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2008/02/13

中山道中膝栗毛@板橋宿~蕨宿

前回(『神田明神~板橋宿』編)のつづきです。

【1宿目:板橋宿(いたばしじゅく) 2008年1月26日 PM0:55ごろ 訪】
■本陣1、脇本陣2、旅籠54軒(天保14年記録より)

080126itabashi1 国道17号の『板橋3丁目』交差点を渡ると、そこは板橋宿。中山道六十九次最初の宿場町。東海道の品川宿、日光街道の千住宿、甲州街道・内藤新宿と並び『江戸四宿』のひとつされています。当初は江戸からあまりに近いので泊まり客が少なく、沿道の宿や店は商売あがったりだったそうですが、徐々に江戸の近さが幸いし、庶民の盛り場として、また近隣にあった加賀藩下屋敷の侍たちの歓楽の場として、大いに栄えるようになったとか。
板橋宿は、京に近い方向(北側)から『上080126itabashi2宿(現・本町)』『仲宿(現・仲宿)『平尾宿(現・板橋)』の3宿に分かれていたそうで、旅籠の件数からも、かなり大規模な宿駅だったことが想像できます。

商店街にはいたるところにウサギが。『ラッピー』と呼ばれるこのマスコットの名の由来は、「ラッキー」+「ハッピー」=『ラッピー』なのだそうです。商売熱心なラッピーは、ゲートの上だけでなく、それぞれの店先でも道行く客を出迎えてくれています。

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商店街を歩き出して間もなく、朱塗りの山門の観明寺が見てきます。板橋宿の寺として多くの人々の信仰を集めたそうです。その道沿いの入口には、寛文元年(1661年)建立の庚申塔で、青面金剛像の彫られたものとしては都内最古のものとのこと。

080126itabashi5 平尾宿から仲宿に向かう中山道の街並み。下町の風情そのもの。「あっ!鳥だ!」「あっ!ヒコーキだ!」「あっ!タケチャンマンだ!」というセリフが聞こえてきそうです(笑)。両宿の間に王子新道が通っています。その『旧中山道中宿』交差点の角の喫茶店で昼食&休憩(店の名は忘れましたが、昭和の喫茶レストラン風のお店。ハンバーグステーキを注文しましたが、懐かしくて美味しいでした)。

40~50分ほどの休憩の後、行脚再会。
080126itabashi7沿道左手に、ひっそりと立つ案内板が目に入りました(クリックで 拡大)。幕末の蘭学者・高野長英が、幕府の政治批判の罪で囚われていた小伝馬町牢屋敷火災の折の「切り放し」で脱獄、ここ板橋宿の医師で門人だった水村玄洞宅に1日かくまわれていたそうです。「その後、北足立郡尾間木村に住む同門で実兄の高野隆仙宅に人をして逃れさせた」との一文を読み、以前、赤山街道巡りをした時に見かけた、あの高野家離座敷のことだったのだなぁ、と感じ入りました(国道463号・浦和美術専門学校の裏手あたりにあり。私が訪れた当時は復元前でした)。

080126itabashi8 あれこれよそ見をしながらタラタラ歩いていたら、肝心なものを見過ごしてしまいました。
『板橋宿本陣跡』。
あとで調べたら、辛うじて撮影した、この写真の右側にあるスーパー『ライフ』が本陣跡だったとのこと。
 _| ̄|○ orz...

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080126itabashi10 いわゆる“板橋”の名の由来となった、石神井川に架かる『板橋』。日本橋から二里二十五町三十三間(10.642㎞)の里程を示す道標がありました。当時はこの橋の前後が最も賑わっていたそうです。橋を渡ると『上宿』となります。
橋上からは首都高が見えました。江戸と平成の時代が同居する、感慨深い風景です。

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上宿は、かつての賑わいからするとずいぶん静かになったのではないでしょうか。人通りも商店も少なくひっそりとしていました。
明治の世に変わり、文明開化の象徴である鉄道整備による板橋駅の開業が、人馬の宿継ぎ機能で栄えた板橋宿に少なからず影響を与えたことがうかがえます。
右写真は、街道筋の交番。今もなお宿場町としての風情を醸し出そうとの配慮が、地元への愛着を感じさせてくれます。

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交番のすぐ隣にある『縁切榎』。読んで字の通りの意味ですので、皇女・和宮が14代将軍・家茂に降嫁の折、ここを通過する際には、菰を被せて隠したとのエピソードがあります。
元々の木は少し移動したところにあったそうで、現在の榎は3代目と言われています。

 

080126itabashi13先を歩くとほどなく、環状7号線に当たります。板橋宿はだいたいこのあたりまでだったそうです。環七の高架をくぐって、さらに道なりに『泉町』交差点へと進み国道17号と再合流し、その先は志村坂上までひたすら北上します。

