDS Festaスペシャルトークショー』

 『REDS Festa2009フィナーレ 』

これほど大量にネタ公開をされては、ブロガー諸氏もさぞや商売あがったりでございましょう(笑)。
弊サイトもその例に漏れず、フェスタの内容につきましては、オヒサルに一任いたします。
 #最近のマスコミ各紙のネタ探しの苦労が実感できたような気がします(違;
補足事項として、長年ここにいた岡野・ウッチー・永井がいないこと、昨年ふてくされた態度だった某選手がゴキゲンだったこと、今年の抱負を聞かれた平川が「戦術のあるチームづくり」を希望したこと、くらいを付記しておきます。

ワタシの居た座席は、メイン側のコーナー、すなわち斜め方向と言いますか、アリーナの角っこからずっと観覧していましたが、音割れと音籠もりがひどく、正直選手のコメントが正確に聞き取れない状態でしたので、オヒサルでの解説は半ばありがたく思っています。

そんな、「斜に見て」観覧していたレッズフェスタ。
内容はオヒサル一任ということで、何もお伝えしないのも悔しいので、ワタシが「斜めから見た」中で、特に印象深かった出来事をひとつだけ、ご紹介いたします。

090131festa4 開演途中、何故か突然、県内各地の“ゆるキャラ”たちが入場して来ました。
羽生の『ムジナもん』や、見沼の『ヌウ』など、見たことあるものから見たこと無いものまで多数、隊列を成して入場し、それをわれらが“ニート一家”がピッチ上で出迎えておりました。
ほどなく。
コバトンがマスコット達の先頭を切ってマスコミ陣に近寄り、カメラポーズを盛んに決めておりました。それを、“ニート一家”は遠巻きに眺めている様子がうかがえましたが・・・

090131festa5

コバトンの人気に嫉妬ww (by ニート一家)

「斜めから見た」テイストでお届けした、2009年のフェスタ情報でした(汗;

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2009/01/28

中山道中膝栗毛@上尾宿~熊谷宿

この宿間を歩いてからもう1年が過ぎようとしています。
同じ季節が来て、「あっ!」と昨年を思い出した次第です(大汗;
せっかく歩いたのですから、亀の歩みの筆の遅さでも記録を残しておきたいと思います。
1年が経過して古いネタとなりましたが、前回(『与野~大宮宿~上尾宿』編)のつづきを書き記したいと思います。
このたびは行程30㎞近く、初めての長道中です。

【5宿目:上尾宿(あげおじゅく) 埼玉県上尾市 2008年2月2日 AM8:50ごろ 出発】
■天気(熊谷):薄曇
 最高気温:6.8℃ 平均風速:1.9m/s080202ageo1

前回の道中の終点だった、JR上尾駅前の県道164号線、まるひろ百貨店前の交差点からスタート。駅から桶川方面には、かつての宿場風情らしきものはほとんど残されておらず、時折思い出したように現れる“中山道”の道標と案内板だけが、かろうじてこの道の意味を示してくれていました。駅前の商店街のはずれにさしかかったところでは、延享年間 (1740年代)に建立された庚申塔に遭遇。郵便ポストと並立されている様子に隔世の感が漂います。
080202ageo2変化のない道をぶらぶらと上尾駅から小一時間も歩かないうちに桶川市の市境を通過。距離にして4㎞足らずですから、まぁそんなもんです。昔で言えば34丁(3.67㎞)だったそうですが、これは中山道では塩名田宿~八幡宿(27丁:2.91㎞)、板鼻宿~安中宿(30丁:3.24㎞)、洗馬宿~本山宿(30丁:3.24㎞)、八幡宿~望月宿(32丁:3.45㎞)につづき、5番目に短い宿間距離なのだとか。

【6宿目:桶川宿(おけがわじゅく) 埼玉県桶川市 2008年2月2日 PM9:45ごろ 訪】
■本陣1、脇本陣2、旅籠36軒(天保14年記録より)

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『立花町』バス停の木戸跡を過ぎてほどなく、往時を彷彿とさせる『武村旅館』に出会いました。日本橋からの道中で初めて出会った宿場関係の保存建物です。案内板を読むと、幕末の和宮降嫁の時代には、紙屋半次郎という人物が旅籠を営んでいたとのことで、当時のままの間取りが今も残されている貴重な建物です。
080202okegawa3

