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2008/01/08

奥の細道と海坂藩を訪ねて(1)

20071229atsumi1 天皇杯に関係のない年末は、ゆっくりのんびり旅に出ました(棒読み)
冬は冬らしく寒いところで温泉三昧が一番です。仕事も家事もサポート活動も御用納めまでに済ませ、12/29~31日の2泊3日の行程で山形・庄内地方へ旅しました。
少々長いので、2回に分けてご紹介させていただきます。

【あつみ温泉(あつみおんせん) 山形県鶴岡市湯温海 JR羽越本線あつみ温泉駅 徒歩約35分またはタクシー約5分 2007年12月29日 訪】

071229atsumi2このたびは、あつみ温泉をベースキャンプに、庄内藩の城下町・鶴岡を訪ねました。ちなみに、2泊にかけて逗留した宿はこちら。昭和の香りが充満する(笑)古い旅館です が、源泉掛け流しの温泉(硫酸塩泉)は上々。他の浴場も巡りましたが、ここの泉質が一番効能が高いと感じました。料理はカニと鯛メインで、豪華絢爛と言うよりは地味ながら丁寧な仕事ぶりの味。こんなに鯛を食せることも滅多にないと思えるほどいただきました(笑)。
1日目は宿に到着して、周辺の足湯(右写真)などを楽しみながら散策。
2日目、年末のため名物の朝市は今回体験できず残念。
あいにくの荒天でしたが、鶴岡まで足をのばしてみました。

【山形県鶴岡市(やまがたけん つるおかし) JR羽越本線鶴岡駅 2007年12月30日 訪】

071230tsuruoka1 鶴岡と言えば、『海坂(うなさか)藩』------。
ご存じの方も数多いと思います。鶴岡は、時代小説の名手・藤沢周平の故郷であり、彼の作品の舞台として頻繁に描かれている架空の藩=海坂藩のモデルとなっています。弊ブログを平素ご覧いただいている読者の方にはすでにご周知のことと存じますが、私は大の“読書アレルギー”、ダンナは食事をするのを忘れるくらいの“本の虫”。ダンナはほとんどの藤沢作品を読了していることにあわせ、ここ鶴岡には出張で数回訪れており、地域情報にはある程度通じていたので今回はプチガイド役。私は原作は読んでいないものの、最近の藤沢作品ブームの前から、『腕におぼえあり(用心棒日月抄)』『よろずや平四郎活人剣』『蝉しぐれ』などのTVドラマが好きでしたので、鶴岡は、藤沢作品ゆかりの地を辿りながら歩きたい土地のひとつでした。
 #そう言えば、年末までNHKで『風の果て』をやってましたね・・・
  ドラマ化では「池波正太郎のフジテレビ」「藤沢周平のNHK」といったところでしょうか。

071230tsuruoka5駅についてまず目にするものは、この『雪の降る町を』歌碑。作曲家・中山喜直が、鶴岡の雪景色や旅の思い出をメロディーにしたとのこと。毎正時には、あのお馴染みのメロディーが流れます。

 

071230tsuruoka2街では『藩札』が流通しております(笑)。
ところで。
鶴岡の街を歩いていると、いたるところで『庄内』と『荘内』の2つの表現が使い分けられていることに気付きます。
車のナンバーはじめ庄内平野など地域を指す場合は『庄内』、新聞社や銀行、荘内神社など企業や施設・団体等には『荘内』の文字がよく充てられているようです。その使い分けに関する理由や根拠は、ちょっと調べた程度では釈然としないのですが(^^;、古文書に頻繁に登場するのは『庄内』の文字のようです。参考までに、こちらをご覧くださればと思います。

071230basho1 ぶらぶらと駅前通りを歩いていると、『山王日枝神社』に到着。
境内には、松尾芭蕉がかの『奥の細道』紀行の折、出羽三山登拝後にここ鶴岡を訪れた際に詠んだ句碑がありました。

 珍しや 山を出で羽の 初茄子び

「出羽三山の下山」と「出羽国」を絶妙に懸けています。また庄内は小茄子(民田茄子)の名産地ですの071230basho2で、地方色や季節感もわずか17文字に凝縮した、誠に秀逸な一句です。
日枝神社から商店街方面に歩を進めると、『蝉しぐれ』でモチーフとされた内川(小説では“五間川”)に辿り着きます。『秘太刀馬の骨』に登場する大泉橋(小説では“千鳥橋”)のたもとに、芭蕉ゆかりの舟着き場がありました。ここから芭蕉は舟に乗り、内川~赤川~最上川と川を下り、酒田へと向かったそうです。酒田への道中、芭蕉は何を思っただろう・・・そんな想いをかきたててくれます。

