【AWAY紀行】まほろばを訪ねて(3)東大寺二月堂編
真夏の紀行文を、こんな秋まで引っぱってしまいました(詫;
かなり間が空いてしまいましたが、
「大和は国のまほろば」
平城の都・奈良のトボトボ歩き紀行の第3話です。
#(1)三条通~興福寺編はこちら、(2)東大寺大仏殿編はこちらをどうぞ。
【 2007年8月16日 11:50ごろ 大鐘(鐘楼)付近】
前回の“東大寺大仏殿編”につづき、今回は、東大寺境内の東方、若草山麓を訪ねます。手向山八幡宮の参道鳥居の手前から左手の坂道を登ります。
石段の向こうに鐘楼が見えてきました。鐘楼周辺の広場は、大仏殿の人混みと対照的に驚くほど静寂。このような静謐をかような場所にこそ求めたいものです。しばし静けさに心を委ねたのち、近くの茶店で中食。きつねうどんを注文。観光地の中心地ゆえ少々高価でしたが、期待どおりの素朴な味で満足。
茶店を出て、さらに炎天下の緩い石段を登っていきます。
【 同日 12:20ごろ 上院(若草山麓)】
石段を登ると、空間が開けました。石段正面から最初に見えてきたのが法華堂(三月堂)、奥に二月堂、写真右にフレームアウトしていますが、三昧堂(四月堂)があります。
左写真が法華堂(三月堂)、右写真が三昧堂(四月堂)。
このあたりは東大寺の起源とされる金鐘寺があった場所とされています。金鐘寺には、8世紀半ばに羂索(けんじゃく)堂、千手堂が存在したことを示す記録があり、このうち羂索堂が現在の法華堂を指すと見られています。
法華堂(本尊は不空羂索観音)は、毎年陰暦三月に法華会が行われることから、三月堂とも呼ばれています。天平仏の宝庫として知られ、743年までには完成していたと思われています。参道から向かって左(北)側の仏像が安置されている棟が天平時代の建築で、右(南)側の礼堂部分は鎌倉時代の1199年頃に老朽化のため再建したものとのこと。
三昧堂(本尊は千手観音像)は、毎年陰暦四月に法華三昧が行われることから、四月堂とも呼ばれています。木材部分には朱塗りが施されています。撮影時に、何ぞ願い事でもあったのか、ちょうど鹿がお参りに来ておりました。
時間がいよいよ迫ってきたので、さっと見回して二月堂へと向かいます。
【 同日 12:30ごろ 二月堂】
陰暦二月に“お水取り”で有名な『修二会(しゅにえ)』が行われることから、二月堂と呼ばれています。中世までの戦火からは辛うじて免れてきたものの、江戸時代(1667年)の“お水取り”の最中に失火してしまい、現存するのはその2年後に再建されたものだそうです。
一般に二月堂の修二会は“お水取り”“お松明”が代名詞となっていますが、他の修二会との区別のために『東大寺修二会』(Wikipedia)と称されることもあります(他に薬師寺修二会[花会式]、新薬師寺修二会[おたいまつ]、法隆寺修二会、長谷寺修二会[だだおし]などあり)。
東大寺の『修二会』の法要は、正しくは『十一面悔過(じゅういちめんけか)』と呼ばれるそうです。本尊は大観音(おおがんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、何人も見ることを許されない絶対秘仏とのこと。「天下泰平」「五穀豊穣」「万民快楽(ばんみんけらく)」などを願い、天下万民になり代わり懺悔(さんげ)の行を勤めるものです。前行(2月20日~28日)、本行(3月1日~14日)をあわせてほぼ1ヶ月、準備期間を加えれば3ヶ月にも及ぶ大きな法要となります(参考:東大寺HP)。
大仏殿では国家権力や国体維持などの独特の政治色を感じさせるものがありましたが、ここはやはり華厳宗の大本山らしい国家安寧を願う宗教色と、国家守護の寺・東大寺を感じさせてくれます。
春寒の弥生三月花まだき
君の肩にはらり 良弁椿
ここは東大寺 足早にゆく人垣の
誰となく独白く南無観世音 折から名残り雪
二月堂と聞いて、またも思い起こされるのは、うぃあーソングライター・さだまさし大先生の名曲『修二会』。まさにここ二月堂と修二会をモチーフに男女の愛の脆さと儚(はかな)さを描いた、『まほろば』と双璧の作品です。