080202okegawa4 JR桶川駅を過ぎたところにも、古い建物がいくつか残されており、本陣跡(右写真)の門構えなどにも雰囲気が守られていました。ここは和宮の宿泊所にもなったところですが、現在敷地には明治天皇の行在所跡の石碑が建てられ、奥には以前の建物はなく一般住宅となっていました。
あまり知られていませんが、桶川宿には穀物問屋が多くあったそうで、さらには『桶川臙脂(えんじ)』と呼ばれる紅花栽培も盛んであったことから、上尾宿に近いながらも賑わいのある宿場だったそうです。その縁で、現在紅花は桶川市の花に制定されており、かつて宿場に繁栄をもたらしてくれた花の歴史を現代に伝えてくれています。
なお、中山道をはさんで本陣の向かい側には、休憩所を兼ねた観光案内所がありますので、お時間のある方は立ち寄られてみてはいかがでしょう。

080202kitamoto1 桶川宿を過ぎるとすぐに北本に入ります。
このあたり、宅地の区画の広大さに驚かされます。田舎と言って片付けるには広すぎて、そしてお屋敷のような立派な家構えが目を引きます。長年の風雪に耐えた巨大な防風林も多くみかけられ、この土地の裕福さが伝わってくるようです。
県道164号線を北本駅方面に進むと、『本宿』交差点に、“北本の 080202kitamoto2歴史”という案内板がありました。江戸時代初期はこの地が『本鴻巣村』という宿場であったこと、中山道の整備が進むと現在の鴻巣の地に宿場が移され、ここは“立場”(人馬の中継・休憩地点)のみとなったこと、その後この地が『本宿』と呼ばれるようになったことが『北本』の名の由来となったこと、などが書かれており、その傍らには“中山道北本宿”の碑が建っていました。現在の鴻巣宿への移転説は定かではありませんが、家康公の鷹狩り御殿が現在の鴻巣にあったためではないかとの説が有力視されています。080202kounosu1

30分ほど歩くと、鴻巣市に入ります。
ほどなく、『人形町』の地名が目に入り、街道沿いには多くの人形店が軒を連ねています。
鴻巣は、岩槻とならび人形工芸でその名を全国に知られています。その由来は、京都伏見の人形師が住み着いたという説と、日光東照宮修繕の折に人形師が多く住み着いたという説があるようです。

【7宿目:鴻巣宿(こうのすじゅく) 埼玉県鴻巣市 2008年2月2日 PM0:00ごろ 訪】
■本陣1、脇本陣1、旅籠58軒(天保14年記録より)

080202kounosu3記録にある旅籠の数の多さに驚かされますが、鴻巣と熊谷の宿間が四里六丁(約16㎞)と長かったため宿泊する旅人が多く、旅籠が栄えたようです。県道164号線沿いには、その名残か古い建物が点在していました。
『鴻巣駅入口』交差点の近くに本陣跡(右写真)があり、碑が建っています。この交差点付近が、鴻巣宿で一番賑わっていたとのこと。

『駅入口』交差点を渡ってほどなく、老舗の漬物屋『つけしん』 さんの店の前を通ったところ、驚きました。店内には、確かに漬物が並べられているのですが、とても漬物には似つかわしくないショーケースが一緒にあったので、思わず足を止めたのです。

080202kounosu4

その正体は・・・
以前、こちらのエントリ で話題になった『こうのすコロッケ』が、ここで製造・販売されていたのです。こんな巡り合わせを逃す手はないと、迷わず店内に。ショーケース内のコロッケはほぼ売り尽くされていたため、「こうのすコロッケ」と「すまいるメンチ」を各1個ずつ注文し、揚げあがるのを待ってアツアツを買い込み、近所の鴻神社に滑り込むように行き、いざ実食。
もうこれは・・・何とも滋味深く・・・説明できないので食べてみてください(ノ;д`)
また買いに行こうかと途中まで後戻りしたほどの美味しさでした。道中旅をしていなければ、きっと追加を買いに行ったことでしょう。
以前、このコロッケを扱っていた肉屋さんが都合により閉店したのですが、その味を惜しむ声が多かったため、『つけしん』さんがレシピと製法を引き継いだとのこと。すべて地元で仕入れた食材を使用した自信作だけのことはありました。後日、買い求めに行ったことは、言うまでもありません。