071230tsuruoka3大泉橋を渡った先の商店街の歩道には、このような旧町名を表記した石碑がいくつか設置されていました。こういう細かい演出が、城下町そして時代小説のふるさととしての雰囲気づくりに一役買っています。
街並みは、現代的な建物と、懐かしい時代の建物が混在しています。同じ県内だからでしょうか、何かしら米沢を訪れた時の雰囲気に似たものを感じました。

071230tsurusonohashi

 

 

 

 

 

 

鶴ヶ岡城址(現・鶴岡公園と荘内神社)に向かう途中、再び内川を渡ります。
消防署前の鶴園橋の下に、2艘の舟が繋がれていました。『蝉しぐれ』の緊迫するシーンのひとつ、牧文四郎とふくが家老・里村の追手から逃れるために、夜陰に紛れて舟で堀(内川?)づたいに城外へ脱出する場面が自然と連想されました。果たして、この舟はどのような意図でここに係留されていたのか・・・情緒ある風景です。071230miyukibasshi
この鶴園橋を横目に眺めながら、私たちは朱色が目に鮮やかな下流側の『三雪橋』を渡りました。関ヶ原合戦後の1601年、最上義光が鶴ヶ岡城主の代に赤川・内川の河川改修に合わせて架けられた橋で、その後酒井忠勝が庄内藩主となり明治維新までの間、城の大手門に通ずる橋として機能した由緒ある橋だったそうです。現在の恒久橋に架け替えた1963年に、地元の人々が発起して朱塗りの橋になったそうです。

071230church 橋を渡ると、屋敷門の向こうに教会、、、和洋折衷の奇抜な佇まいに目を惹かれました(写真が雨に煙ってしまいました)。
明治の頃に建てられた『鶴岡カトリック教会天主堂』です(国指定重要文化財)。ロマネスク様式教会建築の傑作なのだそうですが、建築はあまり詳しくないので良くわかりません(笑)。堂内に安置されている黒い聖母マリア像は世界的にも珍しく、日本ではここでしか見られないそうです。
中を見学しようとしたのですが、雨足が強くなってきたので、先を急ぐことに。

071230tsurugaoka 鶴ヶ岡城址。現在は荘内神社と鶴岡公園となっています。鶴ヶ岡城は、古くは大宝寺城と呼ばれ、鎌倉から戦国期の長きにわたり、庄内地方を治めていた武藤氏の居城でした。戦国後期から江戸にかけての国替え等により、最上義光→酒井忠勝と当主が変遷し、以降、戊辰戦争の頃まで、庄内の中心地として、譜代の酒井氏が守り継ぎました。解体された本丸跡に荘内神社を建立したそうです。
実はもっと城めぐりと神社めぐりをしたいところだったのですが、師走のみぞれまじりの冷たく激しい風雨が、容赦なく私たちの衣服を濡らしてきたので、散策を断念。荘内神社に年末のご挨拶程度に参拝し、早々に境内を出て、天候の様子をうかがいながら、『蝉しぐれ』の映画ロケ地となった『丙申堂』へと急ぎます。

(つづく)

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コメント

あつみ温泉

素敵なところですね

万国やとしう旅館がとても素敵でした。

街の歴史もあり鶴岡はいい街です、

お菓子も美味しいもの゛かいっぱいありました。

懐かしいです、

投稿: ryuji_s1 | 2008/01/09 17:00

@ryuji_s1さま
はじめまして!ようこそいらっしゃいました(^o^)/

>>万国やとしう旅館がとても素敵でした。
万国や→萬国屋でしょうか。川のほとりの大きな旅館ですよね。私が逗留した旅館は本文で述べたとおり「昭和の匂い」に満ちた雰囲気(怪しさもあり/笑)でしたが、泉質はバツグンでした。

>>お菓子も美味しいもの゛かいっぱいありました。
yahooの全国お取り寄せロールケーキ№1・清川屋の『ほわいとぱりろーる』は絶品でした!!!甘いものが苦手なワタシも「うまい!」と唸りました。偶然出会って土産に持ち帰ったのですが、これはホントにオススメですね。

投稿: nigoe | 2008/01/10 00:22

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