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2006/10/05

【AWAY紀行】京都東山散策(3)琵琶湖疎水~南禅寺~八坂祇園

知恩院から三条通に出て、地下鉄東西線の蹴上駅方向へ。
近くにある『琵琶湖疎水』を訪ね、南禅寺で昼食を取り八坂神社へ寄ったあと、祇園を散策の終点とします。

【2006年10月1日(日) 11時すぎ 琵琶湖疎水】061001sosui1

蹴上駅の上に『蹴上浄水場』があります。その水源は琵琶湖の水です。
駅の向かいのレンガ造りの隧道を抜け、右手の坂道を上ると、小さな公園があります。そこは『琵琶湖疎水』の史跡公園です。
『琵琶湖疎水』・・・明治維新後の京都の産業・経済の近代化に多大なる貢献を果たした導水事業です。東京遷都により衰退の061001sosui3危機にあった京都の街を振興させるべく、琵琶湖から引いた水を利用して、日本初の急速ろ過方式浄水場や水力発電所を建設し、飲料水と電力を供給しました。電力はまた、日本初の路面電車を京の街に走らせ、西陣織などの伝統産業を機械化し近代産業へ結びつけました(以下、詳しくはここをご参照ください。また、右案内板写真をクリックすると拡大します)。

061001sosui2 この琵琶湖疎水開通の偉業を成し遂げたのが、当時、大学卒業したばかりの若干23歳の土木技術者・田辺朔朗です。経済的・物理的・技術的な幾多の困難を、「100年先の未来を見据えて」耐え抜きました。その功績は、現在もなお京都の街の生活基盤を支えています。
何故ここに来たかったかと言うと、私は大学で土木工学を専攻し、今でも夫婦ともども関連の仕事に就いているからです。そういうことから、近代土木技術の先駆者である彼の功績を訪ねたいという気持ちは自然と湧いてくるものです。ここ琵琶湖疎水事業と木曽三川宝暦治水事業は、私が今の仕事を選んだ原点です。
十数年ぶりにここを訪れましたが、依然と変わらず人影はまばらです。この街の名勝古刹と比べれば目的がないと訪れる機会がない場所ですが、京都の近代史を知る穴場と言えば穴場です(^^)。
061001inkline 以下、簡単にご案内。
疎水は運河としても機能していました。舟運のため、水位差のある当地での舟移動のための傾斜鉄道“インクライン(。写真左)”と舟の運搬用台車(写真右)です。

061001keage 発電用の水管。
この下に水力発電所(蹴上発電所)があり、関西電力が管轄しています。

先人の遺業に思いを馳せながら、史跡公園を後にして、南禅寺へと向かいます。

【同日 11時半ごろ 臨済宗大本山南禅寺】

061001nanzenji1 雨足が強くなってきましたが、まずはお参りに・・・
ここの山門(三門)は日本三大門ということで、知恩院に同じく誠に見事で壮観な三門です。石川五右衛門の「絶景かな(゜∀゜)」でも有名です。
多くの人が、雨宿りで軒を借りていました。

 
061001nanzenji2
山門から法堂に向かう参道。
紅葉の時期は、とても画になりそうです。
良い時間になってきたので、お参りを済ませてお昼を。。。

 

061001tofu 
さあ、新撰組に打ち勝った『湯豆腐』の時間です(笑)。
三門すぐ脇にあった『南禅寺御茶所』にて、いざ実食!

 ※詳細は、別エントリにて紹介いたします

あ、、、味ですか?
もちろん「美味しゅうございました」(゜▽゜)

湯豆腐を食べたあと、再び南禅寺境内へ。061001sosui6
もうひとつ行くところがありました。それは琵琶湖疎水の水路橋が境内を通過しているところです。レンガ造りの美しいこの水道橋は『水路閣』と呼ばれています。
「何故南禅寺の境内に(疎水を)通したのか?」という疑問について以前仕事で調べたのですが、「(線形が短いなど)工事上都合が良かったから」という単純な理由だったようで、さらに水路のデザインも特別配慮していなかったようです。「当時は景観な061001sosui7どという考えが無く・・・」という内容のことを 田辺本人が語った記録がありました。“きよぶた”同様、昔の技術はスタンダードに丁寧さと美しさを兼ね備えています。まさに『用・強・美』。古来の風情に近代建造物が絶妙にマッチした奇跡的な佇まいと言えるでしょう。
(写真上は水路閣、写真下は水路閣上部の水路の様子)

午後になり、帰りの新幹線の時間も近づいて来ました。
少し道を急ぎます。

【同日 14時ごろ 八坂神社】

061001yasaka1ここは祇園の守り神として信仰を集めてきたところです。夏の『祇園祭』はあまりにも有名な行事です。
到着した時には、多くの参拝客で賑わっていました。
境内入ってすぐ左の『絵馬舎』という建物の壁に、ひときわ目立つ絵馬が掛けられていました。
読むと「坂田藤十郎襲名披露記念 平成十七年十一月吉日 中村鴈治郎」061001yasaka2
とありました。ああ、そう言えば昨年でしたっけ・・・。
芸人の信仰も厚いことから、他に藤山直美さんの奉納提灯なども境内にありました。

話は戻りますが・・・この神社の前に新撰組は集結し、ここから祇園と木屋町に隊を2手に分けて長州の過激派探索に向かったそうです。いわゆる“池田屋騒動”の出発点となった場所でもありました(木屋町隊が池田屋で発見しました)。

【同日 14時半ごろ 祇園界隈】

061001gion

四条通の人混みがひどかったので、ちょっと脇道にそれてみたら、偶然『花見小路』に入ってしまいました。この小路入口の角に有名な『一力(いちりき)亭』があったのは、あとになって知りました(笑)

かつて、大石内蔵助が世間の目を眩ますために茶屋遊びをした、そして近藤勇も西郷隆盛も大久保利通も訪れた、その茶屋のある界隈です。

「歴史は 夜 つくられる」

どうやら散策の最後は、やはり「維新」で締めとなりました。

ぶらぶらとしていたら、もう京都駅に行かねばならない時間になりました。
『南座』脇の京阪四条駅から地下鉄に乗り七条で下車、そこから歩いて駅へと向かいました。

千年の歴史と文化に裏打ちされた、自信に満ちた「格」のある街・京都。
同時に、今でもさまざまな宗教宗派がひとつの街に集積するさまは、現代日本の中で、いや世界の中でも際立つ個性を持った街として、魅力を放ち続けています。

雨に降られて残念な散策でしたが、しっとりとした京の街も悪くないものです。
あとひと月もすれば紅葉に染まり、恐ろしいほどの美しさに包まれた街と化すのでしょう。
紅葉には少し早い今回の旅でしたが、そのかわり、
“ういあー”さんたちが京の街を真っ赤に染めぬいた
そんな10月初旬の旅でした(笑)

わー、歩いた、歩いた、ちかれたびー _| ̄|○ ハアハア・・・

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