080202kounosu5 さて、コロッケ&メンチに後ろ髪を引かれる思いで(ノ;д`)、歩を進めます。
宿はずれの木戸があったという『加美』交差点で、長く付き合ってきた県道164号線に別れを告げ、Y字の分岐を左手方向に、県道365号線を吹上方面へと向かいます。
実は、ここから熊谷堤を抜け熊谷宿へと至る十数㎞の行程が、今回の難関だったのです。

080202kounosu6 多くの庚申塔などの石仏が、かつての街道筋の面影を見せてくれますが、途中、箕田(みだ)源氏(武蔵武士の元祖)のルーツとされる源宛(みなもとのあつる)や、その子孫で羅生門の鬼退治伝説のある渡辺綱(わたなべのつな)が祀られた氷川八幡神社があった他はこれと言った見所もなく、黙々と歩く修行が続きます。

080202kounosu7 箕田追分。右手は行田と忍(おし)方面、左は日光・館林方面への分岐点として往時は賑わっていたそうです。案内板には箕田源氏ゆかりの地であることや、かつての様子を表現した絵図などが掲示してありました。

粛々と吹上方面に歩むと、県道365号線は『前砂』交差点を右手に進みます。ほどなくJR吹上駅手前で高崎線を横断、中山道は踏切を渡ってすぐ、線路とNTTの間の細道を抜けていきます。その先で 久々に国道17号線に出会いました。しかしその再会も束の間、吹上駅前を通り、ほんの数百メートル進んだのちに、『吹上本町』交差点で左折、再び国道17号線に別れを告げます。
・・・・・・と、ここまでのわずか1㎞くらいの道程で、面白い道標を見かけました。

Annai_fukiage1

すべて手書き。テープやシールを貼った上から書き込まれているものはまだいいのですが、電柱に直書きしているものは、何と申し上げて良いのやら(笑)。方法論はともかく、丁寧に道案内をしてあげたいとの地元の人々の温かさが伝わってくるような、微笑ましい風景です(^^;。
080202fukiage1 道標に従って吹上市街を旧道沿いに進むと、『中山道 間(あい)の宿』の碑と案内板がありました。鴻巣宿と熊谷宿の宿間が長かったため、間の宿や立場が吹上にあったのもうなずけます。名物は足袋だったそうで、その足袋は、一大生産地であった隣の行田から運ばれて商われていたとのこと。荒川のウナギも名物だったとか。英泉が描いた『鴻巣宿』は、ここ吹上からの富士を描いたものだそうです(『岐岨街道 鴻巣 吹上冨士遠望』)
中山道は、案内板の後方にある跨線橋を渡って続いていきます。

黙々と、ひたすらに荒川方面を目指して歩く道中が続きます。
何の変哲もない道中、心を和ませてくれたのは、ここでも個性的だった“道標”たちでした。

Annai_fukiage

このあたり住宅地ということもあって、「車に注意」との注意書きから「トイレ」のご丁寧な案内まで、手作り感たっぷり(笑)。堤までの道程も説明付で図解。堤の上の標識裏まで活用する徹底ぶりに頭が下がる思いがしました。正直この道案内には助けられましたので、鴻巣市には、ぜひ道標整備予算を確保して欲しいものです。

080202fukiage2 『権八のものいひ地蔵』から堤防を登ると、荒川の水面すら見えないほど広大な河川敷が眼前に拡がります。ここ熊谷堤は殺風景で単調な景色が延々と展開しているのみなのですが、「ああ、昔はこんな風景が多かったんだ」と、不思議とこの荒涼感に往時が偲ばれる思いがしました。途中、昭和22年のカスリーン台風で堤防が決壊したことを記す碑も建立されていました。
彼岸遠くに傾く陽を眺めながら、日没が近づいてきたことを感じました。すでに時刻は午後4:30。こんなところで真っ暗になられてはたまりません。昔も今も、この堤を通るのは日中に限ります。急ぎ歩を進めます。

080202kuge1 3㎞ほど堤を歩いたところで、街道は堤防を降りて久下(くげ)の集落に。重厚な蔵造りの家並みがいくつか残っており、ここが荒川の堤から続く街道筋だったことが見て取れます。旧道は右写真の奥にある地蔵尊の脇を通っていたそうですが、今は消失しているので、道を直進し、再び堤の上に登っていきます。