 

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080126ichirizuka2 都営三田線・志村坂上駅に近づくにつれ、交通量の激しい国道の現代的な沿道風景を一変させる巨木と森のような塚に目を惹かれます。ここが『志村一里塚』と呼ばれる中山道3番目の一里塚。なんと今でも国道を挟んだ両側に、見事な一里塚が残されています(右写真:反対側、上り線の一里塚)。日本の交通史上貴重な史跡として、街道の歴史の重みを今に伝えてくれています。

【PM2:40ごろ 清水坂入口】

080126shimurasakaue 少し北に進んだ『志村坂上』交差点に、交番があります。この交番と『みずほ銀行』の間にある細道が中山道です。この先に、江戸の中山道の難所だった『清水坂』があります。
ここで再び国道17号を離れます。

 

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沿道は主に住宅街となっていますが、今も大小の庚申塔や道標が大切に残されています。右写真は庚申塔と追分の道標が併設されているもの。向かって左側の細い道標正面には、「寛政四年 是より大山道ならびにねりま川こえ(川越)みち」とあり、向かって右側の庚申塔側面には「是ヨリ富士大山道 練馬江一里 柳沢(西東京市)江四里 府中江七里」と彫られているのが今でもわかります。江戸の頃は富士講大山講が盛んで、特に『大山詣で』は江戸の庶民の人気が高かったと言います。ここから大山へつづく道があったのだと思うと、遙か昔の街道の面影に思いを馳せることができます。

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清水坂は、日本橋を発って最初の難所として有名でしたが、京へ上る方向へ歩く場合、途中大きく曲がるカーブにより、中山道で唯一「右手」に富士山を眺望できる名所としても有名だったそうです。昭和30年代までは旧街道の面影を残していましたが、地下鉄三田線の開通などにより、現在はその姿を変えてしまいました。しかし、今も残る急坂は昔日を物語っています。京方面には下り坂で楽ですが、江戸方面に向かう旅人には長い登り坂で、その大変さを偲ぶことができます。

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左写真:清水坂を下ったところにある三叉路を、右折してさらに坂を下ります。
右写真:都営三田線のガードをくぐり、国道17号方面へ向かいます。

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国道17号『志村3丁目』交差点手前で中山道は合流します(右写真)。
歩道橋を渡って、さらに複雑怪奇なルートを辿って旅はつづきます。

 

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歩道橋を渡って、すぐ下の赤いカラー舗装の部分が旧道(上地図のピン図示の道)なのですが、いかんせんものの数十メートルで環状8号線に横切られ「行き止まり」になっています。短くてもいちおう通過しました。
環八の向こうにつづきの中山道(上右写真)が延びていましたので、『志村3丁目』交差点の横断歩道を渡って、国道17号に並行した裏筋となる“つづきの中山道”を通り、『志村坂下』交差点手前で、再び国道17号と合流します。
清水坂~志村坂下のルートはこちら↓

080126shimurasakasita『志村坂下』交差点を過ぎたところで、ようやく「日本橋から15㎞」のキロポスト標に遭遇しました。新河岸川を渡るまで、国道17号をひたすら歩きます。

 

 

080126shingashigawa 新河岸川を渡って、すぐ川沿いの道へと右折し、国道17号としばし別れます。大きなパチンコ屋が目印となります。そのパチンコ屋の建物に沿って廻るように、左折→また左折と曲がり、国道17号に並行するように北上します。

 

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パチンコ屋の裏手にあった板碑。板碑とは、鎌倉~室町時代に、親の供養や自分の後生供養などのために建てられた石製の“卒塔婆”のこと。ここには、破片なども合わせてお祀りしてあるそうです。最近の発掘調査でも、この一帯では鎌倉~室町時代の「まち」の跡が確認されているそうで、板碑には文明9年(1477年)、文明17年(1485年)、明応5年(1496年)、大永(1521~1527年)の年号を読み取れるものがあり、由緒の古さに驚かされます。最近まで子供の“はしか”に霊験があると信仰されていたそうです。

080126funato6 そろそろ荒川越えか・・・と思ったところに、新幹線&埼京線の高架が見えてきました。『第一硝子』の建物の向こうの高架下で道が突き当たるので右折し、住宅地を抜けて、堤防の坂路を登ります。

 

080126funato8荒川・舟渡側の堤防より、かつて戸田の渡船場のあったあたりの彼岸を見渡します(JR鉄橋下流側)。此岸の河川敷は『荒川戸田橋サッカー場』です。
いよいよ江戸に別れを告げ、荒川を渡ります。
実は、戸田橋を歩いて渡るのは初めてだったりします(笑)。

【PM3:40ごろ 戸田橋通過】

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埼玉県、キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ッ!!!!