真夏で甚だ季節外れなのですが(笑)、この唄の世界に思いを馳せながら、静寂に佇む二月堂を訪ねることに。
君の手は既に 凍り尽くして居り
その心 ゆらり 他所にあり
もはや二月堂 天も焦げよと松明の
炎見上げつつ何故君は泣く
雪のように火の粉が降る
走る 火影 揺れる君の横顔
燃える 燃える 燃える おたいまつ燃える
二月堂の修二会の象徴的な行である“お松明”。長さ8m、重さ80kgもの燃えさかる松明をこの舞台で振り回す勇壮な光景は、多くの日本人に知られています。本行の期間中は連日行われていますが、特に3月12日は最多の松明が使用されることと一般参詣者への香水授与(お水取り)が行われるため、大変な混雑となる様子が毎年報道されているのはご存じのとおり。752年から一度も中断されることなく連綿と続けられ、今年(2007年)が1256回目の法要となりました。
その松明を振り回す舞台からの眺望。天平の奈良へと思いが飛んでいきそうな眺めです。
過去帳に 青衣の女人の名を聴けば
僕の背に 君の香りゆらめく
ここは女人結界 君は格子の外に居り
息を殺して聴く南無観世音
こもりの僧の沓の音
ふり向けば 既に君の姿はなく
胸を打つ痛み 五体投
もはやお水取 やがて始まる達陀の
水よ清めよ 火よ焼き払えよ この罪この業(カルマ)走る 火影 揺れる あふれる涙
燃える 燃える 燃える 松明 燃える
歌詞の中にある、ずっと以前から気になっていた“青衣(しょうえ)の女人”。
このたびの紀行文を書くに当たって、初めてこの謎を知ることに。
修二会の行法のなかで“大導師作法”というものがあり、≪神名帳奉読≫と≪過去帳奉読≫が行われます。
初夜に行われる≪神名帳奉読≫では、日本全国60余州に鎮坐する490ケ所の明神と14000余ケ所の神々の名が書かれている神名帳を読誦し、「修二会の行法を照覧あれ」と神々を呼び寄せお願いをします。
3月5日・12日に行われる≪過去帳奉読≫では、聖武天皇からの歴代天皇、東大寺縁者、戦禍・天災に斃れた万国民の霊、現職の総理大臣以下の閣僚、最高裁の長官などの名を読み上げ、その働きが天下太平、万民豊楽をもたらすよう祈願します。
この日本最長の過去帳に連ねられた名のうち、鎌倉時代の源頼朝から18番目に当たるのが“青衣の女人”。元来無かった存在なのですが、鎌倉時代に集慶という僧が過去帳を読み上げていたところ、青い衣を着た女の幽霊が現れ、「何故我が名を読み落としたるとや」と恨めしげに言ったので、女の着衣の色からとっさに「青衣女人(しょうえのにょにん)」と読み上げたところ、微笑みながら満足げに消えていった・・・というちょっと怪談めいた話ですが、実際、東大寺の過去帳に記載されています。現在でも“青衣の女人”を読み上げる時は、声を潜めるのが慣習となっているそうです。
この話をはじめ修二会に関して、様々なサイトにも掲載されていましたが、下記サイトに詳しくありますので、参考にしていただくとわかりやすいかと思います。
・東大阪河内ライオンズクラブHP
・『奈良観光』HP:東大寺二月堂修二会(その1)
・ 〃 : 〃 (その2)
※(その2)に過去帳(「青衣女人」の記載あり)の画像があります。
二月堂回廊の脇に、御茶所があり、いわゆる「セルフ形式」でお茶が振る舞われています。冷たいお茶には麦茶もあり、酷暑の真昼に何ともありがたい限り。水が旨いためでしょう、甘露美味。しかしここは“行”を重んずる場所、使った茶碗は自分で洗って仕舞う作法となっています。こんな行儀作法は昔では当たり前のことでした・・・忘れかけている心を思い出させていただきました。
快く冷たい麦茶を頂戴して一服ののち、階段を下り、二月堂をあとに。時間はもうすぐ13時になろうとしていました。13時半までにはJR奈良駅に戻らなければならなかったのと、あまりの暑さ(熊谷で観測史上最高気温が記録された、あの暑い日)のため、ダンナがだいぶ溶けてしまって(笑)動けなくなったので、奈良国立博物館(今回スルー)前からタクシーを拾い、急ぎ奈良駅へ。
駅付近で土産を買おうと期待していたのですが、なんと構内に土産店が無い!!!