堤を少し歩いて、ほどなくして堤を降りると再び集落が見えてきま080202kumagaya1 す。集落の入口には『みかりや』という茶屋の跡(右写真の角地)がありました。当時、「しがらきごぼうに久下ゆべし」ともてはやされるほど、ここの茶屋では柚餅子(ゆべし)が名物で賑わっていたそうです。また、忍藩の殿様が鷹狩りに訪れるとこの茶屋で休息したため、“御狩屋(みかりや)”の名がついたとのこと。
案内看板を読んでいる間に、夜の帳が加速して降りて来ました。歩を進めるごとに暗くなっていきます。写真を撮るのも厳しい状態に。

熊谷堤を歩く頃から、大腿部の裏側にピリピリと痛みが襲ってきていたのですが、すっかり陽が落ちた頃には、まるで肉離れでも起こしたような激しい痛みとなりました。先を急ぎたいのに大幅にペースダウン。慣れない徒歩旅に今度は足裏や足指まで痛み出す始末。薄暗闇の中、痛みに落ち込みながらうつむき加減に歩いていると、そんな私を励ますかのような看板が目に飛び込んできました。
080202kumagaya2 『元荒川 ムサシトミヨ 生息地』
トゲウオ科トミヨ属の魚で、世界でもここ元荒川にしか生息していない絶滅危惧種の生息地。いつか訪れたいと思っていたのですが、この街道筋にあったとは望外の喜びでした。案内板を読むと、埼玉県の魚に制定されたのと、県の天然記念物に指定されたのが平成3年(1991年)と遅かったのが悔やまれますが、このわずかな生息エリアが今後も末永く守られることを願って止みません。080202kumagaya3

八丁の一里塚を過ぎて、熊谷の街の灯が少しずつ近づいて来ました。JR熊谷駅構内に間近な『第六中山道踏切』を渡り、国道17号線方面へ。今回の旅のゴール、熊谷宿はまもなくです。

【8宿目:熊谷宿(くまがやじゅく) 埼玉県熊谷市 2008年2月2日 PM6:00ごろ 着】
■本陣2、脇本陣1、旅籠19軒(天保10年記録より)

080202kumagaya4 国道17号線に入ると、一気に交通量、人通り、街の灯りが増え、今までの江戸の空間からタイムスリップして現世に戻ってきた気分に(笑)。いやはや、熊谷の街は都会です。
駅前の交差点からJR熊谷駅に辿り着いたのが、ちょうど午後6:00。休憩を除いて約8時間、約30㎞の道中でした。
これだけ歩けば、いろんなものに出逢えました。特に『こうのすコロッケ』と『ムサシトミヨ』の生息地に出逢えたことは大きな収穫でした。

初めての長距離行脚に頭も体も疲れ果て、高崎線のベンチシートに埋もれるように座り込んでしまいました。あんなに苦労して歩いた距離も、電車に乗ってしまえばほんの30分程度とはまさに隔世の感、茫然。しかしそんな呆気にとられた心地も、電車の揺れがゆりかご代わりとなって遠のいて、、、いつの間にかウトウトと、でした。

■2008年2月2日(土) 上尾宿~熊谷宿全行程
 ・距離:28.0㎞ 所要時間:8時間10分(うち、1時間程度休憩)
 ・全行程ルートマップは、
こちら
  全行程マップ右の『ルート再生』ボタンを押すと、ルートを「小僧」さんが一生懸命走ってくれます。
  ご自分の体重・年齢を入力すると、同行程の消費カロリーを計算してくれます。
  お試しください。

(次回:『熊谷宿~本庄宿』編につづく)

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2009/01/27

サカーダジャレ@浦和編

不肖ワタクシも勇気を出して、サカーダジャレ に「浦和編」として参戦してみます。
他ならぬにゃんた師匠のご発案ということですし、どこまで続くか、誰が続けてくれるのかわかりませぬがとりあえず、Yes we can!(笑)

 

①今年の活躍を願う意味を込めて・・・ 

 「ポンテがポン!って蹴った」

などと書くと、早速“はやや乙”ですね。

 

090127pon_de_ring※ミスドHPより

「ポンテりん、グー!」

 

②そうそう、今年活躍を願う選手がまだまだ、、、
ボールがあるところには、必ずいて欲しい選手。

 「すぐ来てぇなぁ~」 (鈴木啓太)

く、空気が薄い、、、息苦しい、、、_| ̄|○ハアハア...