 

080126todabashi4 実はこの先も、フクザツな道を辿ります(笑)。
戸田橋の橋詰めにある交番脇の堤防坂路を下ります。つまり戸田橋の部分だけ国道17号を通っただけで、再び旧道へ戻る、というわけです。

 

080126toda1交番から200mほど坂を下った坂路の途中に、『中山道戸田渡船場跡』の碑がありました。資料に拠れば、この渡しは天正年間(1573~1591年)よりあったとされています。江戸時代になり中山道が整備されたことで、交通の要衝として、そして幕府公認の河岸場として賑わっていた当時の様子が目に浮かぶようです。
明治になり、中山道の交通量が増えたことで木橋が建設され(明治8年:1875年)、『戸田の渡し』はその永い歴史における役目を終えました。

080126toda2渡船場碑の右下には、『水神社』が祀ってありました。ご神体は岩。社殿はありません。創建年は不明ですが、水神様として、川岸に住む人々の氏神様として信仰を集めていたようです。昔は、その年の初物の胡瓜を水神社にお供えし、その後荒川に流してからでないと泳げなかった、という風習があったとか。

日没が近づいてきました。渡船場の下、真っ直ぐに北上する細い道が旧中山道。道を急ぎます。

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080126toda5『川岸ミニパーク』前を通ってさらに進むと、菖蒲川に突き当たり、道が途絶えました(上左写真)。ここまで順調に中山道の原道線形上を辿って来られたのですが、この先、下戸田あたりの中山道は、国道17号の『本町』交差点付近まで残念ながら失われています。代わりに『川岸橋』を渡り(上右写真)、『田辺三菱製薬』脇の道路を北上します。オリンピック通りの1本手前の角(右写真の、赤色の軒の中華料理店)を左折し、さつき通りという商店街を通って、再び国道17号に合流します。
板橋区・志村3丁目交差点~戸田市・川岸3丁目交差点のルートはこちら↓

080126toda6ここから先は、蕨宿の入口までひたすら歩きます。何の変哲もない国道風景ですので、集中して歩けます。ここで一気に距離と時間を稼ごうとしたのですが・・・

 

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こんなものを見つけてみたり、、、

 

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こんなものを見つけては、興奮しておりました(笑)。

【2:蕨宿(わらびじゅく) 2008年1月26日 PM4:40ごろ 訪】
■本陣2、脇本陣1、旅籠23軒(天保14年記録より)

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だんだんと陽が落ちて焦ってきたところに、ようやく蕨宿の入口を示す碑が見てきました(注:写真中のモデルさんは本文とは関係ありません)。
宿場の雰囲気を演出するような木戸風のゲートも整備されていて、良い道標となっています。
江戸から数えて2番目の宿場。未だ狭080126warabi3い道の様子が、かつて街道筋であったことを物語っています。

歩道には、歌川広重と渓斎英泉の合作として有名な『木曾街道六十九次』のレプリカが描かれています。かなり夕暮れが迫ってきた折にて、このような写真となりましたorz...
ちなみに写真は鴻巣宿の浮世絵。全作チェックをする余裕もなく、本陣を目指します。。。

【PM4:50ごろ 蕨宿本陣 着】

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080126warabi6本陣は、地元の有力者・岡田氏が代々務めていたそうです。公家や大名が宿泊した記録が、内部の展示ケースの木板に書き込まれていました。意外にも肥前・佐賀、肥前・小城、豊後・岡などの九州の大名の名もありました。東海道に比べ「川止め」が少なかったことから、旅程を計画しやすかったことがうかがえます。
皇女・和宮の江戸降嫁の折や、明治天皇の大宮氷川大社参拝の折も休憩所として利用されたようです。
なお、ここに隣接して『蕨市立歴史民族資料館』という立派な施設がありますので、時間のある方は、こちらも訪れて蕨宿の歴史に触れてみてはいかがでしょう(戸田寄りに別館もあり)。

・・・・・・と、ここで、写真撮影するには限界な時間となりました。
みるみるうちに夜の帳が降りてきました。
日本橋を出発した当時の予定は、

 「(与野の)おうちまで帰ろう」

だったのですが、残り10㎞、、、_| ̄|○ orz...
2週間前に、ここから自宅までは踏破済みでしたので、道半ばではありますが、この日の旅は蕨宿で終わることにしました。

たった1日の徒歩の旅を3回に分けて長々とお送りしまして、大変失礼いたしましたっ!(笑)

■『板橋宿~蕨宿』ルートのおさらい
(再生ボタンを押すと、ルートを辿ります。)
※国道17号『清水町』~『泉町』交差点間は、国道東側の裏筋を通ります。
 地図ソフトが、実際通った道を認識してくれませんでしたorz...

