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2007/08/09

【小さな旅】上信電鉄の旅(後編)

前回のエントリのつづきです。
上州一ノ宮駅から貫前神社を参詣後、国道254号沿いに富岡製糸場まで徒歩で向かってみました。

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貫前神社の杜を下って国道に向かう途中、眺望が開け、富岡市郊外が見渡せました。
景色を眺めながら、場所は少々違うのですが、かのTV時代劇の名作『木枯らし紋次郎』のオープニング・ファンファーレ(上條恒彦の唄の直前に流れた、あの音楽)とともに、芥川隆行の「木枯し紋次郎・・・上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれ、十歳の時国を捨て、その後一家は離散したと、、、」のナレーションが頭の中をグルグル巡っておりました。こんなところで“華麗”を実感(笑)。

国道254号を中心市街地に向かいトボトボ歩いていたら、急に夏の陽射しが襲ってきました。梅雨明けしたばかりのお天道様は、容赦なく私たちをギラギラと照らします。汗で頭からずぶ濡れになりながら、何かに取り憑かれたように歩く夫婦づれの姿は、きっと危なかったのでしょう。道ですれ違ったオジサンから、「こんにちは・・・」と心配そうに声をかけられてしまいました(@▽@;)。
コンビニで水分補給し、さらに歩を進めます。

【2007年8月4日 14:00ごろ 七日市藩陣屋跡】

070804nanokaichi 道程半ばのところ、県立富岡高校の敷地内にあった、『七日市藩陣屋跡』。
加賀藩・前田利家の五男・利孝が七日市藩を拝領し、以降、明治維新まで前田家の治世が続いたとのこと。この陣屋には、明治6年、皇后・皇太后行啓時の宿舎となったそうです。ちょっと木陰で涼んで元気が出ました。

 

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中心市街地付近の様子は、新旧混在といった佇まい。
街路は現代的ですが、店構えが大正~昭和の香りに満ちています。下仁田もそうでしたが、これまで群馬県内で訪れた伊香保、草津、渋川etc...の各地も似たような雰囲気が残されています。タイムスリップ空間は“群馬クオリティ”なんでしょうか(^^;070804tomioka3

富岡市街地に限らず、上信電鉄沿線のあちらこちらで見かけるスローガン。現時点では世界遺産登録暫定リストに登録され、地域の気合いの入れ具合が充分伝わりますが、産業施設の世界遺産認定は、石見銀山がつい最近認定を受けたばかり。かつて世界の銀生産の主力であった石見銀山に比べるとインパクトが少々弱く局所的なだけに、行政だけでなく地域住民も一体となって、富岡製糸場の文化的価値をどれだけアピールできるか・・・が正式認定へのポイントでしょうか。

【同日 14:20ごろ 富岡製糸場】

070804tomioka2070804seisijo1貫前神社から歩き始めて数十分、到着。さすがここは“富岡の中心”といった番地(笑)。
現地は夏休み真っ最中ということもあり、学生の団体サンも何組か訪れており、賑わっていました。

入場料は大人500円。施設保護と見学者の安全確保のため、見学の際は必ず解説員が同行します。所要時間は約1時間。時間の無い方が建物だけぷらっと見て回る、といった行動は取れませんので念のため。。。

070804seisijo2 夏休みのためか、毎正時の間にも見学時間が設定されていました。14:30からの見学を待っていたところ、目の前に大きな石碑が。埼玉とは大変縁が深い、片倉工業(株)の記念碑でした。戦中~戦後は片倉工業が富岡製糸場を操業し、昭和62年(1987年)まで主力工場として稼働していました。操業停止後も片倉工業が保全管理し、平成17年(2005年)国史跡の指定を機に、富岡市に寄贈されたそうです。
バブル崩壊後の日本経済界において、十数年の長きにわたり、閉鎖した工場を損得勘定抜きで管理することは、効率や合理性を追い求める企業体質では凡そ叶わなかったことでしょう。前世紀の貴重な遺産を次世代に継ぎたいという、片倉工業の心意気の一端を感じさせてくれます。

歴史の教科書に掲載されている、日本最初の官営工場、富岡製糸場。
富岡製糸場の沿革については、私がここで説明すると文章が冗長になるだけですので、詳しくはこちらをご覧いただくとして・・・以下は補足的なご案内まで。