 

③試合中、口論は謹みましょう。

 「おめー、さっき、つーかさぁー!」(都合により回答略)

だんだん意識が遠のいてきた、、、師匠、自分はもうダメです(映画『八甲田山』風に)。

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2009/01/19

目まぐるしきこの2週間(09年1月中旬)

仕事始めとともに身辺慌ただしくなったのはワタシだけではなかったようで、浦和レッズを取り巻く環境も、この2週間で目まぐるしく変わりました。
今、思いつく範囲でも、レッズにはこれだけの動きがありました。

  • 永井の清水移籍
  • 相馬の退団
  • レッズフェスタの正式案内
  • 各種イベント開催
  • チーム始動
  • 宮崎キャンプ開始
  • 闘莉王来日遅延
  • 各種表敬訪問
  • オヒサルHPの頻繁な更新(笑)

まだいくつかあったかと思いますが、、、
例年に比べ恐ろしいほど静寂であった昨年暮れの状態から、いきなり啓蟄を迎えた虫たちのようにモコモコと話題が出て来る今日この頃。春はもう近いのですね(違;

さて、そんな中、年末の静けさとは対照的に活発なのが、オヒサルの更新。
積極的な情報公開と、徹底した選手への情報管理は、マスコミ各紙のネタを奪う勢いとなっております。特にH紙などは、闘莉王を頻繁に見出しに用いるところからして、これまで彼を情報源として重宝していた様子を露骨に現しているとともに、情報が枯渇した今もなお彼をメシの種にしようとの狡猾さと焦りが、紙面から滲み出てくるようです。ついには、その情報管理の厳しさが「さらなるブランド低下を招きかねないピリピリぶりだ」 との無用なご心配までしていただき、甚だ恐縮の至りです。

そんなH紙ですが、キャンプでの練習の様子をも記事にすることもできず持て余したのでしょうか、今日は毛色を変えたこんな記事まで出て来ました。

 『J1開幕戦は鹿島VS浦和!3・7カシマで激突』 

今度はテレビ局関係者がソースのようですね(笑)。老婆心ながらこのテレビ局、自局にも箝口令が敷かれないように、チェアマンと日本協会会長には丁寧に詫びを入れた方が良さそうです(^^;。

で、その話題の記事の内容ですが。

開幕戦に鹿国って・・・年度末真っ盛りで、ワタシは行けるのか(つ;д`)
さあ、この情報がガセであるのか現実のものとなるのか、、、
開幕まで、この先もレッズを巡る情勢は目まぐるしく動きそうですね。

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2009/01/07

09年@浦和の『ら』、始まる

『ら』と言えば、皆さまご存知の移籍情報に関するサイトですが、ここの浦和欄がいよいよ動き始めようとしています。

 まずは、年末に、

 『堀之内、保留相次ぐ主力の中でサイン1号』(デイリー)

の情報が私たちに伝わりましたが、すぐに正月休みに入ったこともあり、例年になく乏しい情報を元手に休み中は想像を膨らましておりました。昨季、再三問題となった“ダダ漏れ情報管理”を反省してか、クラブ側は情報統制に相当な注意を払った模様ですが、個人的にはその方が健全な組織としての姿だと認識しております。ですので、サポ的には勝手に妄想する楽しみが増えたということでは好ましいかと思っております。

しかし、時は淡々と流れていきます。「その時」はやって来ます(公共放送某番組風)。
年始を心待ちにしていたかのように、さまざまな情報が白日のもとに晒されるようになりました。

 まずは、噂の絶えなかった、この選手↓

 『浦和FW永井、清水への移籍が確実に』(ニッカン)

 『V請負人来る!“清水・永井”7日にも誕生』(スポニチ)

 『浦和一筋12年・永井が清水へ完全移籍』(報知)

 現時点(13:30)では、オヒサルの正式発表はまだありませんが、先刻ラジオからも情報が流れましたので、ほぼ決定事項となった模様です。
 『浦和の9番』という重責を担った選手の放出は、少なくない衝撃を与えておりますが、昨季終盤からの本人の振る舞いから察するに、すでにこの頃から移籍の意志を固めていたことは容易に想像できます。加えて岡野・内舘の放出を目の当たりにすれば、齢30を目前にして、人生の節目に将来を考えさせられるのは無理からぬことと思います。サッカー選手に限らず、人間誰しも通過する人生の季節ですので、そのことで移籍を決断をしたこと自体は何ら異存はなく、本人の意志を尊重したいと思います。