駅前にあった奈良漬の店で、かろうじて瓜漬けを土産として購入(後日談:もちろん漬物も美味でしたが、残りの酒粕で鶏肉や牛肉を漬けてみたら2度も3度も美味!ぜひお試しあれ)。
【同日 奈良線 みやこ路快速 13:39発】
時間となり、京都行きの列車に乗車。
コンビニで仕入れた冷凍ボトルと冷房の効いた車内で息を吹き返す、炎天下徒歩夫婦。(@▽@;)
わずか3時間の奈良滞在で、時間の限り歩きましたが、時空を超えてさまざまな思いを巡らせることのできた、充実の旅となりました。
1300年の歴史が息づく街・・・わずかな時間でも日本仏教の黎明に触れることのできた驚きと喜びで、少し心豊かになれたような、そんな真夏の古都巡りでした。
(おわり)
おまけ:
奈良駅すぐ近くのKFCをタクシーで通りかかった時の1ショット。
おっちゃんも、暑かったんやねぇ。。。(^ー^;
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コメント
いやー、信仰心薄きジージも(参戦の折には神にも仏にも、いや、この世の全ての神々に祈りますが…)nigoe様の紀行文には心洗われる思いがいたしまするぅ~。で、改めて残り6戦の勝利を祈り(ACLの勝ちも)ましたとさ。
で、ジージは6戦のうち4戦に参戦(10/24)いたしまするので旅の無事と、toto(BIGの方)の的中とそれから…、(x_x) ☆\( ̄ ̄*)ネガイ オオスギ
投稿: なごやのじーじ | 2007/10/12 16:39
JR奈良駅、以前は仏閣を模した壮麗な建物でしたが、
確か改築されてしまったんですよね。
それで土産物屋が姿を消してしまったのでしょう。
あのあたりは大阪のベッドタウンですから、通勤通学を優先されてしまったのでしょうか。
と、鉄分の部分にのみコメントする不信心者ですw
投稿: sat | 2007/10/12 17:33
@なごやのじーじさま
>>紀行文には心洗われる思いがいたしまするぅ~。
いえいえ、私の文章ではなく文章の対象が「ありがたいもの」ですから(^^;
ところで、昨年も悩んだのですが・・・今年参詣した神社仏閣の“お礼参り”はできるのだろうかと、今から不安です。
ちなみに昨年のお礼参りリストは、こちら。
つttp://nigoe.cocolog-nifty.com/reds/2006/12/post_62d4.html
当然、半分も行っていません(爆)
@satさま
不思議に思ってWikipediaで調べたところ、わかりました。
つttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E9%A7%85
確かに高架化工事を行っていました。ですので現在は仮駅舎です。satさんの仰る「仏閣を模した壮麗な」駅舎ですが、上記サイトの方形様の建築物ですね。これは保存されていましたよ(^ー^)。
でも世界的観光地・奈良ですから、仮設にせよ、ある程度は買い物できるようにして欲しいと思いました。
周辺の商店街との利害問題でもあるのかな?と少し勘ぐっちゃいましたが・・・(^^;
投稿: nigoe | 2007/10/15 18:39
おそらく、観光客のほとんどがこれまでは近鉄奈良駅を利用していたんですよね(私も高校の修学旅行は京都まで新幹線で、そこから近鉄に乗り換えて奈良まで来ていました。相当昔の話ですが。)。奈良線が電化されて快速が走るようになったのは最近だと記憶しています。
これから多少は駅構内も整備されるのではないでしょうか。
投稿: sat | 2007/10/16 15:22
@satさま
>>観光客のほとんどがこれまでは近鉄奈良駅を利用
やっぱりそうだったんですね。帰りのタクシーで近鉄駅前を通ったのですが、こちらの方がずいぶん賑わっていましたから。私は奈良市を訪れたのは今回初めてだったし、ガイドブックも持たず、JR駅の観光案内所で地図もらっただけで何の情報もなかったので・・・なるほど腑に落ちました。
JR駅も、遷都1300年事業に向けて気合いを入れて整備しているようですので、3年後くらいは期待が持てるかな・・・と(^^;
投稿: nigoe | 2007/10/16 16:40