■2008年1月26日(土) 日本橋~蕨宿全行程
 ・距離:20.3㎞ 所要時間:6時間40分(うち、40分程度休憩)
 ・全行程ルートマップは、
こちら
  全行程マップ右の『ルート再生』ボタンを押すと、ルートを「小僧」さんが一生懸命走ってくれます(笑)
  ご自分の体重・年齢を入力すると、同行程の消費カロリー計算をしてくれます。
  お試しください。

(次回:『蕨宿~浦和宿~与野』編につづく)

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コメント

 加納宿で待ちくたびれて、10日から、名神~山陽道~瀬戸大橋~松山道~高知道~高松道~徳島道~明石大橋…。ま、色々走って今日ナゴヤに帰りました。
 で、あさってから五輪の下見に行ってきます(下見だけで終わる予定)。

投稿: なごやのじーじ | 2008/02/13 19:25

ひそかにこのシリーズを楽しみにしていました。
再生ボタンを押して道をたどるのが面白いです。
キューポラのある街にも寄っていただければよかったのに!
橋が一つ違いました。
ウォーキングは結構、カロリー使うのですね。
僕は●本木一丁目からの終電に乗ったときには赤羽岩淵駅から自宅まで歩きます。
荒川大橋は橋の欄干が一部壊れていてスリルがあります。(工事が終わったかまだ確認していません。)
nigoeさんを見習ってもっと健康的な生活を心がけたいと思います!!!

投稿: なかじま | 2008/02/14 01:08

お疲れ様です。

庚申塔、大事に残されているのですね。感動しました。
個人的には「ドテレンジャー」がツボにはまってしまいました。ローカルヒーローがこんなところにあるとは。

投稿: sat | 2008/02/14 09:43

>庚申塔と追分の道標が併設されているもの
この辺が 私の家(長屋)でした。
昔は「庚申塔と追分の道標」の後ろはおにぎりやさんで、向かい側に左側の石碑があったような変な四又路だと・・・
>清水坂は・・・
随分と家も 建ちましたね 歩道もあるし 懐かしいです。
チャリンコでの 肝試し 坂を下って更に右折して まだ坂でしたね。事故った仲間は数知れず。
雪が 降ればソリだったっけ 難所(遊び場)でした。
>埼玉県、キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ッ!!!!
歴史的背景など 知らずに育ちましたが、堪能しました。ありがとうございました&お疲れ様です。

投稿: 酔いどれ | 2008/02/14 17:17

@なごやのじーじさま
加納宿は・・・(^^;
それはいいとして、ずいぶんと飛び回られていますね。

>>五輪の下見
今度は海越えですか、、、場所が場所だけに、食事や大気含め、道中のご無事をお祈りしております。

@なかじまさま
残念ながら、『キューポラのある街』は街道が違いますので何卒ご容赦のほどを、、、(^^;

>>ウォーキングは結構、カロリー使うのですね。
そうなんですよ。時間もカロリーも消費するんです。
でも、まだその「効果」はでておらず(とほほ)

@satさま
庚申塔、結構大事にされていますよ。開発が進んだ住宅街でも、塀を凹ませてでも庚申塔や地蔵様を避けて整備しているところが多いです。埼玉県内でもよく見かけました。首都圏もまだまだ捨てたもんじゃないですね。

『ドテレンジャー』・・・戸田にも流行の“ご当地ヒーロー”があるとはワタシも予想外でした(笑)
よくよく考えれば、戦隊モノのオリジナル『ゴレンジャー』の影響の大きさをあらためて認識させられます。

投稿: nigoe | 2008/02/14 17:19

@酔いどれさま
あらら、、、昨日2分違いで投稿が行き違ったんですね(^^;
お返事遅くなって失礼いたしました。

>>昔は「庚申塔と追分の道標」の後ろはおにぎりやさんで、
そうです、お店がありました。蕎麦屋さんだったか何か記憶が曖昧なのですが、食べ物屋さんだったことは確かです。
>>向かい側に左側の石碑があったような変な四又路だと・・・
これもそうでした。鋭角に道が入り込んだ変形交差点でした。このあたりにお住まいだったのですか。閑静な良いところですね。
まさに酔いどれさんの「地元」のご紹介をさせていただくことになり恐縮でした。至らぬところ多々あったかと思いますが、ご容赦ください。
板橋区は中山道を「地域のシンボル」としてあいしていることがよくわかりました。お陰様でいい勉強をさせていただきました。

投稿: nigoe | 2008/02/15 10:33

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