しかし。
問題なのは、

「『浦和の9番』がチームを去る決意をさせた、浦和の有り様」

だと考えます。終生浦和一筋との覚悟を持つことができない、選手にとって魅力の減退したクラブに凋落してしまったことに危機感を抱かねばならないと思うのです。
幸いにも、新監督の招聘や信藤TDの就任が今季の光明となりつつあり、早速信藤TDにおいては戦略展開しはじめたところですので、永井の決断はいささか性急なところもあったかも知れません。しかしその判断も彼の人生、決断の先の人生は己で背負って行くしかないでしょう。

ここで、あらためて。
「選
手にとって魅力の減退したクラブ」に変質させたのは、フロントだけの責任ではないと私は思います。対照的な事例として、J2降格した時のオフの状況を思い出せばわかりやすいでしょう。あれだけダメフロントだった当時、岡野が他選手を引き留めるために電話をかけまくった話は有名ですが、彼を突き動かしたのは、間違いなく浦和サポーターの存在でした。

サポーターの魅力の減退。

フロントも選手も、辞任や移籍などの人事往来で変える事は可能ですが、サポーターはそういものではありません。サポーターの質の低下ほど深刻な問題はないと思います。金を出している立場に乗じた思い上がりや言いたい放題の罵声や非難・・・「客意識」から脱却出来ないまま「サポーター」を名乗る人々は間違いなく増殖しています。岡野が電話をかけまくった当時のサポーターなら、
「俺たちの応援が足りなかったんじゃないか」
と自らを問うていたものですが。
共に闘う当事者意識があれば、選手を罵倒することはできません。あの頃は、クラブと選手へ、サポーターの愛情が確実に伝わっていたからこそ選手は移籍せず、クラブも少し遅れた形でしたが大ナタを振るった変革を遂げることが出来たのだと思います。もちろん私たちサポーターも、選手やクラブからの愛情を感じながら。

興行を優先させたクラブの姿勢が、サポーターの質まで変質させてしまったと言っても過言ではありません。
サポーター自身の奢りや増長は言うに及ばずです。
この件をどう変革していくか、今季の大きな課題となりそうです。

去っていく選手や加入する選手の話題にどうしても注目が行きがちな今の浦和ですが、堀之内はじめ残留を決めた選手情報も徐々にリリースされています。

 『坪井、5500万円の単年契約で合意』(デイリー)

浦和で闘う決意をしてくれた選手と、共に闘うのみです。
そして・・・気になるこの↓選手の動向。
 

 『浦和・藤口社長 達也引き留めへ7日直接交渉』(報知)

フロントの手腕が問われるところですが、私たちサポーターの姿勢も問われていることを忘れてはならないでしょう。
達也の「浦和愛」を願って止みません。

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2009/01/06

2009年、年頭の教訓・・・の、つもり。

大変遅くなりましたが、ご挨拶を。

旧年中は、弊ブログにお付き合いくださり、誠にありがとうございました。
本年も、時折クダグダな駄文やら、しょーもない一発ネタなど仕込みながら、細々と営業して参る所存ですので、御用とお急ぎのない方におかれましてはどうぞ気軽にお立ち寄りくだされば幸いです。生温かい目でお見守りいただき、引き続きご愛顧のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

年の瀬に急遽札幌へ飛び、帰りの大晦日、新千歳空港欠航パニックにモロに巻き込まれ、やむなく札幌のホテルに逆戻りで年越しを強いられ・・・天皇杯決勝で国立競技場が盛り上がる最中、ようやくおせちも雑煮もない我が家に辿り着いた次第です。何やらこれから始まる2009年を暗示するかのような波乱の年末年始を過ごしたnigoeでございましたが、皆さま方におかれましては穏やかな新年をお迎えでしたでしょうか。
余談ながら、仕事始めの昨日は、波乱の新年にふさわしく、初っ端からしっかり12時間働かせていただきました。。。_| ̄|○

わずかな正月休みでしたが、2日は早速初詣に大宮某所と浦和・調神社に参りました(当然、中山道を歩いて移動しますた)。この日、浦和市立高の試合があったことも影響したのでしょうか、調宮の行列は昨年に比べ非常に少なく、スムースに参拝まで済ませることができました。

そこで、昨年境内の入口にてあのダルマを販売していた露店が、今年も同所にて営業しておりました。すでに元日には完売したとのことで、普通のダルマが店先に並んでおりました。
で。
ふと脇に目を遣ると、見慣れた物体が鎮座しておりました。

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