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 正門を入って最初に目にする建物(写真上)が東繭倉庫で、建物向こう側、広大な中庭を挟んだところには西繭倉庫があります。

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建物は、資材の現地調達を基本として、当時の日本における最初の技術が駆使されています。柱は杉材、壁は近隣で精錬したレンガを使用した和洋折衷の技法で、鉄骨コンクリートよろしく『木骨レンガ造』構造となっています。このような構造は私も初めて見たので、興味津々でした。
出入り口部の上部アーチの要石(楔石)には、「明治五年」の刻印があります。

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070804seisijo5 東繭倉庫と西繭倉庫の間を“コの字型”につなぐように、繰糸場(上写真)が配置されています。梁の上部を木材トラス構造にして、従来の日本建築の根幹である「柱」構造を省略しています。当時の大工たちは、これでは不安だと、梁を二重に通したそうです(写真では梁が1本に見えますが、下から見ると2本合わせになっています)。
創業当時は、欧米の繭の病疫被害による絹糸不足と需要増加を見込んで、世界最大規模の施設を整備したとのこと。この世界最新鋭の施設と大規模生産体制が、日本黎明期の殖産興業と外貨獲得を支えたのです。
現在展示されているのは、片倉工業が実際に使用していた繰糸機だそうです。

070804seisijo7場内には付帯施設もいくつか整備されており、 右写真はフランスから招聘された技術者・ブリューナの住居。当時、フランスは東アジアに経済・産業活動を展開しており、この高床形式の住居は、東アジア各地の建築様式の影響を受けたものとされています。
ちなみにブリューナの月給は、現在の貨幣価値に換算して300万円だったそうで・・・(^^;
ブリューナ帰仏後は、工女たちの教育施設として改装され、働きながら学べる環境が整備されました。

私たちを案内してくれた解説員さんの軽妙な語り口に引き込まれ、1時間があっという間に過ぎました。産業・文化遺産としての教育的解説と啓蒙を主とした案内構成となっているので、「○○に行ってきました」的な物見遊山を好まれる方や、元気が良すぎて走り回るお子さんにはちょっと不向きかも知れませんが(笑)、学習教養施設としては充分な教材ですので、学ぶことを主眼として訪れるにはオススメの施設です。
解説員さんのお話が聞こえるよう、場内ではくれぐれもお静かに。。。070804omiyage1(^^;

製糸場の門を出たところに、“絹しゅうまい”の店・『信州屋』が。
のぼり旗と店構えの誘惑に負け(笑)、お持ち帰り用の15個入り折詰め(1260円也)を購入。帰宅して、蒸して温め直しをする端から、食欲をそそるよい匂いがたちこめました。一口頬ばると、匂いの期待を裏切らない、滋味深い上品な味わいでした。からしだけで充分の味付けで、ご飯が欲しくなります。
私は温め直しましたが、アツアツよりは冷えたくらいのほうが美味しくいただけました。

070804tomioka5 時間がストップしたようなレトロ繁華街(笑)を通り抜け、上州富岡駅へ。
駅横には、先刻下仁田で見たような・・・(^^;
デキ型電気機関車を模った、トイレ。
上信電鉄のシンボルなのだなぁ、と再認識させられました。

 

【同日 上信電鉄 上州富岡駅 16:15発 → 高崎駅 16:52着】

070804tomioka6ほどなく高崎行きの列車が入線し、乗車。車内は、この日、高崎での夏まつりに向かう浴衣姿の少女たちが多く乗っていました。年に一度の祭りを楽しみに目一杯着飾って、山里からやって来る年頃の少女たち・・・自分もかつてはこうだったのだなあと、久々に見る地方の祭りの風情が懐かしく思えました。

今回の旅も毎度お馴染み、思いつき行き当たりばったりの旅でしたが、得てして計画性がないほうが、意外と発見や出会いがあ070804takasaki0るものですね。
JR高崎駅では、対面のホームに奥利根号・D51機関車が入線してくるというおまけつき。

帰路は、冷房の利いた『快速アーバン』グリーン車で、ビールを飲みながら車窓の夕日を楽しみました。

派手さはないですが、今回も思い出深き、佳き旅となりました。

(おわり)

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